慣れが出て判定誤る

審判は判定練習をして常に技術向上に励んでいる


 審判になって5年目の1968年秋。神宮球場で行われた東京六大学野球の明大一東大戦で、永野元玄(もとはる)さんは初めて明らかな失態を犯した。その試合で永野さんは球審。東大の投手が投げたインコースの球が明大の打者の腹部に当たった。「死球」と判定すると、東大バッテリーが抗議した。体に当たらなければ球はストラィクゾーンに入っていたから、ルール上はストライク。永野さんぱすぐにミスを認めて明大ベンチに走り、「もう一度打席に入って下さい。すみません」。明大の監督に謝った。試合後、東大の監督からルールブックを見せられ、説明を受けた。
 慣れが出て、集中力を欠いていた。気分が落ち込んだ永野さんは「審判を辞めようと思った」。だが、すぐに気持ちを切り替えた。「一球の恐ろしさが分かった。『一球入魂』を頭にたたき込んだ」
 永野さんは審判を引退するまでの約30年間、春と夏合わせて甲子園で約300試合を担当した。「判定を間違えたかな、と後で思うようなミスは相当ありました」と言う。「試合後、両チームに『審判がいたのかな』と思ってもらえるような試合が、審判にとって最高の試合です」とも。
 住友金属大阪本社の本部長補佐を務めた後、89年に関連会社の常務取締役になった。経営者として判断を迫られることが多くなった。自分に言い聞かせているのは「先入観を持たずに何事にも中立で取り組む」。審判時代の経験が生きている。
つづく(2000年3月31日毎日新聞夕刊より)


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