The 14th International Symposium on Variants in the Genomeに参加して(大橋範子)

6月5日から7日にかけて、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラで開催された、ゲノム解析・バリアントの検索と解釈をテーマとするThe 14th International Symposium on Variants in the Genomeに、当研究室の三成寿作助教、山本奈津子特任助教とともに参加してきました。両名はそれぞれ”A New Initiative and Data Sharing Approach for Genetic Medicine in Japan”(三成)、”Creating new national variation databases and their regulatory environments in Japan”(山本)というタイトルでポスター発表を行っています。 当初、この学術会議は、DNA内の変異・バリアントを検索するために開発された手法に特化する形で、1991年にオックスフォードで始まったそうです。 さて、今回のシンポジウムでは、さまざまなバリアントのデータベース構築やその利活用について、各国の研究者や機関から報告があり、世界各地におけるこの分野の進展について知ることができました。 いくつか紹介しますと、ゲノミクスイングランドからは100000 Genomes Projectの経緯と成果、特にゲノムデータの中央への集約とインフラ整備についての報告が、またInternational Society for Forensic Genetics(ISFG)からは、ミトコンドリアDNAデータの解釈にとって重要なデータベース検索の際、アノテーションの仕方がfrequencyの評価に影響し、それが犯人性の特定に関わってくるという興味深い発表がありました。 その他、遺伝子乳がん・卵巣がん(HBOC)の原因となるBRCA1/2の塩基配列解析においてVUSと判定されたもののpriority決定のための統一化されたフレームワーク構築や、laboratory内及びlaboratory間におけるバリアント解釈の調整をどうするかという課題など多彩なテーマが取り上げられ、充実した3日間でした。 最後になりましたが、サンチャゴ・デ・コンポステラはスペインのガリシア地方の都市で、聖ヤコブゆかりの巡礼地として知られ、旧市街は世界遺産にもなっています。旧市街には、聖ヤコブの棺を納めた大聖堂や伝統あるサンチャゴ・デ・コンポステラ大学など由緒ある建造物が溢れ、今も長い歴史が息づいていることを感じさせてくれます。学会会場となったNH Collection Santiago de Compostelaはこの旧市街から徒歩で10分ほどのところにあり、みずみずしい新緑に彩られていました。大変恵まれた環境の中、勉強させていただいたと思っています。

第34回日本ロボット学会学術講演会(山形、2016年9月7~9日)に参加してきました。(恋水諄源)

縁あって、日本ロボット学会学術講演会の「ロボットの社会的価値を考える」というセッションで発表をしてきました。現在研究中の、介護ロボットのELSIについて、海外での文献上の議論を中心に報告しました。 セッションテーマは介護ロボットに限ったものではなく、人とロボットの相互作用(Human-Robot Interaction; HRI)、ロボットの倫理、社会におけるロボットの位置づけ、といった切り口から、介護ロボット、自動運転車、その他の実験的ロボットなど、様々なロボットについて議論が行われました。 このセッションは昨年も同じテーマで開かれていましたが、座長の先生いわく、昨年より聴衆は多かったということです。人と関わるロボットが次々に発売されている現状をうけて、ロボットと社会の関わり方への注目が集まりつつある、ということでしょうか。私の発表に対しても多数の質問をいただき、聞いていただいた方々の関心の高さを感じました。 日本ロボット学会に参加するのは初めてで、参加しているのは工学系の研究者ばかりかと思っていたのですが、人文学の研究者や、医師の参加もあり、意外と学際的な(少なくとも医学の学会よりは)雰囲気を感じました。さらに医療ロボットについての研究や、人間の動きを分析研究を取り上げたセッションも聞きながら、もっと工学系研究者と医療者のインタラクションが増えていってもいいのではないかな、と感じました。 しかしその一方で、他分野の人々と協働していくためには、専門外の人に訴えかけ、専門外のことを理解するための、分野横断リテラシーともいうべき知識・技術・作法が必要だな、ということも、改めて感じました。教養、とも言えるのかもしれませんが、そう言ってしまうと、私には何となく浅く聞こえてしまいます。もっとこう、サイエンス+アート、的な奥深い何かなのではないかと…。 何を言っているか分からなくなってきましたが、ともあれ、非常に勉強になった3日間でした。

第33回渋沢・クローデル賞特別賞を受賞しました。(小門穂)

このたび、拙著『フランスの生命倫理法 生殖医療の用いられ方』(2015年、ナカニシヤ出版)が、第33回渋沢・クローデル賞特別賞を受賞しました。 http://www.mfjtokyo.or.jp/mfjtokyo2/events/shibukuro.html 2016年6月24日(金)に、日仏会館(東京)にて授賞式が開催されました。 このような賞をいただくことになりたいへん光栄に思っております。 たくさんの方々に支えられて研究を続けてこられたことに心より感謝しております。 本書では、1970年代末の体外受精技術登場以降の生殖補助医療の発展と広がりに対してフランス社会がどのようなルールを作って対応してきたかを扱いました。 なかでも、生殖補助医療を受けられる人についての規定に着目し、誰が医療技術を介して親になることが認められているのか、生殖補助医療に関するルールはどのように作られ、なにを守ろうとしているのかを考えました。 フランスにおける生殖補助医療をとりまく制度や制度をめぐる議論から、生殖補助医療に対するフランスの対応はどのような理念に基づくものなのかということを明らかにすることを試みたものです。 お手にとっていただけますと幸いです。

「HTAi2016に参加して」(吉澤剛)

ヘルステクノロジーアセスメント(HTA)の国際学会であるHealth Technology Assessment international (HTAi)の年次大会が「価値と根拠に沿ったヘルスケアの意思決定」というテーマのもと、2016年5月10日から14日まで東京で開催されました。HTAは「医療技術評価」という名称で知られ、2012年度に創設された中医協の費用対効果評価専門部会で制度化の議論が進められてきました。2016年度は診療報酬改定において試行的導入がなされるというタイミングで日本では初となる大会開催ということで、主催者の強い意気込みを感じます。  大会最初の2日はワークショップが主体のプレ会合という位置づけで、HTAとは何かという入門的なものから多様な意思決定ツールの紹介など専門的な話題まで複数のセッションが並行して進められました。患者の視点や付加価値について各国の関係者が学びあうというセッションでは、カナダやイギリスのHTA機関の取り組みにおいてプロセスの随所に患者や市民が参画できる機会が設けられており、欧州や台湾の製薬協なども関心を持って患者との連携を模索しているという現状が共有されました。後半の3日間は基調講演のほか、パネルディスカッションや口頭発表が中心の本会議として、多角的な話題提供と議論が繰り広げられました。興味深かったのはHTAにおけるホライズン・スキャニングへの取り組みで、新しい医療技術についての将来的な論点の洗い出しを患者や医療従事者とともに行う活動がイギリスやカナダで進みつつあることです。また、患者の価値をめぐるセッションで印象に残ったのは、心臓発作で死線を彷徨った患者が適正な医療を受けて全快したことをきっかけに患者代表としてHTAに関わるようになったというくだりでした。この大会では全体的に患者団体や医療従事者の参加が少なかったのですが、このセッションは参加者が多彩で、これからのHTAに向けた重要な問題提起をしていることから、ぜひ日本の多くの関係者にメッセージが届くことが期待されます。  日本版HTAは、医療技術の保険収載の判断材料としての費用対効果評価であり、医療費削減のための一つのツールという認識に傾きがちです。かつてテクノロジーアセスメントが「技術評価」という視点に押し込められていた時代からの教訓を踏まえるならば、より上流における俯瞰的・システム的分析と、患者や市民の有する公共的価値を交えた協働的な評価体制の構築がとりわけ重要になってくると見られます。それはHTAの制度化が始まったばかりの現在だからこそ取り組まなければならない活動ではないでしょうか。会場では日本の企業関係者や研究者の姿も散見されましたが、開催地としては参加者数も多様さも控えめで、各方面への意識啓発や人材育成が今後の課題として浮かび上がりました。

「ドイツ・ボンより」 (吉澤 剛)

ドイツのボンはライン川のほとりに佇む小さな街で、旧西ドイツの首都やベートーヴェンの生地として知られています。社会主義者で哲学者のモーゼス・ヘスが生誕した場所でもあり、ライン川の左岸沿いにその名を冠した短い通りと、その側にダビデの星と石碑がひっそりと置かれています。ヘスは「理論的なものこそがほんとうに実践的なものだ」という問題意識とともに行為の哲学を志向しました。こうした二律背反はドイツ哲学の脈流にもなっており、現代のドイツにおける倫理や政策を考えるうえでも意義深いものがあります。 福島の原発事故を受け、ドイツは「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」の報告によって脱原発政策へと転換しました。地方分権の長い伝統を持つドイツでも、政策議題の倫理的な側面について国家的な意思表明が模索されることは、日本における倫理や政策のあり方を振り返るよい機会となります。 ここでは、どの分野の社会科学においても倫理という言葉が日常的に見られ、確立された個人がおのおの倫理を持ち、ぶつけあっている印象があります。対して日本では、研究では学派の細分化と、実務では状況倫理が広まり、倫理学に関する分野や文脈どうしの懸隔が一つの課題といえます。ドイツのように個人の倫理が国家の倫理にまで昇華されることのおそれは、そのコントラストとして、日本のように個人の分人化した倫理によって日和見な意思決定が専横するおそれを浮かび上がらせています。個人として倫理を持つこと、それが国家や局所的なシステムに回収されないだけの多様性の強度を持つこと、その挑戦は理論と実践との融和として未来に生きる私たちに突きつけられた大きな題目ではないでしょうか。

「『卵子提供─美談の裏側』上映会を開催しました」 (小門 穂)

 2014年9月19日(金)17時から、大阪大学最先端イノベーション研究棟3階演習室1にて、「代理出産を問い直す会」と大阪大学大学院医学系研究科医の倫理と公共政策学の主催で、『卵子提供─美談の裏側」』上映会を行いました。大阪大学内外から37名が参加しました。   『卵子提供─美談の裏側』(原題:Eggsploitation)は、米国NPO団体The Center for Bioethics and Culture Network(以下CBC)が2010年にリリースしたドキュメンタリーフィルムです。卵子提供者を対象とするインタビューを中心に構成されており、米国内外の大学などで上映されています。  2013年に新たな事例を加え再編集した新版が発表され、代理出産を問い直す会(代表:柳原良江、東京電機大学)がCBCとの交渉・合意を経て、新版を翻訳しました。翻訳完成後は、東京大学、久留米大学、明治学院大学、立命館大学などで日本各地において上映会を行っており、その一環として本上映会が企画されました。  上映会では、まず柳原良江さんからアメリカにおける卵子提供の実情や代理出産を問い直す会立ち上げの経緯などについて解説されました。続いて、45分間の映画上映が行われ、柳原さんから補足説明がありました。その後、加藤和人(大阪大学)がコメントし、柳原さんと土屋貴志さん(大阪市立大学)の対談に続き、柳原さん・土屋さんとフロアとのディスカッションが行われました。  映画では、商業的提供を行っている斡旋業者のもとで卵子提供を行った提供者へのインタビューから、リスクに関する説明が不十分であることや過剰な排卵誘発を受けさせられていることがみてとれます。このような状況を認識した後のディスカッションでは、商業ベースであるからこのような状況が起こるのではないか、日本ではよりよい/ましな方法で卵子提供を行うことができるのではないか、という意見や、医療的なリスクの問題ではなくそもそも他者の身体に負担をかける行為は社会的に許容できないのではないか、などの意見が出されました。  日本でも卵子提供は開始されようとしています。そのような中で、生殖補助医療を臨床の場で実施している医療関係者や関連の医学研究者や、生殖補助医療やより広く人体の利用に対して生命倫理的なアプローチを行っている研究者らが一堂に会してディスカッションする機会を持てたことをたいへん喜ばしく思いました。   

「短期留学:オックスフォード大より」 (三成 寿作)

 6月中旬より、オックスフォード大学のHeLEX(Health, Law and Emerging Technologies)センターに滞在しています。3ヶ月という比較的に短い期間ではありますが、貴重な日々を過ごさせていただいています。こちらでは、Jane Kaye先生、また彼女のチームメンバーに大変お世話になっており、ヒトゲノム研究における倫理的・法的・社会的課題に関する研究を進めています。 具体的には、情報通信技術(ICT)を利用した、研究協力者のゲノム研究への関わり方について検討しており、特に、研究協力者を研究を実施する上でのパートナーとして位置づけ、一度限りではなく継続的なインフォームド・コンセントの実践方法について模索しているところです。ヒトゲノム研究では、大規模な個人の全遺伝情報の解析が可能になり、また研究協力者からの試料や遺伝情報を研究者間で幅広く共有し利活用する状況になってきているため、これまでの倫理的な枠組みや方法論について再考していく必要があります。このような研究を進めることで、研究協力者を配慮した研究の進め方に対し新たなアプローチを提案していきたいと思います。