2〕吉村 昭彦、独創的な研究とは何か(2000/09/11)(#1、本庶 佑氏への返答)
本庶先生から私のNewsletterの文章に対して大変真摯なご教授をいただきました。私 のような小僧っこの雑文に真剣にお答えいただいたことに恐縮し、深く感謝しますと ともに、本庶先生の奥深い研究哲学がよくわかりました。深い感激を持って拝読させ ていただきました。それに比べて私の文章は思いつきの感を拭えませんし、うろ覚え のあやふやなエピソードを羅列しており、今読みかえして本当に恥ずかしい限りで す。本庶先生の的確なご指摘、訂正に心から感謝いたしますとともに、見識高い免疫 学会ニュースレターにはふさわしくない、大学院生向きの軽い文章であったと反省し ております。
まず私の真意は”独創的な研究とは何か”を考察しようとしたものではなく、実は目 的は別のところにありました。21世紀に輝くために、という特集であるために稚拙 ながら敢えて若い人たちを景気付けるような文章をと考えたのです。私が最も言いた かったのは”中村修二氏は成功するために年360働いた”ということです。私をは じめ40歳台の教授が集まると常に”この頃の若い者は”という話になります。年寄 りくさい話ですが、どうも最近の若い大学院生や助手クラスの若手の多くは自分たち の頃に比べて働かない、土日休むのは当たり前、教授より遅く来て早く帰ることに何 の躊躇もない、というのが一致した意見です。また実験が行き詰まると投げ出した り、指導教官の無能のせいにされることが多いように思われます。そこで若いひとた ちに”誰にでもチャンスはあるのだから、とにかく実験をしなさい”、”壁にあたっ たらひるまず工夫を続けなさい””なるべく重要な問題にチャレンジしなさい”と言 いたかったのです。私の間違いもあったとは思いますが、ほとんどのエピソードはそ れを言いたいがための枕言葉です。おそらく軽い気持ちで読んで下さったかた(特に 私の同世代)には共感を持っていただいた方も多いかと思います。実際私の文章を読 んだある先生はこれを院生全員に送り士気高揚、叱咤激励に使われたそうです。
私の友人には数名の沼研究室(イオンチャネルなどの研究で有名)出身者がおりま すが、故沼先生は”努力は無限”という言葉を用い若い研究者を激励していたと聞き ました。確かに私のよく知る沼研出身の某先生は”座っているところを見たことがな い”と言われています。そこまでなくても私も”論文は遠心器を回している空き時間 に立って読むものだ”と教わってきました。そういう話を最近の若いひとにしても一 向に感動してくれません。結構冷めていて”実験以外にもいろいろ楽しいこともたく さんあるからそれも楽しみたい”と考えている若者が多いと思います。なんとか院生 らの志気を高めたいという気持ちでいろいろ文章を書いてきましたが、この文章もそ のひとつでした。画期的な仕事というと手の届かないところにあるのではなく案外努 力次第で成し遂げられる場合もある、そして私もまだまだ頑張るから君らも頑張ろ う、という自分自身と若いひとたちに対しての激励でした。打点は(打率)X(打席 数)にほぼ比例するはずです。野球は9回までですが幸い実験者は心がけ次第で何回 でも打席に立てる。打率をあげる努力はもちろんですが、とりあえず凡人には打席で かせぐ手があるし、スクイズでも外野フライでも得点できることもある。たくさん打 てばたまにはホームランもあるかもしれない。そんな思いで若いひとに発破をかけて います。なぜ打率を上げる努力(スマートに良く考えて最小限の努力で最大限の効果 を生むことを)を第一に思い浮かべないのか、免疫学者の皆さんには奇異に感じられ るかもしれませんが、これは私が理論派ではなく基本的には生化学屋(肉体派の?) であることが原因かもしれません。やはり私は”努力は無限”という言葉が好きです (頭がいらないという意味ではありません)。
私の理想とする”独創的な研究”とは、”重要な生物現象を深い洞察力で誰も考え つかなかったアイデアを出し、かつ実証する”ということです。純粋な独創性なんか 存在しない、というのは確かに暴論でしたが、私が言いたいことは、残念ながらその ような洞察力に恵まれなかった私でも不断の工夫と努力で科学の世界に新たな展開を 呼び込める可能性がまだある、ということです。実際そういう例はいくらもあるのだ と言いたいのです。”流行を追いましょう”というのは確かに言い過ぎですが、これ は別のコラムで”流行を追う研究はつまらない”とどなたかが書いておられたのを揶 揄したものです。過去の画期的と言われる業績のなかにも多くの”流行”(言い方を 変えれば競争)から勝ち残ったものがあるのは事実で(決してすべてそうだというの ではありません)、あながち流行を追うことが全部悪ではないと強調したものです。 私の言う”流行”とは”同時代で未解決の重要な問題”と同義でありそれを卑近な言 葉で表したものです。でもこの場合は勝たないと後世まで残りません。ではどうして 勝ち残れたかというと、決してあきらめなかったこと、他の人と少し違う道を探った こと、なによりひとの何倍も実験したことが勝因の例が多いように思われたのです。 中村修二氏の場合はまさにこれではないか、と思います。氏はご自分でもおしゃって ましたが天才ではなく人と違うことを頑固に、とことんやれたからうまくいったわけ です。このようなことは何も特別な人間でなくてもできそうな気がします。そういう 例はたくさんあるので大上段にかまえなくても諦めずに努力すれば誰にでもチャンス はある、あると信じて頑張ろうというメッセージなのです。
残念ながら近頃は若い人たちが将来に大きな希望をもてない状況ではないかとも 思えます。大型予算の研究ではプロジェクト指向が強く、ポスドクは歯車のひとつで あり若い人が自由な発想で研究できる余地は少なくなってきているのではないでしょ うか?また期限付きのポストが増えている以上若い人が”確実に論文を出せる仕事が したい”と思うことに反対できるでしょうか(そのくせに実労働時間が短いのは私に は理解できない点ですが)?現実には”これならできる”科学でお茶を濁さなければ 来年には間に合わない、という宇高先生のぼやき(JSI Newsletter15号、p9)はよく理解 できます。さらにノックアウトなど費用のかかる技術が増えてきて、しかもそれが本 質的に重要な意味をもつとなれば、持てる者と持たざる者の格差は開く一方です。こ のような状況で本庶先生の文章は私を含めて若い人たちに強い勇気を与えるものだと 思います。私も思いは全く同じなのですが、本庶先生の思索に富む研究哲学には敬服 いたしました。ぜひこれからも我々を精神的に指導し、またこれからも若い人たちに 憧憬と希望を与えるようなお仕事を発表されてください。私は大学院生のころ先生の 講義を聴いて、なんて複雑な現象をなんてエレガントに解明されたのだろう!と感激 したものです。当時は(今でもそうでしょうが)先生はさっそうとしておられて我々 分子生物学を志す若者の憧れでした。それが今いよいよクラススイッチの分子機構の 全容まで解明されようとしていることに賛辞をおしむものではありませんし、我々も 頑張ろうという気にさせられます。私も先生の6Cと3Cを胸に刻み今後も頑張りた いと思います。今後とも御指導のほどよろしくお願いいたします。
追記;以上のように私の意図は”独創的な仕事は何か”を真剣に論考したいというも のではなかったために、いささか平野先生のご期待には添えないのではないかと危惧 いたします。そこで改めて私なりの”独創的(あるいは創造的)な研究”を書きま す。最後に”21世紀の免疫学の姿”について思いつきを書きますのでご意見を賜れ ば幸いです。
先に述べましたように私の理想の”独創的な研究”は”重要な生物現象を深い洞察 力で誰も考えつかなかったアイデアを出し実証する”、ということです。実証は自分 でなくても他の人がやってくれてもいいと思います。私のニュースレターでは実証重 視のように書いていますが、本当は理論を考えるほうがずっと難しく誰にでもできる というわけではないと思っています(それを読みとってくださった方もおられるでし ょう)。数年前にフランクフルトのInstitute of Chemotherapy を訪ねる機会があり ました。初代所長のエールリッヒの側鎖説の原図をみて強い衝撃をうけました。私は 細胞膜表面のレセプターを研究してきましたが100年も前にエールリッヒはすべて を見通していたかのようです。彼の考えは今でも立派に通用するし逆に言えばこの1 00年の分子へ掘りさげていく還元論的な研究はひとりの天才の洞察力に及ばない、 とも言えるかと思います。現在でも遺伝学には透徹した洞察力と思考力が要求される のではないかと思われます。例えば最近ノーベル賞をうけたEdward Lewis, Nusslein-Volhard, Eieschausらの体節遺伝子や分節遺伝子の発見はその典型的な例 ではないでしょうか。ハエなどの遺伝学では仮説をたて検証することが比較的容易に できるとは言え、ここまで複雑なパズルを見事に解き明かした彼らの洞察力、推理力 には脱帽するほかありません。本庶先生のおっしゃる通り複雑な系である免疫にも深 い洞察力や理論が要求されると思います。ただ確かに理論にもノーベル賞は与えられ ますが、それは実証されてからのことなのではないのでしょうか?アインシュタイン が相対性理論に対してではなく光電効果に対してノーベル賞が与えられたことで、よ く”ノーベル賞は理論には与えられない”と一般に言われていることからそのような 発言をしましたが正しい引用ではなかったかもしれません。
しかし実際にはニュースレターで紹介した例(例えば中村修二氏)のように誰もがや ろうとして果たせなかったことを独自の工夫で成し遂げ、”きわめて独創的”と紹介 される場合も多数あるので、”実証”あるいは”実用化”のほうにも”独創的な研 究”という賛辞を与えてもよいのではないかと思います。そう考えると言葉の厳密な 意味での”独創性”にこだわる必要はあまりないように思えます。
別の観点から、現代は創造的な研究がでにくい時代ではないか、ということを私を 含め同世代の研究者の多くが意識していることを訴えたいと思います。ゲノムの全配 列が明らかとなり、さらにすべての遺伝子をノックアウトしたマウスを造ろうという プロジェクトが議論されている時代です。大型のプロジェクトが未開の原野をブルド ーザーで開拓し”網羅的に全部”調べるという言葉がもてはやされる時代です。ポス トゲノムの時代では個々の遺伝子の機能を解明していくことが重要だと言われていま すが、それは知識や情報の膨大な蓄積をもたらしますが、果たしてこのような情報を もとに免疫学はどうあるべきでしょうか。
私には”複雑系を直線的に理解する限界”が免疫学にも近づいているのかもしれな い、という思いがあります。例えばシグナル伝達の世界では様々な受容体から核まで のシグナルの流れは次々に明らかにされ、シグナル伝達系のクロストーク、フィード バック調節、標的遺伝子の活性化機序などかなりの理解が進んでいます。このように 還元論的な解析は直感的に理解が可能ですが、ではこれを統合して個々の細胞のなか でどのようなシグナルが発生し、どのような遺伝子が活性化され、細胞はどう変化し ていくか、それが個体レベルにどのような変化をもたらすか、我々は全容を理解でき るでしょうか?実験室でstarvationをして大量のサイトカインを同時にかけて刺激す る状況とは明らかに異なった反応が生体では起こっているはずで、複数のシステムが 複雑にからみあって同時進行している状況は生化学ではとらえきれないと思います。 これはもう数式とコンピュータによるシュミレーションでなければ把握できない。も しかしたら21世紀の免疫学は難解な数学に変貌しているかもしれないと思うのは私 だけでしょうか?免疫学は常に最先端の科学技術を取りいれ生物学の先頭を走ってき た(しかも免疫学者には理論家が多い!)、という事実から考えればあり得ないとは 言えません。そうなったらむしろ現代経済学のように素過程を数式化し、システム全 体を把握して先を予測できる理論がきわめて重要になるかもしれません。もちろん疾 患において原因遺伝子や病原菌といった因果関係が直線的に証明、理解できる事象は 今までの延長で具体的な眼にみえるかたちで研究が進展していくと思われますのでそ の方向は必ず残ると思います。しかし1遺伝子ではとらえられない病気や何年ものス ケールで考えなければならない慢性疾患についてもシュミレーションという考えはい ずれ必要になってくるような気がします。
最後に本文を書くにあたって貴重なご意見を賜りました同世代の諸兄に深く感謝いた します。
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