意思決定を支える看護師の役割葛藤に関する看護倫理的考察
ナラティブからの現象学的方法による分析

渡邉美千代(大阪大学大学院文学研究科博士課程、臨床哲学)
菊井和子(大阪大学大学院文学研究科博士課程、臨床哲学)
大橋奈美(公立那賀病院看護師)


 

はじめに

 日本でのアドバンス・ディレクテイブ(事前指定書:advance directive の普及率は低く、患者自身の真意を確認できず医療者は対応困難になることが多い現状にある。たとえ患者自身が自己決定したとしてもその時々の状況に応じて患者の意思も変化する。終末期を迎えた患者の意識の低下によって意思表示ができなくなった場合、医師や看護師は患者の意向を汲み取ろうと家族や身近な人々から情報を得ることが多い。 医療関係者の困惑はこれだけでなく、患者の苦痛が強い状況下で適切な判断をすることは難しく、患者が望む治療を提供することは容易でない医療現場の実態が浮かび上がる。

米国では1967年以来、安楽死教育財団(Euthanasia Education Foundation)がLiving Willに関する文書を配布したことから始まり、また日本においては日本尊厳死協会(Japan Society for Dying with Dignity)によって患者自身で自分の死に方を選ぶ権利をもとうとする動きが活発になっている。しかし、まだ日本の登録者は、103000人(尊厳死協会2003年資料)を超えるにしか至っていない。ともすると日本の医療現場では、患者の立場やその家族よりも治療する医師の意見が優先される結果となり得る傾向が強い。そうならないためにも医療者側はインフォームド・コンセントを重視し、医療を受ける側の患者/家族との共同思考過程を重ねたうえで意思決定ができるように配慮が必要である。

日本では米国と異なり病名や治療方針、治療経過について患者より先に家族に伝えられることが多い。その結果、家族の意思が優先されることも多い。その為、看護師は患者の知らない医療情報に触れないように患者と接することで葛藤が生じ、患者の意思決定過程をどのように支えるか困惑する場面が度々ある。しかし、患者は家族に直接言えない自分の思いを看護師だけに伝えることもあり、日本の看護師は患者の思いが家族に伝えられるように、患者と家族の伝達仲介役になることもある。患者が意思決定する過程で、日本の看護師は患者と家族の意見の相違を調整する役割が要求されている。

 本研究では、日本の臨床看護師の語りをもとに患者/家族の自己決定に関わる看護師の役割葛藤を明らかにするとともに、それに対する看護倫理的考察を行う。研究における語り(ナラティブ)は、一般に容認されている知恵に挑戦できることや新しい仮説を生み出す為に有効であるとされている。 今回紹介する語りは、患者より家族の意思が優先されたことから治療上の決定に患者と家族の間に意思の相違が起こり、看護師の葛藤が生じた語り(ナラティブ)である。分析の結果、看護師が終末期を迎えようとする患者の意思決定に向き合う中で、看護師の思いに価値の対立が生じていることが分かった。さらに看護師が葛藤を抱えながら専門職として如何に判断し、看護実践に至っているか検討した。そのうえで日本の医療現場における看護職が抱える問題についての倫理的考察を試みたのでここに報告する。

 T.1 研究目的

 本研究は、終末期を迎える患者とその家族を支える看護師が、化学療法や人工呼吸器装着という治療をすることで患者と家族の意思相違に直面してどのような葛藤が生じているか、また、葛藤を抱えながら、看護実践に至るまでの過程でどのような役割の追求をしているかを明らかにする。さらに、患者の自己決定に際し、看護師が葛藤を伴いながら役割を遂行することの倫理的意味を考察する。

T.2 研究対象

終末期を迎える患者と家族を支えるある看護師の語り(ナラティブ)の記録である。その看護師は10年間の臨床経験をもち、呼吸器病棟には5年目の勤務である。呼吸器患者の終末期に関わりながら患者の自己決定を優先することを常々考えてきた看護師の語りである。

T.3 倫理的配慮

看護師が患者や家族について語ること、語った内容を分析の対象とすることを患者とその家族に説明し承諾を得た。看護師が語った内容は患者やその家族が特定できないように配慮する。

T.4 調査方法

研究者は3回にわたって看護師から語ることの了解を得、その語りを録音記録にした。その時期は、@骨転移が分かった時期、Aイレッサ 投薬を試みた時期、B人工呼吸器装着時期である。語りを聴いた時期は終末期を迎える患者の病状変化があった時期であり、治療や家族に対する患者の思いを聴くことで看護師の葛藤が生じた時期でもある。

看護師の1回の語りは、6090分である。看護師の許可を得たうえで、語りやすい時間と場所を設定した。

U.1 分析素材

語り(ナラティブ)の分析素材:録音した語りを意味のある単位にして分析の素材とする。

U.2 分析上の定義

価値の対立は、自己決定した行為が何らかの価値を実現するものとなっているか否かの観点から対比される概念として定義する。

U.3 分析過程

ワトソンの記述的現象学的方法論 を参考に以下の手順により分析を行なう。

ステップ1:語りからの全体の印象をつかむ

ステップ2:テーマとの関連で意味のある単位を捉える。(言葉通りの構成)

ステップ3:類似している意味をもつ単位を統合しその経験を特徴づける用語を見出す。

ステップ4:恒常的に検討修正を繰り返し、最終的なコアとなる意味ある単位用語を見出す。

ステップ16の意味ある単位用語とコアとなる単位用語とを検討してテーマである価値の対立、看護師の役割葛藤を構造化する。

ステップ6:看護師の看護介入を明らかにし、看護師の役割葛藤との関連を図に示す。

ステップ7:分析に基づいて看護師が葛藤しながら看護実践に至る過程を倫理学的視点から考察する。

V. 語られた患者の事例経過

 患者(以後A氏とする)は52歳で喉頭癌と診断。CTの検査によって肺に転移していることが分かる。A氏は、医師からの説明によって喉頭癌で肺に転移していることを手術半年後に知る。さらに入院後、骨転移していることが分かる。A氏のショックが大きくなることに悲観した家族(妻)の意思によって、詳しい病状はA氏に伝えられることはない。病状が悪化する中でも家族(妻)の意思によって化学療法が行なわれる。家族(妻)はイレッサを希望し、11錠の内服を1週間ほど続ける。その後、次第に内服もできないほど衰弱し、ナルコーシス 5 となって意識低下となる。A氏が娘に会えるまでは生きてほしいという妻の願いによって、気管内挿管し、人工呼吸器を装着したところ、一時的に意識を取り戻し、娘と顔を合わせることができる。娘が到着した1時間後、A氏は家族との最後の別れをした後、家族の希望によりセデーション によって翌朝亡くなられた。                                  

W. ナラティブの録音記録

看護師が語った三時期@骨転移が分かった時期、Aイレッサ投薬の時期、B人工呼吸器装着時期の語りから本論の鍵となる部分を一部抜粋し以下に記載する。記載内容は原文のままである。( )は筆者の加筆である。

@骨転移が分かった時期の語り

奥さんにはA氏の入院時には「すべてを知りたい」といっていたから、「言った方がいんじゃないでしょうか?」って伝えました。「おれはいつまで生きるのかな?」という度に「それは分からないよ。分かっているのは神様だけでしょうから」と言っていましたが・・・。奥さんは本人にはこれ以上苦しめたくないから、肺に転移したことだけでもショックを受けていたから骨転移があるということは本人もさらにショックを受けるだろうから、看護師さん黙っていてほしいと言われました。医師からA氏には詳しい病状説明はされませんでした。A氏はどんどん足に力が入らなくなって・・・。自分で肩に手をふれると痛みがあることに気づいて、肩にも癌が転移したのだと気づいていたのだと思います。

Aイレッサ投薬時期の語り

家族(妻)は1パーセントの可能性があればどんな治療でもやってもらいたいと望んでいました。最後、A氏が亡くなる1ヶ月前に在宅医療を進めました。「在宅で見てあげるよ」って言ってくれる先生のところに紹介して毎日朝晩と点滴してもらって、3週間ほど家で過ごすことができました。家族は新聞でイレッサという新薬を知って、A氏は飲むことになりました。11錠を10日ほど飲みましたが、少しずつ飲む力もなくなってしまって・・・。A氏にとって本当に望んでいる治療なのだろうか?(一部省略)A氏は、どちらかというと、奥さん思いだから「あいつが良いというのだから」というけれど、奥さんの思う通りに、望み通りならばそれで良いという思いと自分としてはもう治療はしたくないといった両方の思いがあったのが分かっていたし・・・。A氏が話している時は弱いところを見せて、泣いたりしていました。顔をくしゃくしゃにして泣けるだけ泣いていました。奥さんが部屋に入ると急に夫の顔に変わる瞬間があって、夫を演じているのかなって思いました。奥さんには強いところを見せていたいんだなって・・・。A氏と奥さん、そして私の3人で、話しながら泣いてしまうこともありました。

外泊が自分のゴールじゃないんだ。退院が自分のゴールなんだっていって、家に帰りたいって常に言ってました。病室がだんだんナースステーション近くなっていって、個室になっていく状態で名札が消えていく人が死が近いことを知っていて、自分はあんなふうになりたくないって言っていました。                         
B人工呼吸器装着時期の語り
                                                                                          

家族の希望で最終的には人工呼吸器が装着されましたが、本人は人工呼吸器をつけたくないと言っていました。妻が望むことであればという思いで最終的には本人は人工呼吸器をつけたくないと言いながらも奥さんの望むように装着して自分は生きながらえようって思ったのではないでしょうか。今考えたらそう思います。そこまでしてSさんは生きたかったのかな・・・。意識が遠のいていきながら血圧も下がり、昇圧剤 を使ったときもここまでしても生きたかったのかなって思いました。でも呼吸器を着けながらも一瞬意識が戻ったその時には、やっぱり家族のためにも本人のためにも、呼吸器を着けることによって少しでも話しができた時間があって、それはよかったと今は思います。(一部省略)会話するときはゼロボックス(電気人工喉頭発声器)を使って家族と話しました。

X. 語りから意味ある単位の発見

 看護師の語りの録音記録から63の意味ある単位が抽出された。その単位は、言葉通りの構成である。(1)類似の意味ある単位を統合すると16の意味的単位の用語が見出された。最終的に次の3つのコアとされる意味的単位の用語にまとめられた。コアとされる意味的単位の用語は「患者の役割葛藤」(2)、「家族(妻)の役割葛藤」(3)、「看護師の役割葛藤」(4)の3つである。16の意味的単位の用語間を検討すると次の対立概念があることが分かった。患者の葛藤は「治療への期待:苦しい治療の拒否」「自己の願望:妻への応答」「生への執着:安らかな死への願い」。家族(妻)の心理的葛藤は「治療への強い期待:苦しめたくない」「苦しめたくない:納得したい」。看護師は「患者の自己決定:家族の意思の尊重」「患者/家族の意思決定の尊重:治療上の判断」「看護師の専門的判断:看護師の感情」といった価値対立による役割葛藤があると考えられる。看護師は患者と家族のそれぞれの葛藤を捉え、さらに患者と家族の相互に影響を及ぼした葛藤も汲み取り意思決定を支えようとしている。病名、病状の説明や化学療法、人工呼吸器装着をするプロセスで看護師は複雑な葛藤を抱えながら看護介入を行なっている。

Y.1 看護師の役割葛藤構造

A氏とその家族(妻)の意思決定を支えようとする看護師の役割葛藤を構図化すると1のように示される。

 看護師は、患者と家族(妻)の間の葛藤を捉え、板ばさみ状況に置かれている。看護師は、両者の葛藤を感じながら、さらに看護師自らの判断に葛藤が生じていることが分かる。看護師の葛藤は価値の対立という3つの重層を抱えることになる。看護師は患者と家族の相反する意思決定に葛藤を感じながら@患者の自己決定の尊重:家族(妻)の意思の尊重、A患者/家族の意思の尊重:治療上の判断、B看護師の経験的判断:看護師の感情といった3つの役割葛藤が生じている。

看護師は、葛藤しながら5つの看護介入を行なっている。その結果、患者の希望が叶えられ、在宅医療が実現されている。しかし、イレッサ投薬や人工呼吸器装着は、家族(妻)の決定に従いたいというA氏の意思表示によって治療が行なわれている。A氏は人工呼吸器を装着してまで生きたくないとう思いを看護師に伝えている。その為、看護師は「本当にここまでして生きたいのか」といった疑念をもったまま、最終的に家族(妻)の意思を尊重する立場をとる。しかし、看護師はA氏の「人工呼吸器を装着したくない」といった意思を家族(妻)に伝えたうえで、家族(妻)の意思に従いたいという思いもA氏自身の決定であることを受け入れることに抵抗を感じ、さらに葛藤が生じている。

Y.2葛藤の中での看護介入

 看護師は、葛藤を感じながら次の看護介入を行なっている。

1)患者とのコミュニュケーション

・治療に対する思いを聴く。

・患者の家族への思いを聴く。

・死後について話す。

2)家族とのコミュニュケーション

・家族の治療に対する思いを聴く。

・家族の患者への思いを聴く。

・イレッサ投薬が本当に患者の望むことかどうか話合う。

3)患者/家族とのコミュニュケーション

・看護師が患者の意思を代弁し、家族に伝える。(「人工呼吸器をつけたくない」という患者の意思を伝える)

・患者と家族が話し合える場を設定する。

・家族が患者と話せるようにゼロボックス(電気人工喉頭発声器)の使用を試みる。

4)感情の共有化

・患者と家族と共に感情の共有化を図る。

5)情報の提供と調整

在宅医療が選択できる情報提供。
在宅医療ができる医師の紹介。

看護師は、多くの葛藤を抱えながら終末期を迎えた患者や家族、そして患者/家族の自己決定に関わるコミュニケーションを行なっている。看護師は治療上の意思を家族に伝えること、患者/家族と共に泣き、笑うという感情の共有化を行なうことで患者と家族の意思決定に介入している。患者が「自宅に帰りたい」と望んだ時には、在宅医療の情報を提供し、さらに近くにある往診できる医師に連絡をとるなどの調整を行なっている。看護師は葛藤しながらも家族と共に患者を中心としたケアを展開していることが分かる。

Z.1 看護師の葛藤と職業倫理

看護師の役割葛藤は患者と家族の相反する意思決定によって生じる板ばさみ状態にある。

看護師の葛藤のひとつには、職業倫理と個人としての倫理が相反する時におこると考えられる。看護師は、図1に示したように患者や家族の思いを理解しようとすることで患者/家族のそれぞれの葛藤を抱え込み、専門職としての役割と看護師自身の感情が対立することで、複雑で重層的な葛藤が生じることになる。

シードハウス(1988)は「ドラマチックな倫理」 が保健・医療で行われているモラルについての論争に重要な一角を形成しているという。保健・医療において生じる特有の「板ばさみの状況」、つまり、それはこちらを選んでもあちらを選んでも問題があるといった状況である。このような板ばさみの状況決定に関与しながらも日本の看護職は、医療・保健における治療決定にほとんど参与することがないのが現状ではないだろうか。しかし、全人的ケアを求められている限り、看護職が患者や家族の意向に沿った治療の決定に参与することが必要である。治療を受ける過程でも患者や家族の思いは常に変化している。また、一度決めたことを変更したとしても、決めたことがよかったかどうか戸惑うことも度々みられる。医療者は患者とその家族が決めた判断や決断を変えては、治療の手続き上、困るといった態度をとっていることはないだろうか。実際、患者または家族の生命に関わる治療決定に際しては、医療者から提供される情報不足やまた治療をやってみないと結果は分からないといったこともあって、「本当にこの決定で良いのだろうか」といった迷いが生じているケースもある。看護職は患者や家族の価値の対立間で揺れ動く感情へのプロセスに寄り添い、意思決定を尊重する態度が求められる。この場合、看護職にとってはある種の危機的な状況に追い込まれることになる。患者や家族にとって重大な変化が差し迫っていることで看護師自身も不安定で厳しい状況に身を置いていることが理解できる。

看護職と患者の間には、患者の思いが変化する可能性に対して常に開かれた関係性を維持することが求められている。また患者/家族の自己決定を配慮する看護職の役割は、個別的人間の自由と自律性、そして代理不可能性に対しての責任が要求されていることになる。

今回語った看護師は、治療決定を迫られる状況の中に在る人間の平均的な価値を考え、その行為の結果をあらかじめ可能な限り予測し、自らの看護行為に対する結果の責任を考慮にいれる立場を取ろうとしたと考える。患者/家族は情報不足の状況下で、治療の決定を医療者から迫られているのが日本医療の現状でもある。日本の看護職はこれまで患者/家族の自己決定を支える役割を積極的に担えなかったことに注目するべきである。

シードハウス 10 は、ドラマチックな問題の根底に常に存在し続けている問題として「持続する倫理」があると説明している。「持続する倫理」には、人格を具えている個人であるとはどのようなことか、自主性や自由をめぐる問題、人権などといった問題があると指摘している。

今回、語られた看護師の分析から、自己決定に関わる者にとって人格をめぐる問題が提示される。看護職は対象に向ける応答の発信者であり、人格である対象に向けて応答しようとする行為者でもある。その行為は、たとえ他者に委ねられた意思への応答行為であっても、ケアを求める人々への応答には変わりない。ケアする者は、ケアされる者によって、人格を具えた個人の応答役割を要求されることになる。シードハウスが述べているように板ばさみの状況は、「それだけで完結している」11のではなく、根底に「持続した倫理がある」という根拠を示している。

Z.2 応答する能力と良心

2000年、国際看護師協会(ICN)において、看護師の倫理に関する国際的な綱領が改定に至った。この「ICN看護師の倫理綱領」は、十分な情報を提供し、インフォームド・コンセントの促進と治療の選択・拒否権の実現を図るように社会の価値観とニーズに基づいた行動指針を示している。これまで日本の看護師は患者や家族に情報を提供し、インフォームド・コンセントの促進と治療の選択・拒否権の実現に介入することは少なく、患者や家族に診断や病状説明されるときに限って同席し、医師からどのような説明がされ、患者や家族がどのような反応をしたかを知ることに留まっていることが多いのが現実ではないだろうか。しかし、看護師は医師の説明で患者・家族が十分理解できない事柄や治療方針に納得できないのであれば、話し合いに参加し、患者・家族が納得できる場を提供できるように努力していく必要がある。もし、看護師が医師の説明に納得できずに迷っている患者や家族がいることを知り得るならば、見過ごすことなく医師に伝え、説明する時間を設定するように調整するか、また看護師から納得のいくまで説明する配慮が必要である。また、看護師がそれを見過ごすことのない敏感さも求められる。ダニエル12 によると、良心とは鋭敏な道徳的意識をもった状態にある道徳的に自覚的な自己である。看護実践することを専門職として鋭敏な道徳的意識を練磨していくには、価値への応答する能力、また感じとり応答する能力を育てることが大切だという。13 シスター・M・シモーヌ・ローチは、良心という用語について「道徳的意識を持つ状態」14 として定義し、感情的な応答は情動反応や感覚的状態ではなく、意図的な応答であり、考慮に基づいた有意味で合理的な応答であるという。また、マグイールは、価値に対する感情的な反応を「基礎となる道徳的経験」15 であり、ケアする者は「道徳への意識を備えたその時々の状態の中で道徳的に自覚をもった自己」16 としている。

石井トク 17 は、看護師の仕事は心身の健康が低下している状況にある患者が対象なので、ともすると看護師は優位に傾き、看護の仕事を利用し患者を支配下におこうとする誤りをおかしやすいことを指摘している。そして看護師として行為に誤りをおかさない為にも看護師に期待される人格は、職業倫理、個人倫理、社会倫理の3つの倫理観を合わせもつことが必要であると提示している。18 今日、看護師は医療と人権概念の社会的変化に対応し、健康を担う患者の主体性を重んじ、生活の質を共に思考することが求められている。このような社会的変化に対して看護師は、医療情報の開示に積極的に関与し、治療の選択や死の決定に責任をもつことが問われている。

Z.3 自己決定におけるコミュニケーション

患者は自らの意思を尊重してくれる人たちと共に過ごしたいと考える。しかし、今回語られた事例では、最初の患者の意思とは異なる決定をしている。そこでは、今まで共に暮らした妻が生きてほしいという切実な願いから積極的な治療を選択している。患者は自らの命の選択を家族である妻に託し、自らが苦しくても妻が望むならば、その治療に応じようとする。妻の思うようにさせることを意思表示し、妻のために生きようする患者の姿がある。しかし、看護師には患者が自らの意思を退け、最終的に妻の決定で治療されていくことに葛藤がある。看護師は「イレッサ投与するより緩和ケアに切り替えた方が安らかな死が迎えられるのではないか」「人工呼吸器をしてまで生きたくないといっていながら妻が望むならそれでよい」と意思決定することに「本当にここまでして生きたいのだろうか」という葛藤を感じている。このような看護師の葛藤は、患者自身の意思を尊重することの戸惑いでもあり、また看護師自身の良心の叫びと言えるかもしれない。

アドバンス・デレクティブ(事前指定書)の同意があっても度々看護師には、葛藤が生じるという。それは意思決定が、患者の過去の体験によって影響を受けることや常に変化する患者の思いに看護師が無関心ではいられないからであろう。このことは、変化する患者の思いや変更する意思決定のプロセスを共にすることが看護師の役割であることを示している。患者、家族、そして患者/家族のコミュニケーションは、看護職だけが担うものではなく、医療の主体が患者である限り、患者・家族を含めた各専門職種との対話が求められる。その対話に同じような状況を抱えた患者、家族が加わり、同じ境遇にあった時、どのような意思決定をしたか。またその時、どのような情報が必要であったかなどの体験を聴くことができれば患者や家族に納得のいく意思決定を支えることができるのではないだろうか。この場合、問題となるのは体験を情報提供する患者、家族のプライバシー保護である。看護師は、患者や家族の体験から学ぶ場にあっても患者、家族のプライバシー保護といった問題にも積極的に取り組む必要がある。このようなプライバシー保護に関する問題は、石井が指摘した職業倫理、個人倫理、社会倫理に共通する倫理問題である。看護師が関わる患者、家族、そして患者/家族のコミュニケーションにも重要な倫理的問題が含まれており、それは継続して問われなければならない問題である。

[.意思決定を支える看護師の今後の課題

 看護職の役割は、生活者の生活の質を高めることである。しかし、死を迎える患者を前にして看護師の役割は、死に向かうプロセスを支えることでもある。医療上の問題として意思決定能力が議論されている。しかし、患者本人に十分な意思決定能力があったとしても、患者が決定できるまでの十分な情報がどれだけ提供されているかは疑問が残る。ほとんどの患者は、情報不足のまま意思決定が迫られているといってよい。法的な権利としての「自己決定」の考えは、英米法のプライバシー権から発展してきたといわれている 19。自分のことは自分で決めるという考えに基づいた自己決定権は、自己判断に基づいて個人の生き方の自由を追求することを可能にしようとするものである。患者は、自らの生活の質を高める為に医療情報だけでなく、生活を営む為の情報、つまりどのように生きることを選択するか、どのように自らの死を迎えるか、自分らしい死のプロセスを選ぶ情報が必要となる。患者にとっては良い情報だけでなく、悪い情報も自己決定する判断材料となる。情報は医療者だけのものでなく共有できる体制が求められる。もっとも大切な情報は何かを考えるのでなく、患者がどのような情報があれば自己決定できるかといったことや、どのような情報をいつ、だれが、どのように提供できるかの検討がなされない限り、患者本人の自己決定権を行使することは困難な状況にあるのが現実である。医療の現場は複雑なシステムの中で多種の専門職が多忙な仕事をこなしている。その為、患者に適切な情報を提供することが困難な状況にある。患者の日常生活に最も身近な存在である看護職は、治療に関わる判断に限らず、個人の生活にそった情報提供ができるように多種の専門職への連絡、調整が求められる。情報不足のままに意思決定を迫られる患者/家族は、危機的状況に置かれることになる。患者やその家族は、病名や病状の変化を知った直後に治療上の意思決定を求められることも多い。患者や家族は生命の危機的状況に置かれながら、さらに複雑な医療システムの中に投げ込まれ、混乱状況のままに孤立させられることになる。看護職は患者や家族の動揺を敏感に捉え、各職種から適切な時期に適切な情報を提供されるような連携役割が求められている。看護師の役割は常に新たな実践経験と修正のプロセスを辿ることになる。

おわりに

 これまで臨床の現場から思考や感情を共有化することの重要性について議論される機会が少なかったと考える。今回の看護師の語り(ナラティブ)は、一人の患者の病状変化に伴って治療に対する意思表示が変化する中で、最終的には家族(妻)の意見に従うことによって葛藤が生じた事例である。患者とその家族は、極限状態に置かれながら決断をせまられたに違いない。看護師は患者や家族と感情を共有しながら、患者や家族の思いに耳を傾け、患者の意思を尊重しつつ家族に患者の意思を伝達するなど適切な判断を行っている。このような事例は、けっして個人的な出来事や衝撃的な特殊事例ではないかもしれない。本研究の事例は意思決定に関わる倫理的側面を多く抱えている。今回の分析が日常的な倫理的問題を含む事例として問題提起できればと思う。また、臨床現場で日々葛藤の連続を体験しながらケアの提供に努力している看護職の方々の力添えになればと考える。

謝辞

この研究をするにあたって、看護師の語りを聴きながら、事態の重大さに思わず息を呑む場面が度々あった。また看護師と患者が共同思考しながら意思決定することの厳しさと辛さを感じずにはいられなかった。看護師が語りに応じてくれた時期は、必ずしも動揺や葛藤がなくなった状況でないこともあって、思わず涙する場面もあった。そんな厳しい状況でも最後まで語ることに協力して頂き心から感謝します。またこの研究に賛同して下さった患者さま、その家族のみなさま、そしてこの研究をまとめるにあたって助言を下さった臨床哲学のみなさまに深く感謝致します。

 

〈註〉(引用・参考文献含む)

  アドバンス・ディレクティブ(事前指定書:advance directive):医療行為について意思決定を行う能力をなくした時のために、患者が前もって示した医療行為に関するあらゆる意向を差す。文書でも口頭でも有効であるが、書面の供述を作成するという手間からも、書面の方がより重視されている。事前指示は、患者が意思決定能力を失った場合の適用はもちろんのこと、患者の意思決定能力が残っている場合でも、患者が将来において受ける治療の種類について希望することを可能にしている。事前指示は米国のほとんどの州で法的効力をもつ。過去20年以上に渡って、Karen Ann QuinlanNancy Cruzanの裁判といったいくつかの影響力の大きい裁判の中で、終末期ケアへの国民の関心は起きてきた。これらの裁判とその国民的関心が終末期ケアを決定する患者の権利の法制化へとつながっていった。http://med-econ.umin.ac.jp

  Trisha Greenhalgh, Brian Hurwitz, Narrative Based Medicine: Dialogue and Discourse in Clinical Practice, BMJ Books 1998.(トリシャ・グリーンハル、ブライアン・ハーウィッツ編集、斎藤清二、山本和利、岸本寛史監訳、ナラティブ・ベイスト・メディスン 臨床における物語と対話、金剛出版2001p.8

  イレッサ:[効能・効果]手術不能又は再発非小細胞肺癌[用法・用量]通常、成人には250rを11回、経口投与する。[副作用]1.慎重投与:肝機能障害のある患者、2.重要な基本的注意(1)急性肺障害、間質性肺炎等の重篤な副作用が起きることがあり、致命的な経過をたどることがある。第U相国際共同臨床試験(本剤250r/日投与群)において、日本人副作用評価対象例51例中50例(98.0%)に副作用が認められ、主な副作用は、発疹32例(62.7%)、下痢25例(49.0%)、そう痒症25例(49.0%)、皮膚乾燥17例(33.3%)等であった。また、本試験における外国人副作用評価対象例52例中38例(73.1%)に副作用が認められ、主な副作用は、発疹16例(30.8%)、下痢16例(30.8%)、皮膚乾燥11例(21.2%)であった。アストラゼネカ株式会社資料提供

  ワトソンの現象学的記述方法:記述的現象学的方法論は、経験された時に使われた言葉を用い経験が記述ないし解釈される。また、人間にまつわる経験を、意識に現れた通りに、理解し記述する。これらの経験には、このようなヒューマンケアとして現れる現象だけでなく、健康‐不健康という心身の状態に関連した経験、例えば、対象喪失‐悲しいということ、不安、希望、絶望、愛、孤独、精神的自己、意識の高次の感覚、関連した人間の経験と実存の概念などまで含まれる。人間に関する経験、すなわちその種類と構造、主観的意識、本質、かかわり方が、現象学的研究の主題である。Husserlは、経験を現象学的に分析することと心理学的に分析することとに区別することに関心があった。この意味での心理学は、起きた状況の中へ経験を置いてそのありようを記述し一般化するとともに、経験を、経験世界の中において経験のみによって知ることのできる出来事として研究する経験科学と考えられる。

現象学的手法で研究を行なっているZanerによれば、現象学的方法では、世界がどのように経験され人の知るところとなるか、つまり、世界についての経験の「様態」を考えることが重要だという。その場合、「現象学的還元」が必要になるが、その方法では、経験された事態だけでなく、経験の仕方あるいは形態が考察されることになる。現象学的還元は、そのままの形で信じられている事柄、あるいは自然的意識による定位を決して否定するのではなく、その遂行を「保留」し、自分もそれに身を入れて行うことを「やめて」そこへ反省の眼を向ける。このように還元という行為はシステマティックな行為であって、そこでは、なにが経験されたかという経験の「事態」だけでなく、どのように経験されたかという経験の「様態」についての自然的態度が考察されることになる。

Zaner, R.: On the sense of method of phenomenology. InE. Pivcevic(Ed.),

Phenomenology and Philosophical Understanding, London: Cambridge University Press,1975,125-140.

Jean Watson, Nursing: Human Science and Human Care; A Theory of Nursingジーン ワトソン、稲岡文昭、稲岡光子訳、ワトソン看護論−人間科学とヒューマンケア、医学書院、1997p.115-121

  ナルコーシス:炭酸ガスナルコーシスcarbon dioxide narcosis CO2 narcosis

《二酸化炭素(CO2)ナルコーシス、炭酸ガス蓄積状態;carbon dioxide retention

CO2中毒症候群の重傷型で、肺胞換気量の低下により高炭酸ガス血症をきたし、意識障害をきたした状態。頭痛、発汗、顔面紅潮、血圧上昇に始まり、しだいに傾眠から昏睡に陥る。既存の換気障害に呼吸器感染、心不全のmmHg中枢抑制に投与したときに誘発される。脳内PCO2100mmHg近くから意識障害は起こり、200mmHgを超えると完全な麻酔状態となる。CO2自体に麻酔作用があるが、CO2蓄積に伴う脳細胞内アシドーシスも意識低下に関与していると思われる。最新医学大事典第2版、医歯薬出版株式会社

  セデーション:Morita 1)らは体系的文献検索に基づいて、セデーションを耐え難い(intolerable)、治療抵抗性(refractory)苦痛を、患者の意識を低下させることによって緩和するために、鎮痛作用のある薬物を投与することと定義している。つまり、セデーションの意図としては患者の意識を低下させることにより苦痛を緩和することであり、方法として鎮痛作用のある薬物を苦痛が緩和されるだけ投与することであり、その結果は苦痛が緩和されることである2)。この点から、いわゆる積極的安楽死とは明らかに異なる医療行為と考えられている。結果として死に至る深い持続的なセデーションについては、苦痛を軽減する処置が派生的に生命短縮を伴う間接的安楽死との関係がしばしば議論の対象となってきた。

1) Morita TTsuneto SShima Y: Defintion of sedation for symptom reliefa systematic review and a proposal of operational criteria, J Pain Sympton Manage 24:447-543, 2002

2) EAPC Ethics task force on palliative care and euthanasia: Euthanasia and physician-assisted-suicide, a view form an EAPC Ethics task force, Eur J Palliat Care 10:63-66, 2003

  昇圧剤:[英hypertensive drug]抗低血圧薬 [antihypotensivedrug] 低血圧状態、循環虚脱の時、血圧を上昇させるために使う薬物。α2作用を有するノルアドレナリン、アドレナリン、メタラミノール、メトキサミン、オキセドリン、フェニレフリン、ヒドロキシアンフェタミン、ホレドリン、エフェドリン、メフェンテルミン、シクロペントラミン、メチルアミノヘペタンおよびドパミン。しかし、ショックの原因となっている血液、体液量の是正の方も大切である。最近、アンギオテンシンアミドが昇圧剤として用いられることもある。鈴木正二編集、医学大事典、南山堂、1991p.640

  Jan Reed, Ian Ground, Philosophy for Nursing.(ジャン・リード、イアン・グラウンド著、原信田実訳、考える看護 ナースのための哲学入門、医学書院2001p156-159

  前掲書(註8p.158

10  前掲書(註8p.159-160

11  前掲書(註8p.158

12  Daniel C. Maguire, The Moral Choice (New York: Doubleday &Co.,1978),p.371

13  M. Simone Roach, The Human Act of Caring, Canadian Hospital Association Press(シスター・M・シモーヌ・ローチ著、鈴木智之、操華子、森岡崇訳、アクト・オブ・ケアリング−ケアする存在としての人間、ゆるみ出版、1996p.107

14  前掲書(註13p.107

15  前掲書(註12p.84

16  前掲書(註12p.371

17  石井トク著、看護の倫理学、丸善株式会社、2002p.7

18  前掲書(註17p.9

19  森岡正博編集、「ささえあい」の人間学、法蔵館、1994p17-1825-29