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Alumni

中野 和司

中野 和司

University of California Davis
Dermatology, Visiting Assistant Researcher

ウイルスの研究を続けて

1)上田啓次教授との出会い

私は1995年4月に山西弘一先生(現微生物病研究所理事長)が教授をされていた大阪大学大学院医学系研究科細菌学(微生物学)教室に入学し、博士課程後期の学生としてヘルペスウイルスの研究をスタートしました。当時、研究室では1994年にアメリカのグループによって新しく発見された8番目のヒトヘルペスウイルスであるカポジ肉腫関連ヘルペスウイルス/ヒトヘルペスウイルス8(HHV-8)に関するいくつかのプロジェクトがスタートしていました。それから3年後の冬、私が博士課程後期の3年生の時、上田先生が第一内科から助手として山西研に来られました。上田先生はHHV-8の研究の推進を期待されて山西先生が第一内科からリクルートしてきたと聞かされました。先生が研究室に着任される前から「すごい優秀な先生が来るぞ。」と山西先生ご自身が触れまわっていたほどです。

山西先生の研究室は数人のスタッフがリーダーとなって、それぞれがグループを作りテーマごとに学生を指導する体制であったため上田先生も数人の学生を指導することになりました。この頃の山西研は山西教授を含めてスタッフ5人、大学院生や微研からの研究員が10数人に小児科の先生もたくさん研究しに来られてとても活気のある研究室でした。山西研では忘年会や研究室旅行が開催されていたためビール好きな上田先生と私はこうした中で、お酒を酌み交わしながらサイエンスや実験の話をしたものでした。

2)大学院での研究生活

私は大学院ではヒトヘルペスウイルスがコードするケモカインとケモカインレセプターによる細胞内シグナル伝達の解明をテーマに研究をしていました。このケモカインとケモカインレセプターはHHV-8もコードしていることが知られていました。

HHV-8がコードするケモカインは3つ存在し、それぞれviral MIP-I (vMIP-I), vMIP-II, vMIP-IIIと呼ばれています。これらのケモカインのレセプターは報告されていなかったため、このレセプターの同定を目的に研究を開始していました。(しかし後にこの研究はアメリカの研究チームに先を越されてしまうことになる。)研究人生の最初期から研究の厳しさを味わう経験をしました。

この山西研の大学院の終盤からポスドク時代にかけて4年間、上田先生と研究室で共にHHV-8の研究に携わる機会に恵まれました。朝から11時頃の終電までの実験の毎日でしたが、皆が競うように実験していました。ウイルスはそれ単体では増えることはもちろん、生きることもできません。(ウイルスが生物と言えるかどうかという議論は別として)このウイルスの不思議さと生存政略の巧妙さに感心させられると同時に、実験手技・手法を身につけて解析する面白さに目覚めて行きました。

3)留学

学位取得後3年間、山西研でポスドクとしてヘルペスウイルス研究を続けることになりました。しかし、米国で仕事をすることが夢だったことから留学の機会を考えていました。折しもポスドク期間の最後の年の夏、グラクソ・スミスクライン社の海外留学助成金制度に応募したところラッキーなことに2年間助成を受けられることになりました。

この時、米国の幾つかの研究室に履歴書(C.V.)を送り、受け入れてくれる先の選定をすることになりました。しかし困ったことに私は英文で履歴書を書いたことがありません。日本語の履歴書すら書いたことがなかったのです。そんな私にご自身のC.V.をテンプレートにしなさいといってワードファイルを下さったのが上田先生でした。

これを元に出来上がったC.V.を送ったのはUCSF、ピッツバーグ大学、スタンフォード大学の研究室でした。いずれの研究室もヘルペスの研究分野では有名な先生ばかりです。この中からUCSFの先生はポスドクをすでに3人、来年度は受け入れるので空きがないという返事があり断られました。ピッツバーグ大学の先生は一緒に研究しましょうという好意的なメール。スタンフォード大学の先生からは返事がありませんでした。(こうした海外へのリクエストでメールの返事がこないことはよくあります。)

このようなわけで、HHV-8の発見者であるDr. Yuan ChangとDr. Patrick S. Mooreの研究室に留学することが決まりました。

4)ピッツバーグ大学での研究

Dr. Chang & Moore Labはコロンビア大学から二人が移ってきて数年が経過していた時でした。最初の面談でDr. Mooreに聞かれたのが「Kazushi, what do you want to do?」でした。この質問は面食らいました。なぜなら米国で研究をすることが目的であって何を研究するかということは頭になかったからです。

当時の私は研究室に入ったあと、研究室のプロジェクトからテーマをボスからもらえるものだとばかり思っていました。HHV-8研究をする上で、何が解明されなければならない問題としてあり、自分は何をしたいのかということを考えていませんでした。受け身でいた自分自身にこの時気がつきました。全くもって本末転倒な話です。

結局、面談の末、幾つかの未解決のテーマについて取り組むことになりました。

HHV-8はヒトのIL-6と相同性の高いviral IL-6をコードしています。このvIL-6は細胞内シグナル伝達にIL-6レセプターを必要とせず、gp130単独でシグナルを伝達できることが、このDr. Mooreの研究室から報告されていました。このvIL-6とhIL-6のシグナル伝達に違いがあるのか、否か、また異なっているとするとどのような機序でこの差異が生じるのか、研究することとなりました。大学院時代の多くの実験経験が大いに役立ち、実験データは蓄積しました。データはたくさん取りましたが、これらデータを精査するといくつかの問題点が明らかになり、このプロジェクトは取りやめることになってしまいました。過ぎ去った時間は二度と戻りません。焦燥感に駆られていた時期に、上田先生がUCサンタクルーズで開催されたHHV-8の学会に来られる機会があり、久しぶりにお会いすることができ、この時私を激励してくださいました。当時、なかなか思うようにいかない実験と、将来への漠然とした不安もあった私に温かい言葉をかけてくださいました。その言葉は大きな自信となり、次のプロジェクトを立ち上げ、完遂する事ができました。2年の奨学金の年限があったこととDr. Mooreの研究室の研究予算が厳しくなるということで、日本への帰国か米国に留まって研究室を移るか決断せねばなりませんでした。いくつもの(といっても4つ)研究室に雇ってくれないかというメールを出し、そのうち幾つかから面談やプレゼンテーションを打診されました。この中から一番、最初にオッケーを出してくれたNIHのDr. Yarchoanの研究室で研究を続けることになりました。Dr. Yarchoanの研究室はワシントンDC近郊にあり、合衆国建国時の雰囲気を今に伝えるとても素敵な街です。

5)再び大阪大学へ

この間、アメリカでの研究は約5年間に及びました。ピッツバーグ大学とNIHの合算のビザの有効期限が切れることや、大阪大学の感染防御学の杉本教授が拾ってくださることになったこともあり帰国することにしました。(ビザについてお話しすると、少しややこしいのですがアメリカの政府機関で就労すると母国に戻って最低2年間、働いた後でないと再びアメリカのビザを申請することはできないという2-years ruleというのがあります。)杉本研では伊勢川先生が准教授をされており、ここでのテーマはHHV-6がコードするU69の核移行のメカニズムを明らかにすることでした。U69は抗ヘルペスウイルス薬であるガンシクロビルのターゲットとなる遺伝子であることからウイルスの増殖にとって重要です。また私たち、人類が初めて手にした抗ウイルス薬の作用点という観点からも非常に興味深い遺伝子と言えます。このU69の研究は順調にデータを蓄積し、核移行シグナルのコアとなるアミノ酸を特定し、Importin alphaとの結合が核移行に重要であることを見つけました。この特任助教の2年の任期(正確には1年11ヶ月)中に上田教授が浜松医大から大阪大学に赴任、ウイルス学教室を立ち上げることになりました。この時、上田先生は私に一緒に働かないかと言ってくださいました。特任助教の任期が切れる半年前のことで就職先を探し始めていた時期であり心から喜んだことを覚えています。振り返ってみると山西研を卒業してからも、上田先生はじめ多くの先生方にご指導していただき、さらに研究を一緒にやらないかと声をかけてくださいました。ほんとうにありがたいことです。

6)University of California Davisでの研究

現在はカリフォルニア大学デービス校において、HHV-8の変異株を樹立しウイルスが潜伏感染から溶解感染に移行する際のウイルスゲノムのコンフォメーショナルな変化がどのようなメカニズムで増殖に関与するかについて研究を行っています。上田先生が山西研に来られ、山西先生の退官後、一人で微生物学教室を運営され、そして大阪大学を離れ、浜松医大に赴任され、再び大阪大学に教授で戻られるまでの足跡を私自身の研究人生と重ね合わせると研究者の研究に対する態度とは如何なるものか教えてくださったのが上田先生でした。上田先生と出会えたこと、人生の節目節目で薫陶をいただけたことは私が研究を続けていく上で大きな力となりました。今もこうしてUC Davisで研究をまがりなりにも続けられるのはそうした導きがあってのことです。今後は今までの経験を生かしガンウイルス学やこれに関係する研究分野で、新しい研究領域を確立し、成果を上げていくことで社会に貢献していきたいと考えています。

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