免疫学の過去と未来

大阪大学 医学系研究科 平野 俊夫,

学術月報2001年7月号(通巻680号)より

1. 免疫とは

“免疫学”と聞いて、一般の方は何をイメージされるでしょうか?大ていの方は、予防注射に代表されるワクチンをイメージされるはずです。しかし、アトピー性疾患や、ぜん息あるいは花粉症などのアレルギー性疾患も免疫が関与していることをご存知の方はあまりいません。医学部の学生でも、講義でこのことを初めて知る人が多数います。また、エイズが実は免疫がおかされる病気であり、免疫システムが破壊されることがエイズによる死の原因であるという認識をもっておられる方は、少ないのではないかと思います。

 なぜ私が最初にこれらの点に触れたかといいますと、これらの点は“免疫学”をイメージするのに非常に良い例になるからです。

 1796年に、イギリスでジェンナーが、天然痘のワクチンを実施しました。そして、200年後の1979年に、世界保健機構(WHO)がワクチン接種による天然痘の撲滅宣言をするに至りました。これは20世紀における免疫学の画期的な足跡の1つです。“免疫”とは、病原微生物に対する生体防御反応であり、一度かかった病気には二度とはかからない、あるいは二度目は軽症ですむ、そして、あらかじめワクチンを接種しておくことによって、すなわち“免疫応答”を人為的にひきおこすことによって、病原菌にさらされても、発病を予防できるのです。 “免疫”の“しくみ”を研究しているのが“免疫学”であると言えば、免疫学の重要性を理解していただけると思います。さらに、エイズ(後天性免疫不全症)が、なぜ恐ろしい病気かと申しますと、エイズウイルスの感染により、私達の免疫システムが破壊されるからにほかなりません。エイズにかかると、私達の免疫システムが全く働かなくなります。私達が生活している環境には、無数の病原微生物が存在しています。私達の体内ですら、病気を引き起こす可能性がある微生物が生存しています。あるいは、共存しているといっても過言ではありません。これらの病原微生物は、日頃、免疫システムによってその増殖が適度におさえられており、その結果、私達は病気にならずに生活することが出来るわけです。ところが、エイズになると免疫系が作用しなくなります。この事実は、いかに免疫システムが、私達がこの世で健康で生きていくために、必要であるかを物語っています。では、免疫システムは病原微生物だけに反応するかといえば、決してそうではありません。例えば、心臓移植などの臓器移植時に、もっとも重要なことは、移植拒絶反応をいかに、人工的にコントロールするか( 抑制するか)です。この拒絶反応は、免疫システムが非自己である他人の臓器に対して反応し、それを拒絶する反応です。いいかえれば、免疫応答は、病原微生物(これも非自己ですが)を含めて、すべての非自己に対して反応し、それを排除しようとする反応です。したがって、スギ花粉のような病原微生物でないものにも免疫応答を起こします。誰でもスギ花粉に対して免疫応答を起こしますが、誰もが花粉症にならないのは、1部の人だけにIgEという免疫グロブリンが、アレルギーを起こさない人に比較して、多量に生産されるからです。すなわち、免疫応答は量的なものさし以外に、質的なものさしがあり、免疫応答の質が異なれば、有害なアレルギー反応が起こることになります。では、免疫応答が非自己に対してのみ起こるのかといえば、決してそうではありません。自己に対して起こるときがあります。慢性関節リウマチ(RA)や重症筋無力症などの病気があります。RAは関節が破壊される病気ですし、後者は、筋肉にある神経伝達分子の受容体が破壊される結果、神経から筋肉への命令が伝わらなくなり、最後には呼吸筋が動かなくなるという恐ろしい病気です。これらはすべて自己免疫疾患と呼称されています。まさに自己に対して免疫応答が生じた結果、移植臓器の拒絶反応のように、自分自身の臓器がおかされる非常に恐ろしい病気です。「免疫反応と聞いて何をイメージされますか?」と問われたときに、以下のようなことをイメージすることができれば、あなたは免疫を理解しているといえます

(図1)

1) ワクチン(予防注射)

2) エイズ

3) 臓器移植時の拒絶反応

4) アレルギー

5) 癌に対する免疫応答

6) 自己免役疾患

1)は病原微生物に対する生体防御反応で人間にとって有益な反応です。2)は免疫の欠如がどのような結果を招くかを示しています。3), 4)は非自己に対する反応で、人間にとって有害な反応、5) , 6)はともに、自己に対する反応ですが、5)は有益ですが, 6)は有害な反応ということになります。

2. 20世紀は現代免疫学の誕生と発展の世紀であった

 19世紀後半にロベルト・コッホなどにより、病原微生物の存在が明らかとなりました。さらに、1890年にベーリングと北里柴三郎により、ワクチンを受けた個体の血清中に病原体と反応する分子、すなわち抗体が存在することが発見されました。そして、1901年の第一回ノーベル医学生理学賞は、ベーリングに輝いたわけです。その後、メチニコフによる微生物を貧食する細胞(マクロファージ)の発見や、アナフイラキシーの発見、補体や血液型の発見、組織適合抗原の発見などが続き、1950年代のバーネットによるクローン選択説の提唱、そして1960年に免疫応答の主役はリンパ球であるという発見、引き続きTリンパ球、Bリンパ球の発見に至りました(表1)。1960〜1970年代は、これら免疫応答の主役である抗原提供細胞、Tリンパ球、Bリンパ球が抗原刺激に対して、いかに反応するか、これらの細胞がどのように、相互反応しうるのかが免疫学の中心的課題でした。すなわち、抗体(免疫グロブリン)や補体を中心とする免疫化学が中心の時代からリンパ球などの細胞を中心とする細胞免疫学が大きく花を開いた時代です。一方、1970年代の研究において、大きな疑問は、Tリンパ球の抗原受容体はいかなるものか?免疫グロブリンはどのようにして多くの抗原に反応しうるのか?抗原受容体の多様性がいかにして生成されるか?あるいは、リンパ球などの細胞内相互作用に関与している液性因子(サイトカイン)の本態はなにか、あるいはリンパ球膜面に発現しており、細胞間の直接の相互作用に関与している分子の本態はなにか?という、主として分子生物学に関係する疑問でした。これらの疑問は、みごとに解決されました。まず、1976年に利根進によって、遺伝子の再構成によって免疫グロブリンの抗原結合部位の多様性がほぼ無限に創られることが明らかにされました。引き続きT細胞抗原受容の本態が明らかとなり、実は免疫グロブリンと非常に似ていることが明らかになりました。MHC分子や、各種サイトカインやケモカイン、その受容体、CD40やCD28などの細胞膜面に存在する、細胞間の直接の相互作用に関与している補助受容体の存在や構造も明らかになりました。またモノクローナル抗体の作製もできるようになりました。1960〜1970年代が細胞を中心とした細胞免疫学の時代であったとすれば、1970年後半から1980年代は分子生物学の時代であったと考えられます。1980年代におそらく、免疫応答に関与している分子の主なものは、すべてその遺伝子がクローニングされ、その構造が明らかにされたと考えられます。特に、インターロイキン2(IL-2), IL-4, IL-5, IL-6などのサイトカインや、Fasなどの細胞死に関する分野の研究では、日本が国際的にリードできたことは特筆に価すると思います。1980年 代にカペッキーが相同組換えによって、遺伝子欠損マウスを作製することに成功しました。そして免疫学者も、免疫応答に関与する遺伝子の欠損マウスを創ることができるようになりました。この結果、それぞれの分子が生体内での免疫応答にどのように関与しているかが明らかにされはじめました。そして、サイトカインや、補助受容体の異常で、自己免疫疾患が生じることや、アレルギーに 抵抗性のマウスやアレルギーになりやすいマウスが創れるようになりました。一方、先天性免疫不全症の原因遺伝子が次々に明らかにされました。1980年代の遺伝子ハンターの時代のあとに待っていたのは、それぞれの分子が生体内でどのように関与しており、その分子の異常がどのような免疫異常に関与しているのかを明らかにすることでした。1990年代は、発生工学に基づいた免疫生物学が花を開いた時代ともいえます。一方、抗原受容体、サイトカイン受容体、補助受容体がリンパ球にどのような情報(シグナル)を伝達し、その結果リンパ球があるときは、増殖・生存し、あるときは死ぬのかム免疫学の中心課題である自己に対する免疫寛容は、どのようにして維持され、どのようにして破綻するのか、アレルギーなどに関与する免疫応答の質はいかに制御されるのかが、大きな問題となりました。1990年代の10年間にこれらの問題の多くは解明されました。

3. 免疫学の未来

2001年の今、免疫学はその主役である、リンパ球、抗原提供細胞、そして、それらの細胞がいかにして造血幹細胞から分化するのか、免疫応答に関与する抗原受容体やMHC分子、補助受容体、接着分子やサイトカインなど、おそらく300種以上の分子や細胞内シグナル分子の本態を知っています。そして、それら個々の分子が免疫応答で如何なる役割を演じているかを知りつつあります。抗原刺激により、生体内で無限の細胞や分子の相互作用の引き金が誘導されます。そしてそれは、個々の細胞内で無数のシグナルの相互作用という形で生じ、インプットされた1つの情報が形をかえて、アウトプットされる。そして、これらの細胞内シグナルの相互作用によってアウトプットされた情報に基づき、生体内にある多くの細胞間の相互作用が開始される。そして、再度個々の細胞内でのシグナルの相互作用が生じる----それが又、細胞間の相互作用に還元される・・・、このような、非常に複雑な反応が生じます(図2,3)。あたかも静かな池に、1つの小さな石を投げたときに、水面に表れるさざなみが、その時々の周辺の状況の変化によって千差万別の模様を呈するように・・・・(図4)。同じ抗原(病原微生物、スギ花粉など)が体に入り、それに対して起こる免疫応答は、個人によって、あるいは同一人物であっても、その時の生体内の環境の変化によって、結果としての免疫応答の質と量は千差万別であり、その結果、有益な免疫応答も生じれば、逆に有害な結果になることもあります。21世紀の免疫学は、これらの無数の細胞や分子が生体内で、いかに統合され、制御されているかを明らかにするシステム生物学へと発展することが予想されています。さらに、いわゆる万能細胞(胎生幹細胞:ES細胞)から免疫システムの再構築が実現されるでしょう。また、ヒトゲノム情報に基づいた疾患遺伝子の解明や、個人の遺伝子情報に基づいた免疫システムの改変や制御が可能になると考えらます。その結果、人為的免疫応答の制御が可能になり、最初に述べた免疫応答によって起こる有益な反応

(1) 例えば感染症やウイルスに対するより有効なワクチンの開発

(2) 免疫による癌の治療

などが臨床医学に応用されることになるでしょう。また有害な反応、例えば、

(3) 臓器移植時における拒絶反応

(4) スギ花粉やダニに対するアレルギー反応

(5) 自己免疫疾患

これらが自由に制御でき、臨床医学に応用されることになるはずです(表1)。本特集の各編を読んでいただくと、このことがより明確になるはずです。人類は常に、エイズウイルスなどの新しい病原微生物の出現と戦ってきました。免疫システムは、これら病原微生物に対する生体防御には必須であります。一方では、免疫システムは、生命の存在自体をも破壊する恐ろしい力を内包しています。いかに「免疫応答」を人為的に制御することができる----、21世紀に人類が健康で国際社会を生き抜くためには、“免疫学”のますますの発展なくしては語ることができません。

表1  免疫学の過去と未来

1796年

天然痘予防のための種痘の実施(ワクチン)

19世紀

   病原微生物の発見

   狂犬病に対するワクチン開発

    抗体の発見、マクロファージの発見、自然免疫の発見

 

20世紀

   補体の発見、血液型の発見、アナフィラキシーの発見、

   アレルギーの発見、組織適合抗原の発見

          クローン選択説、免疫寛容現象の発見、

リンパ球が免疫応答の主役である発見、

T/Bリンパ球の発見、

  サイトカインなどの液性因子の発見、補助受容体の発見

1960-1970年代 細胞を中心とした細胞免疫学の時代

抗原受容体多様性形成機構の解明(1976)

天然痘撲滅宣言(1979)

1980年代 遺伝子ハンター、分子生物学の時代

サイトカインや細胞死の研究で日本が著しく貢献した。

1990年代 発生工学を使用した個体レベルでの免疫生物学や、

免疫応答における情報伝達解明の時代

 

21世紀

システム生物学としての免疫学の時代

免疫理論の臨床医学への応用の時代

アレルギーの治療 ・ 自己免疫疾患の治療 ・ より有効なワクチンの開発

免疫による癌の治療 ・ 免疫抑制剤に頼らない臓器移植・

免疫システムの再生及び老化予防

 


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