8)山岸秀夫、科学者のモラルと喜び(2000/09/25)
英英辞典CODを開いて,独創性の形容詞, originalを見るとexistent from the first, primitive, innate, initial, earliestとあり,名詞のoriginalityにはコピーされたり翻訳されたりする原型あるいは奇人とある。したがって独創性自体には本公開討論会のテーマが意味するほどの重い意味は無い。余計な情報さえ入ってこなければ誰にでも本来備わっている先天的能力である。独創性に重い意味が出てくるのは,この原型が発展して公表され新しい知識として人類の共有財産となる時である。しかし公表されるまでに既に時間的経過があり,原型は本来コピーされるものであるので,果たして誰が原型を作り誰がコピーしたのかが問題となる。ここで正しい優先権の判定が求められる。優先権の形容詞, priorをCODで見ると, earlier, antecedent in time, order, or importanceとある。どうも国際的には originalityよりも priorityの方が重みのある言葉のようである。
ごく最近 J. D. Watson: A passion for DNA Genes, Genomes, and SocietyがCSHから出版された。私が A. D. Hersheyの研究室にいた1968年, The Double Helixを出版し,CSHに Directorとして移ってきた Watsonを知っているだけに早速取り寄せて一気に読み終えた。丸善の翻訳では“DNAへの情熱”とあったが,読み進むうちにその情熱は加速され,アダジオのDNA2重らせんの回顧から,次第にアンダンテに加速し,組換えDNA技術,クローン人間,がん研究から一気にアレグロに高揚し,ナチスの人種差別に組した遺伝学者たちを実名をあげて激しく告発し,最後に“あつものに懲りてなますを吹く”反遺伝子工学の風潮に抗して,ヒューマンゲノムプロジェクトに人類の幸福を託して終わっている。私に本書の題名訳を求められたとすれば、“DNAにかける熱き想い”から“DNAによせる煮えたぎる熱情”へと変わったであろう。ところで本書の翻訳権は既にどこかの出版社にゲラ刷りの段階で取得され,その推定出版部数は300万部とのことで、自然科学書としては破格の扱いのようである。
本書の中のDNA2重らせんの発見から20年後の1973年に書かれた“未発表情報の扱い”(The dissemination of unpublished inormation)と40年後の1993年CSHでのDNA2本鎖発見40周年記念祝賀会での講演“科学で成功するための法則”(Succeeding in science: some rules of thumb)を本公開討論会の話題として取り上げたい。前者は分子生物学も逆遺伝学の第2期に入り,Watsonが分子生物学者を動員してヒトがんウィルスを発見してがんを克服したいとの熱情を持って本格的にCSHに乗り込んで来て間もない頃のもので,同一テーマのもとに競合する科学者を意識して書かれたものである。
スポーツの反則技や囲碁の禁じ手のように,絶対に犯してはならないものが科学にもあるとして,次のような具体例を示している。まず新しい問題を解く鍵が科学誌に発表されているなら,まさにそれは掴み取りして良い。しかしその情報がインフォーマルな会合で話されたものならば,単に親しい友人として話されたものならばなおさらの事,印刷公表されるまでたとえ時間がかかってもその人にその鍵の利用を任せなさい。印刷公表されるまでに興味ある論文がレフェリーとして送られてきた場合にも決してそのおいしいジュースを学生に知らせてはならない。プレプリントの扱いも同じである。したがって新しい情報をめぐって同一環境で競合するような課題は避けた方が賢明である。また誘惑の多い反則技から自らを守るためには,公表まで限られた範囲に討論を限定して秘密を守る事も大切である。このようなモラルと自らの能力とのバランスシートの上に真実を明かすための努力をして欲しいと結んでいる。もっとも本エッセイは,DNA2本鎖発見の当時Rosalind Franklinとの間に生じた自らのpriorityに関する世間の疑惑にも答えるものであり,DNA2重らせんの場合は例外的な大事件として秘密を隠さずすぐにマスコミに速報した事を正当化している。
私はJSI News Letter8巻第2号吉村昭彦氏のエッセイ中の“皆が注目している問題に取り組む”の中から激しく競合する科学者の姿を想像し,あえてWatsonの要望する科学者のモラルについて提言する次第である。この事は利根川進氏の1976年の抗体遺伝子再編成モデルから予測された環状の染色体外DNAの同定の鍵を握った時の私自身の1986年の厳しい体験からも提言できる。
コメント番号1)で本庶佑氏が優れた研究者になるための6つのC、特にその中でcuriosity, challenge, continuationの3Cを強調されている。いずれも大切な努力目標だが、若い人には1つの仮説のもとに真実をめざす求道者の姿が見えて,少々厳しい指針かもしれない。試みに後者のWatsonの1993年の提言は,1)自分より優れた人に学べ, 2)冒険心を持て, 3)パトロンを見つけよ, 4)興味ある事に専念せよ, 5)仲間の批判を恐れるな, の5本の指である。あえて私の提言はといえば,envision, endeavor, and enjoy(考え,努力し,のち楽しむ)の3Eである。中世の科学者たちは卑金属を貴金属の金に変化させるとの共通のテーマのもとに日夜錬金術にいそしみ,その過程で出会った化学反応について考え,ひたすら努力を重ねた。金の夢は実現しなかったが,その過程でメンデレーフの周期律に代表される数々の成果が結実し,現代化学が誕生した。遺伝子を合目的に改変させるとの大テーマに多くの不毛のラマルキズムの挑戦があったが,最終的には組換えDNA技術が勝利し遺伝子力の全開への道を開いた。私は21世紀は原子力と遺伝子力の時代と考えそのバランスシートの参考として,免疫系に展開する遺伝子の底力を“免疫系の遺伝子戦略”(近刊)で語ってみた。与えられた大テーマは同じでもその中に数々の未知の問題が隠されている。その1つ1つに取り組んで答えを見つける喜びを重ねるところに大テーマを解く道が開けるのであろう。私はあえて21世紀に活躍する若い人たちに3Eの中のenjoy,オンリーワンからスタートしてえた達成感をじっとかみしめてその喜びを次の飛躍につなげる事を強調して,はなむけとしたい。科学者のモラルはこの事を保証するのに不可欠な心得である。
おわりに
私の机の上にDNA2重らせんが振り子として動きつづけている時計があり,その側面に“着眼大局 着手小局”の8文字が刻まれている。この格言の刻まれた時計は私が分子生物学の研究室を主宰することになったときのお祝いに当時富山医科薬科大学和漢薬研究所長の荻田善一先生から頂いたものである。 遺伝子再編成の環状DNAを発見した同じ1986年,私たちがはじめて開発した極低温高分解能電子顕微鏡を用いて観察した生のDNA像に感激してくださった荻田先生は本年8月24日に逝去された。人類遺伝学から出発して,東洋医学の対象とする体質(陰証と陽証,虚証と実証など)をヒトゲノムプロジェクトの延長上に捉えておられた先生の大いなる仮説を偲び,謹んで御冥福をお祈りする。
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