「PCSTにて」

5月16日から20日まで韓国・ソウルに行ってきました。 ただし、お断りしておきますと、観光ではなく、The 9th International Conference on Public Communication of Science and Technology(PCST-9th)という科学コミュニケーションの国際会議に参加するためです。 お世辞にもできるとは言い難い英語力で口頭発表やポスターセッションを聞いてきたわけですが、そのなかで考えたことを一つ書きたいと思います。 本学会最終日のPlenary Sessionで、カナダのBernard Schiele博士が科学コミュニケーションにおけるLocal Activityの重要性を強調されていました。このことはこの学会、さらには科学コミュニケーションという分野そのものの全体像を象徴しているように思えます。事実、他の個別発表でもそういったLocalな科学コミュニケーションの事例報告が多く成されており、またその重要性は度々指摘されていたように思えます。 そこで私が考えたこととは、「科学の研究」そのものは果たして「Local」なのかどうかということでした。 科学的な発見というものは世界のどこかの研究室の一角、つまりは非常にLocalな場所でなされるものです。そして、その研究の成果は論文などの形で世界に向けて発信され、世界中の研究者に評価されることになります。優れた研究であればあるほど、一挙にGlobalな発見として広まって行くのです。ところが、その研究がなされた地域(Local)の人たちはその研究について全然知らない、ということはよくあることです。 折角Globalに知られるような良い研究を、それがなされたLocalな地域(場所)で知られていないということに非常に違和感を感じるのです。おらが町の名産物ではありませんが、身近なところから次第に広がって行く科学というものがあっても面白いかもしれません。 ここで述べさせていただいたことは至極当たり前のことかもしれません。しかしその当たり前の事がやはり重要であり、また世界中でまさに考えられていることである事を再認識できたということは大いに意義のあることだったと思うわけです。 (標葉 隆馬)

「さまざまな言葉」

 ひきつづき、初めまして。М1の新美耕平です。  個性的なキャラクターたちの寄り合いとなった加藤研。新年度も一ヶ月が経ち、気候が暖かくなってゆくにつれて、毎日のお茶の時間が賑やかなものになってゆくようです。  さて、私にとってこの春から新しい縁を持つことができたのは、人だけではありません。生命科学それ自体がそうなのだと言えます。いわゆる文系の学部出身の故、基礎的な知識も用語も、一気に圧倒的な量と鮮烈な出会いをしている真っ最中。  何よりも耳新しい言葉の数といったら! 学問とは厳密性を求めるものですから、どのような分野でさえ専門の学術用語が多くあり、日常語彙よりも厳密な意味を付与されているものです。それにしてもこの世界は、たとえばそれぞれ異なる役割を果たしている数多の遺伝子や酵素、たんぱく質に一つ一つ名前をつけたりして知識を積み上げてゆくものであるから、まるで無数のようにすら感じたり。極めて専門的な議論を展開されれば、それはまるでお経。門前の小僧となるにはもうしばらく時間がかかりそうです。  それでも私の好奇心が途切れないのは、どれだけ高度に複雑で難しい話ではあっても、それは生命体が普段当たり前にやっている活動を、言葉を使って表現しようとする言い換えに過ぎない、と思っていることに由来していそうです。世界中の優れた科学者たちが束になって研究にあたっていても中々すべてが簡単には解明できないほど、生命は見事としか言いようがない営為を自ずから然るべく行っている。先端的な生命科学の知識を得るほど、生命ってすごいという素朴な感動を幾度も味わえることだけでも、ここにきてハッピーだと思う今日この頃です。  もちろん好ましいことしか見えない目を持つことも問題です。誰かが意図したことではなくとも派生的に好ましくないことが生じるも理。せっかく二つあるのだから、しっかり両の目で世界を見据えたいものです。  今年二月に逝去されたこともあって、経済学のビッグネーム都留重人氏の『科学と社会』(岩波ブックレット)を読み返したところ、「科学への期待」と題された一章があり、そこで氏がE・F・シューマッハーの言葉を引用しているのが心に留まりました。  「自然はいわば、どの点で、いつ、停止するかを知っている。…自然のものすべてには、その大きさ、速度、あるいは乱暴さという点で、節度がある。その結果、人間もその一部であるところの自然のシステムは、おのずからのバランス、調整及び浄化作用を発揮する傾向がある。だが技術に関しては、そうは言えない。あるいは、技術と専門化に支配されている人間についてはそうは言えない、というべきか」  このような言葉も忘れずにいたいものです。 (新美耕平)

「科学技術週間」

 はじめまして。この春より加藤研に仲間入りさせていただきました、高橋可江と申します。関東出身者ですので、今はまさに異文化体験の只中です。どうぞよろしくお願いいたします。  さて、17日から、科学技術週間が始まっています。 加藤研では、何といっても「一家に1枚ヒトゲノムマップ」の制作という大きな仕事がありました。ありました、などといいましたが、実は今も、予想をはるかに上回る反響への対応やWeb版の更新(まだまだ増えるようです、乞うご期待!)など、決して仕事が終わったわけではありません。加納さんをはじめ、制作チームは相変わらず忙しそうです。 しかし、この「ヒトゲノムマップ」については既に二つ記事が続いていますので、今回は別のネタでお話をしようと思います。  科学技術週間というのは、1960年(昭和35年)2月に、閣議了解によって設けられたものだそうです。その趣旨は、「科学技術に関し、ひろく一般国民の関心と理解を深め、もって我が国の科学技術の振興を図るため、科学技術週間を設け、できるかぎりこの期間中に各種の科学技術に関する行事を集中的に実施し、目的達成に資するものとする」とされています。 1960年といえば、60年安保闘争のあった年であり、日本で初めてカラーテレビの本放送が始まった年であり、世界的には、当時植民地だったアフリカの地域の多数が独立を達成したことから、アフリカの年と呼ばれるそうです。生命科学に関していえば、DNAの二重らせん構造が提唱されたのが53年、セントラルドグマが提唱されたのが58年ですから、まだ産声をあげたばかりといった時期でしょうか。 この46年間に、「科学技術」に起こった変化はすさまじいものだったと思います。にも拘らず、今も変わらず同じ趣旨のもとで「科学技術週間」が続いているというのも、考えてみればなかなかすごいことです。 科学技術週間が設置された1960年当時には、「科学技術の振興を図ること」イコール「国が豊かになること」「生活がより良くなること」だと、おそらく多くの人が信じていたでしょう。しかし今は、「国を豊かに、生活を便利にする科学技術」というごく単純な「科学技術の在り方」は崩れつつあり、ではこの先科学技術は社会全体の中でどう存在していくのか、その「在り方」を模索しなおすことが求められているように思います。とすると、科学技術週間の趣旨も、46年前と同じ文に基づいてはいても、そこに持たされる意味はもっと大きく、複雑になってきているのかもしれません。   ちなみに、1960年にはまだインターネットは影も形もありませんでした。つまり、歴史無知な人間がちょっと調べて、さも自身の教養であるかのように「1960年といえば~」などと行数を稼ぐことはとても不可能だったわけですね。 これも「科学技術の恩恵」というやつです。 (高橋可江)

「桜だより」

  春雨に桜舞い散る京都です。が、加藤研はと言えば、一足早く筍の季節。いえ、むしろ雨後の筍と見まごうばかりに増えゆくものが幾たりか。その中の2つをご紹介させていただく所存です。 まずは人、研究室のメンバー増。メンバー紹介のページからも分かるとおり、昨年は9人(年度初めは8人)だったメンバーが、今年は既に17人。大所帯に膨れ上がったお陰で研究室内もすっかり模様替えされて、まさに4月、桜の季節を体現中。「あれ、ゴミ箱どこだ?」と戸惑うこともあるように、まだまだ慣れない新環境ではありますが、人は宝でございます。一気に宝物が倍近くに膨れ上がった加藤研、今年の成果に期待です。何せ7福神ならぬ17福神。社寺の都、京都ならではの験担ぎかもしれませぬ。 そして筍よろしく増え続けているもう1つといえば、やはり、「一家に1枚ヒトゲノムマップ」への反響を挙げないわけにはいきません。先週の一言日誌にもありますが、加藤さんを中心とした当研究室メンバー、特に加納君の頑張りが見事実った素晴らしい一品が、昨日4月14日、華々しく全国デビュー(http://stw.mext.go.jp/20060414/index.html参照)。支えて下さった沢山のご協力者の皆様、先生方のお陰なのは勿論ですが、昨年度末からの早足マラソンにも関わらず、見事な完成品を作り上げたこと、研究室内部の内輪びいきではありますが、心からの賛辞を送ってしまいます。まだ報道発表の熱覚めやらぬ15日ということをご考慮の上、身びいきの賛辞、ここは1つ暖かく受け止めていただけることを期待して、今年度初の一言日誌を締めましょう。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。 (ひがしじまじん)

ひとこと日誌を書くまでの道のり

 立春なのに大寒な陽気。ラボの人数が増えたものの、相変わらず寒いので耐寒に余 念がありません。とは言っても、窓際に段ボール、片手に温かい飲み物くらいですが。   ご存知の通り、ひとこと日誌はラボのメンバーでまわしています。現在7人(たまに8人)ですが、順番がまわってくるのが早い! ほっとしたのもつかの間、「赤いポスト」が机の上に置かれます。置いてくれるのは、ひとこと日誌更新係の加納さん。この「赤いポスト」は貯金箱で、最近は街中では見かけなくなった一昔前のかたち。日記を書くたびにお金を入れるわけではありません、念のため。 実は昨年末わたしの順番が来たのですが、ちょっとズルをして牧菜さんと伊東さんに頼み込んで先に書いていただきました。特にワイロも要求されず、お二人とも快諾。次は誰に替わってもらおうかなどと邪な考えを何とか捨てて、自分の順番だと名乗り出たのは1月中旬でした。 この時期から、わたしの汚い机の上には「赤いポスト」が鎮座していました。あまりにも汚いからか、妙に机に馴染んでいます。そう、汚い机のオアシスのような。だからというわけではないのですが、ひとこと日誌を書かなければならないことを約2週間ほど完全に失念してしまいました。そこへ加納さん、絶妙なタイミングでわたしにリマインド。まだ何の準備もしていないため、「すみません。来週中には書きます」と申し訳なさ気に答えるしかありませんでした。 そして昨日。 「山本さん、ひとこと日誌よろしくね」。 とうとうボスからリマインドが……。 (山本芳栄)

生命科学と社会のコミュニケーション研究会

 先週14日(土)、第3回生命科学と社会のコミュニケーション研究会「実践から研究へ」がひらかれました。 これまでのテーマ「サイエンス・コミュニケーションの最前線」「出版される科学」と比べると事前申込者が少なく、「やっぱり、研究としてコミュニケーションというのは難しいのかな・・・」と少々深刻な空気が漂った加藤研でしたが、ふたを開けてみると当日参加者が多く、質疑応答も活発でした。  大阪大学の小林傳司さんは、「私はむしろ『研究から実践へ』です」と前置きして、まず科学哲学と科学社会学の概観をわかりやすく示してくださいました。「学生が大学院に進学すると、根本的な問いをだんだん発さなくなり、『君もわかってきたね』と言われるようになる」という例を、パラダイムが共有されて効率よく知識が生産される「通常科学」の説明として挙げられ、笑いつつ身につまされました。また、1970年前後を境に科学批判の議論が世界的に深まったということも、具体的な例を豊富にまじえて解説してくださいました。 今後は「看板方式」のような、日本発で世界に通用するコミュニケーションモデルづくりを目指されるそうです。  農業生物資源研究所の山口富子さんは、先端科学技術の社会学的分析、とくに言説分析について、ご自身の立場や用いている手法について具体的にご紹介くださいました。まず「社会問題の社会構築主義」、つまり、例えば遺伝子組換え作物の商業化やアルコール中毒といった事柄が問題であると社会で認識されるまでには、その問題に利害関係のあるさまざまな立場の人どうしの社会的な相互作用があるという考え方を解説されました。その相互作用がどのようなものであったかを精査するために、聞き取り調査や参与観察、印刷物などのデータを収集し、誰がどのような発言をしたかということを定量的・定性的に調べます。 質疑応答では、調査の具体的な方法やデータの解釈について、生物系の研究者も興味をもって活発に質問していました。   最後の討論では、科学と社会をテーマとした研究を「何のために」おこなうかという議論がなされました。社会問題をテーマにしている以上、論文さえ出ればめでたしというわけにはいかないという考え方がある一方で、問題に対する自分の立場を表明してしまうと、分析や仲介の中立性を保つことが難しくなります。 現状を分析しながらタイムリーに問題解決に寄与するために、どのような研究をどのような立場でおこなうか。科学と社会についての研究を進める上で、つねに考えなければならないことです。 さらに、単純に「科学と社会」とは言えなくなってきている現状があります。何らかの専門家であっても、すこし分野が離れるとほとんど素人ということは珍しくありません。研究者が集まると、それは専門家集団というより、いろいろな立場の人を含む「社会」を形成しているといえます。科学と社会のコミュニケーションを考えることは、結局、科学が関わるコミュニケーションについて考えることにほかならないと思います。 (伊東真知子)

「福岡の熱気」

あけましておめでとうございます。みなさまの2006年がよい年でありますように。  さて、昨年の12月の話題です。福岡で行われた分子生物学会の枠特別枠ワークショップに参加して参りました。以下、その報告です。  9日の「研究を伝えること、研究に伝えること-生命科学のコミュニケーション-」のワークショップでは、コミュニケーションの現場で活躍する若手の面々が登場しました。リアリティあふれる発表は、どれも具体的な示唆に富んでいて非常に興味深かったです。フロアも交えたディスカッションでは、「研究者は、研究とアウトリーチ活動をどう両立させるべきか」「研究者のアウトリーチ活動に対する評価はどうしたらよいか」といった話題について、活発な意見交換が行われていました。  10日の朝は、「初等中等教育における生命科学教育の危機的状況に向かって-研究者と高等学校の真の連携を考える-」というタイトルのワークショップでした。現場で試行錯誤をしておられる高校の先生方の、「実体験」をもとにした発言には、説得力がありました。カリキュラム作りの問題だけでなく、他の教科との連携をどうするか、大学との関係をどうするか、といった幅広い話題が次々と提示されました。また、生命科学の研究者コミュニティが声を上げることも、強く求められていました。  11日の日曜日には、エルガーラホールで「ミニ・ゲノムひろば」が行われました。学生さんたちが大勢来場してくださって、大盛況! 私も、「そもそもゲノム」の解説員としてパネルの前に立ちました。熱心な高校生と一緒にパネルをまわって、はしゃいできました。同時に行われた市民講座でも、それぞれの先生が面白い話題を提供して下さいました。石川冬木先生のお話を聞き、なんとか一日の摂取総カロリーを減らそうかと思いましたが、博多の美味の前に、試みはもろくも崩れ去りました。 (加藤牧菜)