大学院生の声

教育・研修

疾患の背景となっている免疫学の理解をより深める

大学院1年 加藤保宏

私は大阪大学医学部附属病院での初期研修2年間の後に、免疫アレルギー内科の関連病院である大阪府立急性期・総合医療センター免疫リウマチ科に4年間医師として勤務し、救急を含めリウマチ・膠原病・アレルギーの専門的な後期研修を終了しました。その後大学に戻り大阪大学医学部付属病院免疫アレルギー内科で1年間医員として勤務し、現在大学院に進学しております。

大阪府立急性期・総合医療センターは細菌性肺炎などのcommon diseaseから膠原病まで幅広い疾患に対して、特に急性期の対応が必要とされる病院でした。関節リウマチなど、免疫疾患に対して慢性疾患のイメージを持たれている方も多いですが、市中病院では間質性肺炎や感染症など、免疫疾患に付随する各種合併症の急性期の対応が必要です。同病院の勤務経験で、特定の臓器に縛られずに全身を診られるようになりたいという希望になんら不足すること無く充実した臨床経験を積む事ができ、大変感謝しております。

一方、大学病院では多くの免疫疾患専門医との活発な議論を通してより深い知識を学ぶ機会が多い環境でした。一般病院では免疫疾患を専門として診療している医師は比較的少ないのですが、阪大免疫アレルギー内科には多くの免疫内科医が在籍しています。毎週水曜日の臨床カンファレンスには基礎免疫学や腎臓内科、血液内科、循環器内科、小児科などの様々な背景を持った免疫内科医が全員参加し、患者さんの治療方針について活発に検討し、意見が飛び交います。火曜日と金曜日には病棟担当医だけで行う親身なミニカンファレンスがあり、診断や治療方針について現場の医師達で何度も見直し、一人では気付きにくいポイントを検討する良い機会となっています。また、大学では一般的な診療ガイドラインに沿った治療では改善が得られない疾患や症例報告レベルしか情報がない症例などもあり、カンファレンスはこうした症例の診断治療方針について詳細に検討する機会となっています。定期のカンファレンス以外にも、病棟や医局内で免疫疾患専門医同士の意見の交換を通じて、病気や治療のメカニズムについて考えさせられる事が数多くあり、自分の市中病院での知識が「臨床に必要な範囲」での理解にとどまっていた事に気付かされました。例えば、SLEでは疾患活動性が高い状態でもCRPなどの炎症マーカーの上昇がみられない事がしばしばありますが、そのメカニズムについて詳細に考えた事がありませんでしたし、血管炎のマーカーであるANCAの病的意義について現在の研究がどこまで進んでいるかの知識も乏しい状態でした。教室では学内外から著明な講師をお招きして最先端の研究セミナーを通して、自分の知識を持続的にup dateしていく素晴らしい機会が多くあります。autophagyなどの細胞内でのミクロの現象が免疫に深く関わっていることを大学にきて初めて認識しました。私は大学病院で勤務するまでは臨床現場に興味が強く、大学院進学については迷いがありましたが、基本的な臨床事実の背景を理解出来ていなかった経験から、自己免疫疾患の背景となっている免疫学の理解をより深める必要があると痛感し、大学院へと進学を決心しました。

大学院では当初は基本的な実験器具の使い方から学んでいます。実験に関しては右も左もわからない完全な初心者の自分でも理解出来るように懇切丁寧に指導して頂いている指導教官と大学院の上級生には大変感謝しています。また、阪大免疫アレルギー内科には大阪人口圏を中心に数多くの患者さんが通院されており、同意が得られた患者さんの検体を検体バンクとして集めており、それを解析することで、より臨床に反映し易い研究が可能なことも魅力的な面だと思います。研究の分野には飛び込んだばかりで、まだまだ分からない事が沢山ありますが、阪大免疫アレルギー内科の豊富な実績と恵まれた実験環境を実感しながら研鑽に励む日々を送る事が出来ています。

2014年9月

アクテムラに代表される、そしてそれに続くような、阪大発信の免疫研究に参加

 大学院2年 西出真之
 数年前。
 その医学生は、学生実習で、母親と同じ年齢の外国人女性患者に出会いました。
 彼女は重度の全身性強皮症で、顔は痩け、物も食べれず、多くの皮膚、内臓疾患を抱えて入院していました。
 知識の乏しい学生は、時々病室に顔を出しては、たどたどしい英語で世間話をします。彼女は病の身体を起こし、いつも気丈に応えてくれました。
 時は流れ、あの時の医学生は、免疫内科医となる事を決意し、臨床医生活を経て、免疫アレルギー内科の大学院生となります。しかし、あれから7年。彼女はどうしているだろうか。もしかしたらもう...。
 'Hi, how are you? I remember you.'
 その日、大学病院の診察室に現れた彼女は、何と元気に歩いてやって来ました。
 数年前から臨床治験として投与されたアクテムラが劇的に効き、生命どころか、彼女は普通に日常生活を行えるようになるまで改善したというのです。
 あの時の学生は、少しだけスムーズになった英語で話し掛けます。
 「貴方に出会って、私は免疫内科医になりました。元気になってくれて、本当に本当に嬉しい。」
 彼女の心からの笑顔を、初めて見れた気がしました。
 今もなお、有効な治療法の無い自己免疫疾患は数多く存在します。アクテムラに代表される、そしてそれに続くような、阪大発信の免疫研究に参加させていただいている事を、私は誇りに思っています。
2014年9月

臨床現場で解決できないような疾患に対して研究的視点が非常に重要

大学院2年 森田貴義

私は卒後5年目の大学院2回生で、大阪大学免疫学フロンティア研究センター(iFReC)の実験免疫学(坂口志文先生の研究室)で大学院生活を送らせていただいています。まず、ここに至る経緯をご説明し、今所属する研究室のご紹介をさせていただきたいと思います。

私は昔から基礎医学研究に興味があり、将来漠然と研究者になりたいと思っていました。その想いもあり、大阪大学医学部保健学科に入学し、臨床検査と基礎医学研究の考え方を学びました。この時点で基礎研究に進む道も考えましたが、やはり疾患と治療に直結するような研究をしたいと強く思い、大学を卒業後、奈良県立医科大学を再受験しました。無事入学でき、その後医師となりましたが、このまま臨床医として働くか、基礎研究の道を進むか、かなり迷っていました。学生時代の頃から、膠原病に興味があり、大阪大学免疫アレルギー内科のOIDカンファレンスに参加させてもらっていたのですが、研修二年目にそこで得た人脈から熊ノ郷先生と面談する機会に恵まれました。熊ノ郷先生から日本の免疫研究のレベルの高さを改めて教えていただき、同時に基礎医学研究ができる道を示していただき、大学に戻り基礎医学研究を行う決心をしました。そして、一年間免疫アレルギー分野の臨床を経験した後、卒後4年目に大学院へ進学させていただきました。

熊ノ郷教授のご配慮にて、大学院生は医学部免疫アレルギー内科だけでなく、iFReCで免疫研究を行っている研究室や医学部内の免疫分野の基礎医学系の研究室へ配属できるシステムを作っていただいています。私は、制御性T細胞(Treg)に興味をもち、その希望通りにiFReCの坂口志文先生の研究室に配属させていただく事になりました。iFReCは世界トップレベルの免疫研究を行っている研究施設です。実験免疫学の研究室では、半数程が海外出身者で、日常的に英語で会話をしています。ミーティングも全て英語です。私の指導者もイギリス人で、最初の頃は専門的な内容を英語で説明され、本当に困惑しましたが、一年経過した今では、少しは英語に慣れてきたように思います。ここに所属するだけで、英語の勉強にもなり、日本にいながら世界の一端に触れているような感覚で、この点は他では味わう事ができないものと感じています。学問的にも、Tregに関する最新の知見やこの研究室で培われてきた経験などに当初は圧倒され、自身の勉強不足・知識不足を痛感していましたが、周囲の方々からのアドバイスや、ミーティングでの内容から、少しずつTregをとりまく状況が徐々にわかるようになってきました。実験手技的には、基本的には細胞を扱う点から、FACS解析が主流です。FACSに関しては多くの抗体もそろっており、ヒト、マウスともに他の研究室ではできないほど十二分に解析を行う事ができます。ヒトの検体を用いた研究から明らかとなった現象をマウスで再評価し、その結果をヒトへとつなげていくような、臨床と基礎を少しでも結びつけるような研究も行いつつあります。

言葉の壁や臨床と基礎医学研究の違い、実験データがでない焦りや不安など、臨床現場とは違った戸惑いを感じながらも、熊ノ郷先生、坂口先生をはじめ、免疫アレルギー内科の医局員や実験免疫学の研究室の方など多くの方々に支えていただき、ご指導いただきながら、現在充実した大学院生活を送らせていただいています。臨床を経験して改めて基礎医学研究の世界に足を踏み入れましたが、色々と痛感する事があります。臨床的視点から見ると、なぜ臨床医が欲しいような基礎医学データが乏しいのかよくわかりました。同時に、臨床現場で解決できないような疾患に対して研究的視点が非常に重要であることも実感しています。臨床・研究どちらをするにせよ、それぞれを経験する事で、それぞれの視野が広がり、その事が新しい発見につながると感じています。このような臨床に近く世界レベルの基礎研究をできる場を提供くださった熊ノ郷先生はじめ多くの先生方に感謝して、その期待に応えるべく研究生活に励んでいます。

2014年9月

臨床も基礎研究も両立できる道を

大学院3年 森本桂子

私は学生時代を慶応義塾大学で過ごした後、大阪の北野病院で2年間の初期研修を修了し大学院に進学いたしました。私は学生の頃に結節性多発動脈炎の患者さんに出会った事がきっかけで自己免疫疾患の基礎研究に携わりたいと考えるようになりました。彼女が20歳から種々の症状に苦しめられ、漸く診断のついた40歳頃までの人生において貴重な時間を不安と隣合わせで過ごしてこられた事を知りました。疾患として適格に分類し治療につなげる為にも、メカニズムを理解する事が必須であると感じ、初期研修後すぐに基礎の研究室に進むつもりでした。しかし実際に研修医として働いてみると医師としての仕事に大変やりがいを感じるとともに、自分の臨床医としての未熟さ及び患者さんから学ぶべき事が非常に多い事に気付かされました。このまま臨床の場を離れて基礎研究に進んでしまっては未熟なままで臨床経験を終えてしまい、また、これまで身に着けてきた臨床医としての経験を十分活かせないと感じ、臨床も基礎研究も両立できる道を探し始めました。そのような時に以前お会いしたことのあった熊ノ郷教授が思い浮かび、研究室の門を叩かせていただきました。大阪大学 呼吸器・免疫アレルギー内科教室では臨床での知見を研究の糸口にし、基礎研究での成果を臨床に生かす土壌ができているとお伺いし、進学を決めました。

大学院進学後、初めの4か月間は大阪大学医学部附属病院免疫アレルギー内科の病棟で病棟業務に従事させていただき大学病院ならではの難しい症例を経験させていただきました。そして現在も毎週の病棟カンファに参加する事で、臨床現場を思い出し、また日進月歩の自己免疫疾患の治療を学ぶ事ができ、大変良い機会になっています。

研究に関しては、私はもともと神経と免疫両方に関心をもっていたこともあり、神経軸索伸長の反発因子でありかつ免疫系においても随所で活躍するセマフォリンの関連分子について研究させていただいています。研究室には常に多くのスタッフの先生方や先輩方がいらっしゃるので、教科書や論文には載っていないような細かい実験のコツを直接丁寧に伺う事ができ、ほぼ初めての実験に取り組む身にとっては大変助かっております。熊ノ郷教授は大変ご多忙にもかかわらず、大学院生全員に対して毎月、個別に直接ディスカッションする時間を設けて下さり、研究の方向性やアイディアを随時相談でき、貴重な時間を持つことができます。イメージングや細胞解析などの実験機器も充実しており、大変恵まれた研究環境です。さらにひとつの教室内には免疫アレルギー内科、呼吸器内科、癌免疫研究室、基礎研究グループである感染病態グループが共存しており基礎研究教室と臨床教室が混合した形になっています。阪大医学部の他の臨床科からも大学院生が研究にきており、多くの相談相手に恵まれています。また世界的に有名な研究者を招いての講演会(一例をあげると7月の一月だけで横断的腫瘍フォーラム、免疫塾、B to B セミナー、京大との天王山カンファレンスなど)も豊富で、研究者の生の声を直接聞き、研究の最先端の興奮を感じることができ、また研究の視野を広げる貴重な機会ともなっています。臨床医と研究者からなる教室は基礎研究の成果から臨床への応用を目指しており、また、臨床から基礎研究のテーマを見つけることを目指しています。私は今のところ分子細胞学の手法を学びながら基礎研究からスタートしていますが、いつかは臨床につなげられる研究に発展させることができればと考えています。様々な背景をもった臨床専門医と様々な背景をもった研究者が熊ノ郷教授の下にいる現場で充実した毎日を送っています。

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2014/Sep