研究内容Research

はじめに

我々の研究室では哺乳類の生殖細胞系列の発生機構について研究しています。生殖細胞系列は体を構成する200種類以上ある細胞系列の中で唯一次世代の個体を作り出すことのできる細胞系列です。生殖細胞以外の体細胞は時間の経過と共に形や機能を変えて最終的に個体と共に死を迎えますが、生殖細胞のみは時間の経過とともに発生の始まりである受精卵に戻ることができます(図1)。そればかりでなく、両親から受け継いだゲノムを混合することにより個体の遺伝的多様性を作り出しています。このように生命を力強く紡ぐために、生殖細胞系列は様々な過程を踏んでいますが、そのひとつひとつを理解することが我々の取り組む生殖細胞学です。
この中で我々は卵子に至る卵母細胞系列が作り上げられる過程について細胞培養、ゲノム編集、イメージング、オミクス解析などの技術を駆使して解析しています。また明らかになった知見をもとに、多能性幹細胞を使って生殖細胞を作り上げる再構築技術の開発を行なっています。これらの研究成果は、生殖細胞学の深化に貢献するばかりでなく、不妊の原因究明やその解決のための技術開発、産業動物の育種の向上、さらには絶滅危惧種の繁殖に貢献すると考えています。詳しくは各研究内容をご覧頂ければと思います。

図1 生殖細胞系列の分化過程:受精卵に卵割を繰り返したのちに胚盤胞となる。その後、着床後に胚の一部から始原生殖細胞が分化する。初期の始原生殖細胞は胚体外に位置するが、発生に従い生殖巣(将来の卵巣や精巣)に移動する。生殖巣では周囲の体細胞から性特異的なシグナルを受けて、卵巣では卵子に、精巣では精子に分化する。この分化過程は、大きくは哺乳類で保存されていると考えられているが、シグナルの種類や発生にかかる時間は異なる。

Research 01
配偶子の雌雄特異的な形成機構とは?

有性生殖を行う多くの種において、雌雄で配偶子の形態や機能が大きく異なる異形配偶子システムが採用されている。哺乳類の配偶子における形態的な雌雄差は減数分裂移行後に顕著になる。すなわち、初期の卵母細胞と精母細胞は極めて類似しているが、その後の過程において形態が急激に変化する(図2)。この形態変化には性腺の体細胞が重要な役割を担う一方で、生殖細胞内因性のメカニズムも寄与している。藻類(クラミドモナス、ユードリナ、ボルボックス)などのモデルから多細胞化の初期にすでに異形配偶子の出現が認められることや、これらの性決定遺伝子は生殖細胞系列の性差を決定する機能をもつことから、むしろ生殖細胞内因性のメカニズムが異形配偶子の形成を支える原点であるように思える。しかしながら、哺乳類においてこのメカニズムに焦点を当てた研究は少ない。この理由として、生殖細胞の発生過程の培養は雌雄ともに難しく、ロバストな実験系の構築が難しいことにあった。このような状況のなか、我々の研究室では、ES/iPS細胞から生殖細胞を分化する培養系を確立し、その実験系を用いて卵子の形態形成に十分な転写因子群(NOBOX、FIGLA、LHX8、TBPL2)を同定した(図2)。興味深いことにこれらの転写因子をES/iPS細胞に強制発現させると、受精すらも可能な卵子様の細胞に形質転換する。このことはマウスにおいては4つの転写因子が異形配偶子を形成する重要なHub遺伝子であることを示唆している。この研究では、これらの転写因子群が卵母細胞の形成においてゲノムのどのよう機能を引き出すかについて、おもに遺伝子発現ネットワーク、エピゲノム変動に焦点を絞って解析している。またこれらの解析を通して、配偶子の性差を構築するメカニズムについてアプローチしている。

図2 哺乳類における異形配偶子の形成:(上)生殖腺では周囲の体細胞の環境に応じて、雌雄で異なる機能や形態をもつ配偶子が分化する。配偶子の分化過程において、減数分裂以降初期の卵母細胞と精母細胞の間には明らかな形態的な性差は認められないが、その後の卵母細胞の成長または精母細胞の減数分裂の完了に従い、おおきな性差が生じる。マウス卵子の形態形成にはNOBOX、FIGLA、LHX8、TBPL2の転写因子が重要である。(下)これらの転写因子をES細胞に強制発現させると、卵子様の細胞に形質転換する。

Research 02
卵母細胞が卵巣の中で休眠するメカニズムとは?

哺乳類の個体における生殖能力の維持機構は雌雄で大きく異なる。雄では自己増殖する精子幹細胞が継続的な多数の精子の産生を支えるのに対し、雌では胎児期に減数分裂に移行するためにそれ以上は増殖せず、未熟なまま発生を休止(休眠)した卵母細胞の一部が周期的に発生を再開(起動)することにより継続的な少数の卵子の産生を支える(図3)。卵母細胞の休眠と起動のバランスは卵巣中の卵母細胞の残存数を規定しており、雌の生殖機能の維持に極めて重要であるが、そのバランスを制御するメカニズムは不明な点が多い。これまでにマウスを用いた研究から、卵母細胞の休眠に必要な転写因子として転写因子FOXOファミリーの一員であるFOXO3が単離されている。FOXO3が欠損したマウスでは、すべての卵母細胞において休眠が解除されて、未熟な卵母細胞が卵巣の中からたちまち消えてしまう(早期閉経と同様の状態になる)。FOXOファミリーは線虫やショウジョウバエなどでは個体の寿命を延長させる機能をもつことで着目されているが、卵母細胞系列においても同様に未熟な卵母細胞を休眠状態におくことにより、細胞寿命を延ばしている可能性がある(図3)。我々の研究室では、卵母細胞を休眠させる環境因子の解明とともにFOXO3を起点とした遺伝子ネットワークについて解析している。この遺伝子ネットワークの解明は卵巣内の未熟な卵母細胞の維持メカニズム(ヒトでは40年以上維持されている!)の理解に貢献するほか、その人為的制御により生殖可能年齢の延長にも貢献する可能性をもつ。

図3 卵巣中における未熟卵母細胞の休眠状態の維持:(上)卵巣中の卵母細胞のほとんどは休眠状態となり、周期的な卵母細胞の活性化に備える。休眠と活性化のバランスは、不明な点が多いが、マウスでは転写因子FOXO3が重要なはたらきをもち、FOXO3が核内にいるときは休眠するが、核外移行に伴い活性化する。(下)FOXOファミリーは成長因子やストレスに応じて、おもに細胞の品質維持に関わる反応に寄与している。しかしながらFOXO3の卵母細胞における遺伝子カスケードは不明である。

Research 03
卵母細胞系列の品質維持機構とは?

卵母細胞系列はゲノムを伝達するほか、細胞質に蓄えたタンパク質やオルガネラを次世代に継承する。細胞質からの遺伝は母性遺伝として知られているが、ミトコンドリアの遺伝様式および品質管理機構については不明な点が多い。ミトコンドリアの中には電子伝達系に必須なタンパク質をコードする独自の環状DNA(mtDNA)があり、mtDNAの変異はミトコンドリア病に総称される疾患の原因となる。mtDNAは活性酸素などを多く生じるミトコンドリア内にあるために変異の割合が核ゲノムと比較して多いことが知られている。しかも母性遺伝のために、両親から遺伝する核ゲノムのように減数分裂時における大規模なDNA修復過程も存在しない。このような不利な状況にある中でも、不思議とmtDNAは世代を超えて安定的に保たれている(図4)。これを説明するモデルはいくつか存在するが、未だに確固たる知見はなく、このメカニズムは生殖生物学において長年の謎として残されている。我々の研究室では筑波大学との共同研究で、mtDNAに変異をもつマウスとそれらから樹立したiPS細胞を用いて、卵母細胞系列におけるmtDNAのトラッキングを行い、mtDNAの品質管理機構の解明を行なっている。この解明は生殖細胞がもつ遺伝物質の品質管理機構の理解に貢献するほか、ミトコンドリア病の原因究明や予防法の開発などに寄与すると考えられる。

図4 生殖細胞系列におけるミトコンドリアDNA(mtDNA)の維持:mtDNAは母性遺伝であるが、その変異率は世代により異なる。マウスモデルでは生殖細胞系列において変異mtDNAは排除されることが知られているが、いつどのように起こっているかについては不明である。(図はモデルであり、変異mtDNAが卵子形成過程で消失することを決定しているものではない)

Research 04
in vitro gametogenesis:卵子や精子を作る。

ES/iPS細胞は体を構成するすべての細胞になる能力を有する。この性質を利用して、機能が失われた細胞や組織を再生する研究は盛んに行われており、生殖細胞系列についても例外ではない。われわれの研究室は世界にさきがけて、マウスES/iPS細胞から配偶子のもととなる始原生殖細胞を分化誘導することに成功し、それを基盤として機能的な卵子や精子幹細胞を分化誘導することに成功している。また近年では、配偶子の成熟に必須な卵巣の体細胞組織についてもES/iPS細胞から分化誘導することに成功している(図5)。これらのES/iPS細胞から配偶子の発生過程を再現するin vitro gametogenesisは生殖細胞学における一つの潮流となり、複雑な生殖細胞の発生過程を解析するための実験手法の提供や体外培養系による配偶子の供給源として期待されている。しかしながら、現状のin vitro gametogenesisは様々な課題を抱えている。ひとつは体外培養系で作られた配偶子の発生率の低さであり、もうひとつはこれまで成功しているマウス以外の動物への応用である。我々の研究室では、in vitro gametogenesisで作られる配偶子の品質向上を目指した試みを行っているほか、in vitro gametogenesisをマウス以外の動物種(ヒト、サル、ウシ、シロサイ)に応用するための研究を行っている。シロサイにおいては、ドイツ、アメリカ、イタリア、チェコ、ケニアなどの多国間共同研究により、絶滅危惧種を繁殖させる技術の開発を行っている。

図5 in vitro gametogenesisの概要:ES細胞やiPS細胞などの多能性幹細胞を用いて、生殖細胞の分化過程を体外培養系で再現して、最終的に機能的な配偶子を分化誘導することをin vitro gametogenesisという。この技術は生殖細胞の分化メカニズムを明らかにするツールとして有用であるほか、生殖補助医療の開発にも貢献する。