敗れたエースにボール


勝った箕島、敗れた星陵。18回を戦い抜いた両ナインが互いの検討をたたえ合った

 1979年夏。星稜(石川)3−2のリードで迎えた延長十六回裏2死。フラフラと上がったファウルフライに、甲子園のスタンドがどよめいた。白球を追う一塁手の汗がカクテ光線に光る。球審の永野元玄さん(64)は、飛球の行方を追いながら、「これで終わりだろう」と思った。
 延長十八回の死闘を演じた箕島(和歌山)対星稜戦。ゲームは延長十二回表に星稜が1点入れると、箕島はその裏、2死からホームランで追いついた。星稜は十六回表に1点を挙げて再び突き放す。その裏、箕島の攻撃は簡単に2死。一塁手がフライを捕球する体勢に入った瞬間に転倒した。ポウルはファウルグラウンドに転がった。その直後に奇跡のような同点ホームラン。
 そして十八回裏、箕島がサヨナラヒットで3時間50分の試合に幕を下ろした。
 「運命の一球に、今度は球審として出合い、自分の青春が再現されたようでした」。土佐高球児だった永野さんは、53年夏に自分自身がやった「痛恨の落球」を思い出していた。
 ゲームセットが告げられた後、永野さんは、そばを通り過ぎようとした星稜のエースにそっとポールを手渡した。十八回を投げ抜き、疲れ果てたエースは無言で受け取り、静かに頭を下げた。永野さんは肩をたたいて、「ごくろうさん」と声をかけた。
 永野さんは、この試合後に妻と京都の「大文字の送り火」を見に行くことにしていた。だが、試合の感動で、「妻との約束はすっかり忘れてしまいました」。
つづく(2000年3月29日毎日新聞夕刊より)


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