私のセレンディピティ体験


化学第48巻9号(1993年)より抜粋

インターロイキン6の発見と全構造決定に成功
----しかし、それは他分野の研究者によっても追及されていた----
平野俊夫

神経増殖因子(NGF)が、神経組織からではなく、顎下腺からNGFが精製されたことは典型的なセレンディピティの例であるという記載があった〔Nature,323,213,1993)。サイエンスの進展時にはよく語り草になる一つの例である。過去を振り返ってみてもセレンディピティなくして生命科学の進展はなかったであろう。私の個人的な免疫学におけるささやかな体験においても、セレンディピティは幸連にも何回か私を訪れてくれた。
生命科学においては,少なくとも二種類の研究が存在すると私は常づね考えている.ぞの一つは,理論的に考えて、あるいは実証的なデータに基づいて、このようにすれば必ず予期された結果がでるタイプの研究である。例えば、ある生理活性分子の精製とか、その遺伝子クローニングなどは,実験データからその存在が予知でき、いかなる困難があっても必ず結果がでるはずである。もう一つは,予期に反する結果であるとか,当人が夢にも考えなかったような事実を目の前にするケースである。その事実が重要であればあるほど、この瞬間こそが科学に従事しているものにとって筆舌につくしがたい喜びの頂点でもある。自然は意地悪である。すべての自然現象の原理や、関与しているさまざまな分子やその作用機構は、すでに存在し、整然とした機序でわれわれの目の前に厳然として存在しているのであるが、われわれ人間には観えないだけである。創造的学問とはいかにあるべきかよく論議されるが、こと自然科学において創造的研究は存在しないと私は考えている。われわれはただ一枚ずつカードをめくり、カードの下に潜んでいる事実を見きわめているだけであり、そこにはわれわれの創造の入り込む余地などあろうはずもない。問題はカードのめくり方である。理論的に行うか,まったくデタラメに行うか、ほかの研究者がめくったカードのまわりを探すか,あるいは誰もが関心を示さないすみっこのカードをめくるかである。セレンディピティは,前ぶれもなく、事実を正確に観ることのできる科学者の目の前で一瞬ほほえむ。

予期せぬ世界が目の前に一

1975年にアメリカ留学から帰国して数年後,当時まったく不明であったBリンパ球の抗体産生細胞への分化を誘導する微量因子の精製を私は決意した。時は1978年,大阪府立羽曳野病院に内科医として勤務していたときである。私はこの病院で,結核性胸膜炎患者胸水リンパ球が抗体産生を誘導する強い生理活性因子を産生することを発見するとともに(J. Immunol. 126:517, 1981),Epstein-Barウイルスで株化されたB細胞株に抗体産生を誘導する生理活性分子(TRF-like factor)の存在を明らかにした(J. Immunol. 128:1903, 1982)。 以後今日まで,この因子(TRF-like factor/BCDFII/BSF-2/IL-6)を熊本大学医学部時代(1980〜1984年)の4年間も含めて18年間にわたって追い求めることになる.その間,一時は積み重なる失敗のもたらすストレスによる不整脈に苦しめられる経験もしたが,幸いにも1986年にそのcDNAのクローニングと全構造の決定に成功した(Nature,324,73,1986)。ここまでは実証に基づいた研究であり,ある分子の構造決定という一つの結果がでて当然の種類の研究であった。しかしながら,cDNAクローニングという一枚のカードをめくったことによって,カードの下から予期せぬ世界が私の目の前に展開された。苦労の末,高峰の頂点に立ったとき,一瞬にして全世界が静かに目の前に展開されるがごとくに---。 私たちがBリンパ球の抗体産生細胞への分化を誘導する分子として構造決定をした分子が,実は免疫学以外のほかの研究者によって追究されていた分子と同じものであることが判明したのである.すなわち,レーベルらのグループがインターフェロンベーター2として,またフィアスのグループが機能不明の26kDa分子として,ファン・スニックのグループがハイブリドーマ/プラズマサイトーマ増殖因子として,まったく別の科学の分野で追究されていたこれらすべての分子のcDNAが同時にクローニングされた結果,同一分子であることが判明した。さらにその後の研究で、この分子は単にBリンパ球に作用するだけでなく,免疫系、血液系,炎症反応,内分泌系,神経系,に作用する,生体防御や生体形成に重要な役割を演じている分子であることが明らかになったのである。このようにして,1988年12月二ューヨークアカデミ一主催の国際会議で,私が追い求めてきた分子はイターロイキン6(IL-6)と命名されることになった{ Annals of the New York Acad.Science,vol.55(1989)}。1988年1月1日付のScience誌は,「迷えるみなしごインターフェロン(Orphan interferonすなわちIFN beta2は抗ウイルス活性に疑間がもたれていた)が新しい住み家を発見した」という見出しで、以上の歴史的事実を記載している(Science, 239: 25, 1988)。さらに私にとって生涯忘れることができないのは、1992年ハンガリーのブタペストで開催された第8回国際免疫学会期間中に、大阪大学の岸本忠三教授、ハーバード大学のストロミンジャー教授らと、ともにサンド免疫学賞(現ノバリティス免疫学賞)を受賞したことである。

幸運に突きあたるには一

以上は,私が大学を卒業してから25年間の研究生活中に訪れた,私にとって最大のセレンディピティ経験であり,現在の私の生命科学に対する取り組み方を決定してくれた貴重な経験である。確かに私は宰運に恵まれたに違いない。多くの研究者がそうであるように一枚のカードをめくったにすぎない。しかし,決してほかの研究者がめくったカードの中身をいじくったりそのカードの周辺のカードをめくったのではない。自分自身のカードをめくり,そのカードの下に幸運にも一つの大きな真実が隠されていたのである。私の思師の故山村雄一元大阪大学総長の言葉に---夢みて行い,考えて祈る---という私のもっとも好きな名言がある。研究者は大きな夢をもって,その夢のもとに研究を実行する,すなわち一枚のカードをめくっていくのである。カードをめくった結果,その事実について正確に解析し,考える必要がある。研究者ができることはここまでである。あとは祈るのみである。めくったカードの下に幸運があるか否かは人間が決めることではなく,すでに決まっているのである。ただし,最終的に幸運に突きあたるためには,科学者として正確な実験と,事実を事実として観る心の目が重要である。かくしてセレンディピティは,一人の科学者の前にある日突然訪れるのである。そして科学者は,また次のセレンディビティを求めて終わりのない研究の旅に出ることになる。


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