研究内容Research

主に臨床医学(血液内科学)・腫瘍生物学・遺伝学を背景として、骨髄異形成症候群(MDS)や急性骨髄性白血病(AML)を中心とした血液がんのメカニズム解析を進めてきましたが、対象を固形がん全体に広げ、分子発症機構の解析やメカニズムに基づいた治療応用に関する研究に挑戦しています。特に、正常幹細胞と腫瘍性幹細胞の違いを内的・外的制御機構の点から正確に理解し、そこから得られる腫瘍の脆弱性に着眼した病態理解に基づく治療応用を目指しています。教員・博士研究員・大学院生がそれぞれ複数のテーマを担当し、国内外の共同研究者の皆様や技術職員を含め、シナジー効果を生み出すことでチーム一丸となって以下の問題に取り組んでいます。

(1) RNAレベルでの遺伝子発現制御機構に基づくがんの理解と治療応用

がん細胞では遺伝情報が転写後RNAレベルで歪められることが明らかとなってきました。私たちはこれまでにRNAスプライシングやRNAメチル化・RNA輸送などの転写後レベルでの遺伝情報の制御機構を探索し、腫瘍細胞における治療標的分子を複数同定してきました。RNAスプライシングを例にとれば、クロマチンリモデリング因子、転写因子、シグナル制御因子がRNAスプライシング異常によって機能が変容・喪失し、それらが他の重要な遺伝子の転写や増殖機構を支配する現象をヒト検体、生体モデル、分子生物学的解析から見出してきました(Inoue et al. Nature 2019, Inoue et al. Nature Genetics 2021, Nishimura et al. Cancer Sci 2022, Nishimura et al. Exp Hematol 2023)。

さらに、RNAレベルでの転写後制御が翻訳を含むその後の発現機構にどのように関わっているのか、化学修飾やRNA輸送の観点からがん細胞の脆弱性に迫り、治療標的の妥当性の評価や小分子化合物による治療応用、合成致死を利用した治療応用を行なっています(Nishimura et al. ongoing project, Zhang and Hasegawa et al. ongoing project, Saika et al. ongoing projectなど)。また、全イントロンのわずか0.3%、700個あまりとされる、進化的に保存された希少なイントロン群「マイナーイントロン」のスプライシング破綻による幹細胞のクローン優位性の獲得やRAS経路の活性化機構を報告してきましたが(Inoue et al. Nature Genetics 2021)、より広い視点からイントロンの進化的保存の意義についてマウスモデルを用いて探索しています(Saika et al. ongoing project)。血液がんにとどまらず、例えば肺がんにおけるRNAスプライシング異常とクローン進展についても新たな視点から生体モデルの作成を通して取り組んでいます(Kanaoka et al. ongoing project)。

(2) 予後不良白血病・先天性疾患の機能解析と治療応用

ゲノム医療の進歩に伴い、白血病の分野ではリスク層別化が進み、個別化医療が導入されつつあります。しかし、今なお予後不良な変異や染色体異常が数多く残されています。私たちはこの中で、3番染色体の転座または逆位によって転写因子EVI1が過剰発現した白血病、TP53変異白血病、SETBP1変異白血病を中心に取り組んでいます。例えば、染色体転座や逆位に伴うEVI1過剰発現白血病では、同時に存在するスプライシング関連遺伝子変異(SF3B1変異)によってEVI1のDNA結合能力を変化させる新規バリアントを同定しました(Tanaka et al. Blood 2022)。ヒト疾患を模倣した生体モデルの作出により薬剤耐性のメカニズム解析や治療効果判定も可能になりつつあります(Knorr et al. Nature Cancer 2023, Zang et al. in preparation)。

TP53変異白血病、SETBP1変異白血病に対しては、ヒトデータとマウスデータを統合し、創薬スクリーニングやCRISPRスクリーニングを駆使してがん細胞の脆弱性を見出すことで、新たな治療戦略を確立しつつあります。特に、極めて予後不良なTP53変異白血病において、変異したTP53が機能喪失や機能変容などどのような作用を有しているのか、その病態理解は十分な結論には至っていない状況が続いています。現在私たちは、TP53変異白血病細胞の独自のレドックス制御に着眼し、新たな治療戦略の開発を行っています(Nishimura et al. ongoing project)。また、SETBP1変異は比較的高頻度に認められながら、その意義の理解や解析手法でこれまでに大きな限界を抱えていました。そこで、より生理的な条件を模倣した生体モデルや単一細胞レベルでの解析手法を用いて、正確なクローン進展メカニズムと新規治療戦略を確立しつつあります(Saika et al. ongoing project)。さらに、がんと発生をつなぐ機構にも注目し、がんと同一のSETBP1変異が生殖細胞系列で生じる先天性疾患Schinzel-Giedion syndromeの病態についても単一細胞レベル解析を用いて探索しています(Yamazaki et al. in preparation)。

(3) ブロモドメインタンパク質による造血制御およびそれらを標的とした白血病治療応用

がんにおいて、ブロモドメインタンパクBRD9のRNAレベルでの制御異常ついて、スプライシングの観点から報告してきました(Inoue et al. Nature 2019)。正常造血および腫瘍性造血における、CTCFを介したBRD9阻害による幹細胞分化制御機構をクロマチンレベルで詳細に明らかにしており、生体モデルでの治療応用を進めています(Xiao et al. Nat Commun 2023Hasegawa et al. ongoing project)。さらに、成人造血と胎児性造血におけるBRD9の役割の違いや(Zhang et al. iScience 2025)、BRD9-NUTM1融合遺伝子が原因となる乳児白血病の発症機構(Nishimura et al. in revision)、制御性T細胞におけるBRD9の機能の解明にも取り組んでいます。これらにより、ブロモドメインタンパク質であるBRD9と発がん・発生との関わりを病態解析から治療応用まで含めて展開しています。BRD9は新しく同定されたSWI/SNFクロマチンリモデリング複合体であるnon-canonical BAF複合体の必須の構成因子とされていますが、他のブロモドメインタンパク質であるBRD4との相互作用も報告されています。ブロモドメインタンパク質同士の作用を阻害する手法についても検討を重ねています。

(4) 造血細胞に生じる新たな細胞死フェロトーシスの意義・代謝リプログラミングを利用した治療応用

がんや老化に伴う代謝リプログラミングの理解は、病態に基づく治療応用において不可欠な領域です。私たちは、加齢に伴う酸化ストレス、脂質過酸化の蓄積について、セレノプロテイン、鉄依存性の細胞死フェロトーシスの観点から、造血幹細胞の分化バイアスや老化、MDSなどの疾患発症の観点から研究を進めています。抗酸化タンパク質であるセレノプロテイン群(強い還元作用を有するセレノシステインを含有するタンパク質群でありヒトではGPX4など25種類が知られています)が過酸化脂質蓄積の抑制を介して造血幹細胞の幹細胞性の維持とBリンパ球の分化成熟に重要な役割を果たすこと、セレノプロテインを合成できないモデルマウスは血液老化形質を示すことから、加齢性造血と酸化ストレス制御機構との関連性について明らかにしつつあります。興味深いことに、過酸化脂質が蓄積したB前駆細胞は、細胞系列をまたいでミエロイド系列への分化スイッチをきたす一方で、ビタミンEを豊富に含む食餌によりBリンパ球の減少が改善されるなど、加齢性造血や分化機構に新たな視点を与える成果を報告してきました(Aoyama and Yamazaki et al. Blood 2025)。また、セレノプロテインやその合成系を阻害することで、AMLをはじめとしたがん細胞に対してフェロトーシスや酸化ストレスを特異的に誘導する治療戦略にも取り組んでいます。レドックス制御機構にとどまらず、がん細胞の代謝変容の理解は重要な課題であり、栄養(アミノ酸や微量元素)・幹細胞・分化をつなぐ視点からも探索しています(Yamazaki et al. ongoing project)。

(5) 造血幹細胞とニッチ環境および他臓器との相互作用の解明

血液がん細胞がニッチを構成する微小環境をどのように制御し、また骨髄微小環境の変化がどのように造血に影響を与えるのか、細胞外小胞、単一細胞レベルでのクロマチン解析、イメージングなどの新規テクノロジーを用いて明らかにしています。とりわけ、血液細胞と骨との臓器連関や、骨の元になる間葉系幹細胞のクロマチン制御異常などを単一細胞レベルでの解析を用いて探索しています(Hayashi et al. ongoing project, Hayashi et al. Int J Hematol 2023)。例えば、血液がん細胞は、細胞外小胞を介して、間葉系幹細胞による正常造血支持能を抑制することで、相対的に自身に都合の良いニッチ環境を生み出していることを報告しました(Hayashi et al. Cell Rep 2022)。この研究を起点に、造血細胞側の酸化ストレスやクローン性造血がどのように全身疾患に不都合な帰結をもたらすか?という点にも着眼し、研究を進めています。

(6) 時間の概念から細胞を捉える新生物学

近年のシングルセル解析技術の進展により、想像以上に多種多様な細胞集団から構成されることが明らかになり、同一の細胞カテゴリーに属すると考えられていた個々の細胞にも遺伝子発現パターンや細胞表現型において個性があることが明らかとなってきました。また、同一カテゴリーに属する細胞種間の多様性の変容が「クローン選択」として認識され、例えば、発生過程における質の高い細胞の選択やがん化における前がん病変の形成など、生老病死のあらゆる場面でクローン選択の重要性が示唆されています。しかし、現在汎用されているシングルセル解析は細胞や核の破壊的操作が必須であり、複数の異なるサンプルから得られた「スナップショット」の変遷から、多様性の形成過程を類推するにとどまっているのが現状です。そこで、単一細胞レベルでの塩基編集技術やバーコード技術を利用して、今見ている形質を持った細胞の元の正体とは何か?時間を遡ってみる新技術の実装に挑戦しています。逆行性細胞系譜解析や、細胞系譜・イベントを忠実に記録する新手法を用いて、これまでにない領域を拓く挑戦的研究といえます。学術変革B、JST-CRESTにおいてサポート頂きながら、発がん、分化コミットメント、胎児造血発生、加齢などの様々な局面から細胞の運命を紐解いています。