「生命倫理」

 「――こいつらは、所詮その道の熟達者に過ぎん。晋作は、ひとり冷やかであった。その道の熟達者、いまの言葉で言えば専門家であろう。学芸や技術の専門家というのは、それぞれ専攻する部門において、常人を越える知識と見解を持つ。その専門的知識や見解は、文化の進展という面では珍重すべきであろうが、多面性を持つ異文化に直面すると、その専門とする一部門に囚われて、大局観を欠く。」  これは池宮彰一郎氏の『高杉晋作』の一節である。私はこの一節を読んだ時に、この記述は、生命倫理についても当てはまるのではないかと感じた。というのも、生命倫理を学ぶには、法学、自然科学、歴史学、政治学、社会学、経済学、哲学、倫理学、心理学、宗教学など多くの学問の助けを借りなければならないからである。要するに、生命倫理に関する問題を考えるためには、単に自分が専門とする分野の知識だけでは足りず、多様な素養や広い知識が必要となるのである。   もっとも私自身は、多様な素養や広い知識などと呼べるようなものは現在持ち合わせてはいないが、多様な素養や広い知識を有する状態に少しでも近づけるように日々学問を積み重ねていきたいものである。 (元越 勇人)

「ちょびっとサイエンス・コミュニケーション」

 加藤研はケーキばっかり食べているのか、と誤解されても困るのですが、実は9月にもバースデー・ケーキをいただきました。お祝い対象者は複数だったのですが、ケーキの上のメッセージ・チョコレートに、代表として私の名前を載せていただくという栄誉にあずかりました。  写真をご覧ください。なんと、左端にはDNAの二重らせん、右端には細胞があしらわれています。こんなチョコ板は、今まで見たことがありません。わが研究室の「ものづくり姫」井出さんが、ケーキ屋さんにかけあって描いてもらったとのこと。パティシエ相手に、井出さんが熱心に説明している様子が浮かんできます。  「サイエンス・コミュニケーション!」と大仰に構えなくても、サイエンスの話をするチャンスは、日常にごろごろ転がっています。私は免許の更新に行って、鮫洲試験場のおじさんと「遺伝子検査」について話し込んでしまったことがあります。家族や友人のなにげない質問も貴重ですね。私はほとんどの場合すぐには答えられないので、自分で調べるきっかけになります。  ケーキ屋さんで、街のどこかで、ちょびっとサイエンスの話をする ―そんなところから始まるものも、あると思うんです。 (加藤牧菜)