ネットによる公開討論会”独創的研究とは”

平成12年9月8日ー12月31日

日本免疫学会ニュースレター編集委員会(平成10年1月ー平成12年12月)

平野 俊夫(委員長)、小安 重夫、烏山 一、斉藤 隆、阪口 薫雄、徳久 剛史、湊 長博

 



目次

コメント番号、投稿者名、タイトル(投稿日):内容抜粋(本文の内容を読むためには、投稿者名をクリックしてください)

1〕本庶 佑、「独創的研究とは何か」(2000/09/08)JSI Newsletter15号、吉村昭彦氏の“独創性とは何か、あるいは優れた仕事を成し遂げるには何が必要か”というエッセイを読み、少なからぬ違和感を覚えたので、あえてJSI Newsletterに一石を投じ、多くの方からの喧々諤々の論議を期待したいと思う。------

2〕吉村 昭彦、独創的な研究とは何か(2000/09/11)#1、本庶 佑氏への返答):本庶先生から私のJSI Newsletterの文章に対して大変真摯なご教授をいただきました。------私が最も言いた かったのは”中村修二氏は成功するために年360働いた”ということです。-----私は”努力は無限”という言葉が好きです-------- 私の言う”流行”とは”同時代で未解決の重要な問題”と同義であり----------残念ながら近頃は若い人たちが将来に大きな希望をもてない状況ではないかとも 思えます。----------私の理想の”独創的な研究”は”重要な生物現象を深い洞察 力で誰も考えつかなかったアイデアを出し実証する”、ということです。----------”複雑系を直線的に理解する限界”が免疫学にも近づいているのかもしれな い、という思いがあります。-----------も しかしたら21世紀の免疫学は難解な数学に変貌しているかもしれないと思うのは私 だけでしょうか?-----1遺伝子ではとらえられない病気や何年ものス ケールで考えなければならない慢性疾患についてもシュミレーションという考えはい ずれ必要になってくるような気がします。

3) 平野俊夫、生命科学に真の意味の創造的研究は存在しうるか?(2000/09/11):生命科学における独創性とは研究のプロセスにある-----なかでも“祈る”という言葉に生命科学研究の真髄がある-------若い研究者は、やはり視線を遥か彼方にはせていることを心強く思います----------若い方の投稿を大いに歓迎します。

4〕高浜洋介、何のための「独創性」か?(2000/09/14)まずはこの度の独創性に関する一連の議論を推進されてきた諸先生に敬意を表したいと思います----“独創性”が第三者の評価によって決定されるのであるならば、本来的にそれは研究者自身にとって最重要の考察課題ではないはずです-------研究を生み出す力とは、魂の根底から沸き上がってくるうねりの発露であるはずです。-----「研究はバクハツだ」!------後世の評価が同時代の評価と一致しない人物は、ジェンナーやコペルニクスといった研究者をはじめとして、-------史上枚挙にいとまがありません。-------“独創性”という名の下に、研究結果についての評価を必要以上に研究者が忖度することは、むなしくはかないことです。------研究は個人個人の知的活動ですので当然、「何のための研究か」という問いは、個人個人の研究者が常に考え、育み、成熟させていく必要があります------研究者の存在責任とまでいえるのではないでしょうか------表面的な流行を追いかけることしかしない、研究者と思いこんでいるひとがいるとすると、そのひとの活動はたとえ同時代的には成功を収めることがあっても、本質的にはむなしく尊敬に値しないと思います-------私には「自分自身の研究に対する取り組み方そのもの」を問うことのほうが、少なくとも「他人が独創性を認めてくれるかどうか」を心配するよりも、研究者にとってうんと大切なことに思えます-------人間の個性とその多様性について、分析を容易には許さない「わきあがる興味」を持っているからこそ、自己とは何か、多様性形成の秩序は何か、といった課題に実験生物学的手法から取り組むことのできる免疫学に魅了されているのだと自己分析しております。

5〕瀧 伸介、毎日が「独創的」(2000/09/18):  本庶先生のご意見は、ほとんどの人が感服し、そして共感するものだと思います。ただ、20年後にも残る仕事をしたいと思うことと、それで今日明日どんな研究をするのか、ということが必ずしも結びつかない場合が多いのではないかとも考えます。吉村先生の最初の方のエッセイはむしろ後者の方についてのご意見であると受け取りました------ただ、こういうところに文章を寄せられるのは、文章の内容と、自分が実際にやっていることとの間に大きな齟齬のない方々が、どうしても多くなってしまい、-----「ズレ」ちゃってる人はなかなか声を挙げられないのではないか、と思います-----「ズレ」た一文が、より広い範囲の方々の参加の呼び水になれば幸いです。

6)平野俊夫、独創性を育む研究環境の整備が急がれる、(2000/09/19): -----社会的評価を内包している、いわゆる”独創 的”かどうかという判断は----研究者と社会が対峙する過程で 必然的に発生してきた概念である------学問 というのは、昔は趣味であり、宮廷や金持ちのパトロンの庇護のもとに、----当時は公的な科学研究費の助成は無かったわけで----現在の研究環境 では---公的な研究費の助成を受けており----研究結果の評価なる、”怪物”が”必然悪”として、顔 を出している-----結果として、----社会からの評価に喜びを見いだすのも、人間としての科学者にとっては極く自然な行為----ただ、あまりにも評価のみを追及する----本末転倒になっているとしか思えない研究者の姿には寂寞たる気持ちになる----今日、社会的な資金に頼って研究をやっている以上、評価は必然的-----、評価をどうするかが、国のレベルで、将来を論じるときに大変重要な要素になります。------どうやら”独創的な研究とは”を考えている過程で、---”個人の知 的好奇心などのモチベーション”の問題と対峙するかたちで、職業人としての研究者のあり方と、研究費の 配分評価方法の問題が浮上-----これからの日本の基礎研究を発展させていくために、---今の制度を どのように改善したらいいのかという問題と、どのように科学研究を評価したらいいのかという問題は、切っても切れない関係----これは小安氏のコメント#7、”誰のための科学か?”という自問自答にはじまり、「独創性とは何か」、「独創性をいかに評価するか」という非常に重要で且つ困難な問題から「独創性を育てるには何をすべきか」という問題へと波及していくことになります。

7)小安重夫、誰のための科学か?(2000/09/19): 多くの方々が指摘されるように、科学はそもそも極めて私的なものである。なぜ自分が科学者になったかを考えてみたとき、自らの好奇心を満足させるという点が決定的だったことは間違いない。---好奇心から出発して何か新たな発見に至るプロセスには、「役に立つ」とか「注目を浴びる」という考えはない。---役に立つことを考えるのは科学者として曲がっている、といわれたこともある。受けた教育によってここで議論されている問題の受け止め方が異なるのではないかと思い、敢えて自分の体験を基に私も議論に参加させていただこうと思う。------私は、独創的な研究とは、社会からの評価とは必ずしも関係はなく、その人の個性を際立たせる研究であると思う---本来は私的な営みである科学であるが、それを支えるのは研究費であり、----社会的に役に立つかどうかという視点がどうしても入るだろう。-----国民の税金を使って行われる科学に対して、説明責任がつきまとうことは避けがたく、----しかしそれでもなお、役に立つかどうかわからない個性的な研究に支援を惜しまないという姿勢は大切なことである。------研究費の問題は、「独創性とは何か」という問題からは少々はずれるが、「独創性を育てるには何をすべきか」という、これまた繰り返される問題と密接に関係する。次の公開討論会で議論してはどうだろう。

8)山岸秀夫、科学者のモラルと喜び(2000/09/25):----最近 J. D. Watson: A passion for DNA Genes, Genomes, and SocietyがCSHから出版された。----私に本書の題名訳を求められたとすれば、“DNAにかける熱き想い”から“DNAによせる煮えたぎる熱情”へと変わったであろう。----DNA2重らせんの発見から20年後の1973年に書かれた“未発表情報の扱い”と40年後の1993年CSHでの講演“科学で成功するための法則”を本公開討論会の話題として取り上げたい。------絶対に犯してはならないもの-----その情報がインフォ,ーマルな会合で話されたものならば,単に親しい友人として話されたものならばなおさらの事, 印刷公表されるまでたとえ時間がかかってもその人にその鍵の利用を任せなさい----誘惑の多い反則技から自らを守るためには, 公表まで限られた範囲に討論を限定して秘密を守る事も大切である-------私はJSI News Letter8巻第2号吉村昭彦氏のエッセイ中の“皆が注目している問題に取り組む”の中から激しく競合する科学者の姿を想像し, あえてWatsonの要望する科学者のモラルについて提言する次第である-----私自身の1986年の厳しい体験からも提言できる。---コメント番号1)で本庶佑氏が優れた研究者になるための6つのC、特にその中でcuriosity, challenge, continuationの3Cを強調されている。------Watsonの提言は,1)自分より優れた人に学べ, 2)冒険心を持て, 3) パトロンを見つけよ, 4)興味ある事に専念せよ, 5)仲間の批判を恐れるな---私の提言はといえば,envision, endeavor, and enjoy(考え,努力し,のち楽しむ)の3Eである。-----21世紀に活躍する若い人たちに3Eの中のenjoy,オンリーワンからスタートしてえた達成感をじっとかみしめてその喜びを次の飛躍につなげる事を強調して, はなむけとしたい。--------

9)黒崎 知博、研究とは自分をかけた壮大なゲームである(2000/09/27):-----独創的研究は単純ではあるが、やはり周囲の人をびっくりさせるデーターでありconceptである。-----そのような研究を行うために必要な資質としては-----知力・情熱・技術力である。-----研究とは---3つの資質をかけた壮大な知的ゲームに他ならないと----日本人が外国人に研究のperformanceでひけをとるということは決してなく----しかしながら、決定的に異なると常々感じていることは、この3つの知力・情熱・技術力を常にキープ、またインプルーブする必要があるという認識がアメリカ人に比べると甘いのではないか。----逆説的に言えば、その点をしっかり捕まえられた時に我々はより人類の知的財産に貢献できる研究が行えるのではと期待わくわくの毎日である。

10〕市原 明、何故日本には独創的研究が育ち難いか?(2000/09/27): 生化学学会の大先輩の市原先生から大変手厳しい御意見をいただきました。何故日本には独創的研究が育ち難いか?------討論や批評が少ない---国際性が小さい---哲学がない---保守性---甘えの構造---個性を殺している---米国の流行を追う傾向-----日本の研究費の総額は決して少なくない---相当のレベルの研究が達成されている。しかし独創性の点では問題がある。その原因は以上のように複雑に関連し生活様式や風土文化に根ざしている。更に良い点は欠点でもある。しかし改革しなければならず、またその余地はある。ただし下からの改革は困難である。制度を変えるのは時間がかかる、だから指導者が全ての点で努力すべきである。

11〕平野俊夫、雑感---日本の研究は世界にいかほどのインパクトを与えたか?(2000/10/07):最近アメリカの科学情報会社のISI社が過去18年間 (1981-1998)に、High-Impact Paperを少なくとも12論文発表した日本の研究者30人を発表した-----日本人が日本の研究所から貢献した論文を選んだところ2992論文(3.9%)あった----分野別のうちわけは、生命科学が18人、材料系は7人、化学は1人、天文学は2人、環境化学は2人だった----日本からの総論文数の世界での比率は10%--- 一概に被引用数が多い論文が優れた論文であるとは必ずしも言えないとしても、-----日本人の論文は数の割にはインパクトが高くないと言えるのではないでしょうか?----第3位にランクされた中村修二氏に関するエピソードが紹介されていました----“他人の論文を読めばどうしても、ものまねになる。自分の頭でじっくりものごとの本質を考えることが大切である“----------。

12〕石坂公成、独創的研究をするために必要なこと(2000/10/23): 免疫学会の大先輩の石坂公成先生から御意見をいただきました。今回の公開討論会の目的は、恐らく“日本から独創的な研究を輩出させたいが、そのためにはどうすればよいのか?”を考えようということだと思う。------独創的な研究というものは、始めからユニークな研究をしようと計画して出てくるものではなく、未知の問題を解決しようとして努力している内に出てくるものなのであろう------“学問的常識に合わない実験事実を見逃さないこと、-----周囲の反対に会いながら、自分の仮説を証明し、他の研究者がその結果を役に立ててくれて始めて学問的貢献と言えるのではないだろうか?------若い研究者がそのような行き方が出来るか否かは、理論(常識)からのdiscrepancyを見逃さない修練を積んでいるかどうか?そして、自分のデータが間違いか真実かを実験的に見極めるためにはどうしたらよいかを考える習慣がついているか否かにかかっている-----ボスの期待するデータを出すためにマンパワーとして使われているだけでは、将来originalityのある仕事をする研究者は出来てこない------他の人と同じことをやっていなければ安心出来ないエリートは、いくら知識があっても独創的にはなれないとみえる。-------自分が大切な課題だと信じているならそれが流行している課題であろうと流行していない課題であろうと差し支えない----------研究者の魅力は、“自由がある”ということである------最近のエリートの中には、面白いことがみつかった時、----他の人が入ってこないようにする人がある。-------独創的であることは大いに奨励すべきだが、独創を自分の娯楽として楽しんでいるのではプロの研究者の資格に欠ける。----------。

13〕北村 大介、独創的研究とは (2000/11/02):「独創的研究とは何か」------この問いが頭の奥に引っ掛かっていて、-----若い頃感動したほどの「独創的」な仕事にはまだ遠く、とりあえず結果を求められる日々の研究の中では「独創的」という命題を忘れがちである-----「独創的」という言葉には「独自性」(original)と「創造的」(creative)、さらに「独力」-----誰も見向きもしないような疑問から研究を始めるのはまさに理想的だが、---時間がかかりなかなか結果がでない----研究費がつかず----失意の日々を送った芸術家も少なくない。------流行など無視して、成功を信じて自分の思うままに疑問を追求したい-----数年間にわたって研究費を与えるような制度-----先見性をもって独創性を見極める評価体制----人まね物まねを軽蔑し、独創性を賞賛する雰囲気----現状では翌年の研究費も保証されない私たち普通の研究者はどうしたらよいのだろうか-----「独創的研究」の芽は「それほどでもない」研究の過程に隠れているのではないだろうか-----まずは2,3年以内に結果を出せるような目標を設定して、とにかく好きな研究を---やりながら、「独創的研究」の芽を見逃さないように「独創的」な発想で独自の研究へと育てていけばいいと思う。その際の「独創的」とは、それ以上解説できない、個々人のセンスに基づいた、そして、多くの人にはよく理解できない、最上級の意味を持つ言葉である。

14)深田俊幸、Cold Spring Harbor Lab. New York、「“独創的研究とは何か”を語る前に」、(2000/11/02):“独創的研究とは何か”-----私が最近とても共感した書籍「若い研究者のために」の内容について紹介したいと思います。この本は、私が留学の際に内藤記念科学振興財団から頂いたもので------海外生活が始まる前に特にこの本を精読し、さらに現在に至る留学中に何度も読み返し、その中で独創的、創造的をキーワードに共感し心に響いた文章にはアンダーラインを引きました----「独創的研究」とは結果論であり、最初からそれを目指す研究者は少ないのではないでしょうか----「独創的研究」の題材は結構身近にあり、普段「そんなのあたりまえ(常識)じゃないか」と多くの方々が言及している現象にこそ、独創性のスタートラインがあるような気が致します。「人のまねをけしてしないこと」「他の研究者の結果をあたかも自分独自の研究結果のように取り込まないこと」「ささいな現象を見逃さないこと」----私はまだ研究を始めて間もないのですが、先述した先生方のような個性を十分発揮した研究者を目指すべく努力したいと思います。

15〕平野俊夫、司会としてのコメント(2000/11/02):独創的研究とは?から始まった本公開討論会もこの件に関しましてはほぼ議論が出尽くした感があります。今回の討論会中に極く自然に発生してきた問題は、では独創的な研究をするための研究環境は如何にあるべきか?、独創的研究をどのように評価するのか?しいては現在の研究の評価システムは適正なものなのか?研究費の配分システムはこれで妥当なものなのか?などが浮上してきました。独創的研究とは何かを問い掛ける中からこのような問題が発生してくるのは当然のことではあります。またこの問題はJSI Newsletter 7巻1号、1999でも、”日本の免疫学研究体制の現状を探る”という特集を組みました。これに関連する記事は以下にもまとめてあります。公開討論会を12月31日まで引続き開催することにしましたので、独創的研究とは?にかんする皆様方の忌憚のない御意見を引き続きお寄せいただくとともに、以上のもう一歩踏み込んだ問題についても御意見を寄せていただければ幸いです。

16)淀井淳司、独創性についての独言、(2000/12/24):------この公開討論会<独創的な研究とは>に石坂公成先生が意見を出されているが、真の独創性を忌避する日本の風土はそれ自体が研究対象になるべきことの様にも思われる。 「我々のなすべき事の一つは、自説を他の研究者にconvinceさせることである。」;この際の自説は 世界の趨勢の受け売りであっては困るわけで、先の見えた仕事ばかりでは 日本のIT産業と同じで海外の世界標準に乗って生きようとすることに他ならないとも思われる。私がこの10年間手掛けているレドックス生命科学の領域は-------ATLの初期研究自体にも困難な時代があった-----ATLの仕事抜きにATLV/HTLVが見つかったような雰囲気すら生まれて------有力な流れに身を置かない限り、自ら始めた仕事すら抑圧される構造的問題があることは日本のアカデミズムのみではないかも知れないが実感的事実である。仲間内のうわさ話やブランド名で評価するような村社会的方法でなく、真に個性のある仕事をポジティブに評価する何らかのシステムが必要であろう。------


ニュースレターバックナンバーにある関連記事

独創的研究を生み出すための社会的基盤 中内 啓光, JSI Newsletter 6巻2号、1998

独創的研究者を育てる基礎研究の場と先端医療開発の場の構築と連携をはかる 新井 賢一、JSI Newsletter 7巻1号、1999

より現実に則した Post Doc 体制の確立に向けて 濱岡 利之、JSI Newsletter 7巻1号、1999

日本の科学研究費の審査システムについて 橋本 嘉幸、JSI Newsletter 7巻1号、1999 

日本の科学研究費とその審査体制 谷口 克、JSI Newsletter 7巻1号、1999

科学研究費の配分と学界 西川 伸一、JSI Newsletter 7巻1号、1999

日本における研究費,研究発表の現状解析 徳久 剛史、JSI Newsletter 7巻1号、1999

文化の相違と学問;J. C. Weil について思い出すこと 坂野 仁、JSI Newsletter 7巻1号、1999

日本と米国の研究体制の違い―グラントシステム 森本 幾夫、JSI Newsletter 7巻1号、1999 

実業と基礎研究 篠原 信賢、JSI Newsletter 7巻1号、1999

学ぶものは牛角の如く成るものは麟角の如し 羽室 淳爾 、JSI Newsletter 7巻1号、1999

プロの研究者の育成を真剣に考えよ 石坂 公成、JSI Newsletter 8巻1号、2000

免疫学へのBCGの貢献;免疫強化DNAを中心に 徳永 徹、JSI Newsletter 8巻1号、2000

独創性とは何か,あるいは優れた仕事を成し遂げるには何が必要か 吉村昭彦、JSI Newsletter 8巻2号、2000

シリーズ:日本からの発信

“疑似免疫学者”の独白 田中 啓二、JSI Newsletter 6巻2号、1998

ひとりごと 長田 重一、JSI Newsletter 6巻2号、1998

IL-18研究の現状 岡村 春樹、中西 憲司、JSI Newsletter 7巻1号、1999 

私のセレンディピティ体験:インターロイキン6との出会い 平野 俊夫、JSI Newsletter 7巻1号、1999

サイエンティストは楽しい.どうしたらなれるか 木下タロウ、JSI Newsletter 7巻2号、1999

科学のそして日本の新しい時代を迎えて 谷口 維紹、JSI Newsletter 7巻2号、1999

新しいリンパ球−NKT細胞 谷口 克、JSI Newsletter 8巻1号、2000 

Fasの発見という個人的体験に基づいて 米原 伸、JSI Newsletter 8巻1号、2000 

インターロイキン5との出会い 高津聖志、JSI Newsletter 8巻2号、2000

発信できなかった裏話 菅村和夫、JSI Newsletter 8巻2号、2000


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