「3月の車内の光景から」

この一年、自宅が在る奈良から京都へ通っていますが、3月に入ってから電車の中の様子が日々異なる気がします。 “今日は妙な緊張感が漂っている”と思ったら、受験生があちこちに。 “今日は少々騒がしい”と感じた時には、ハイカースタイルのおばちゃん達。 “羨ましい”と思った日には、目の前に旅行鞄を提げた学生が。 “今日は華やか”と思った時には、袴姿・振り袖姿に既に視線が向いていました。 “はしゃぐ幼い声”の方を向くと、両親に手をつながれて卒園式に向かう子どもの姿が。  等々。。 これまでにも季節の変わり目には、制服が変わったり、長期休み前後に突然空いていたり混んでいたりしましたが、 これほど毎日のように車内の光景が違ったことは無かったように思います。 そして連日のこの光景は、否応無しに年度の節目を感じさせます。 研究室でも、まだまだと思っていたのに・・・ 月曜日は事務補佐員の黒田さんの送別会。 そして水曜日には、修士を修了して卒業する井出さんの送別会でした。 寂しくなりますが、新たな場所で活躍する姿を想像すると、寂しさよりも期待感が膨らみます。 黒田さん、お世話になりました。 井出さん、卒業おめでとうございます。   (川上 雅弘)  

「国際学生セミナー」

2月27日から3月2日にかけて第5回国際学生セミナーが京大会館にて行われました。私自身この研究室に来て初めての研究発表ということになりました。 私は日本でのサイエンスカフェについて発表したのですが、日本でこれだけ広まっていると感じているのは我々を含む科学コミュニケーションに興味を持っている人の中でだけかもしれません。 京都でも3カ所でサイエンスカフェが定期的に行われており、その一つは京都大学の学生が中心となって行っておりますが、そのサイエンスカフェも京都大学の学生にはあまり周知されていないようです(少なくとも私の話を聞きに来てくださった学生さんは誰もサイエンスカフェの存在を知りませんでした)。ですが皆様、非常にサイエンスカフェに興味を持っていただけたようです。 サイエンスカフェという社会と科学の新しい関係を築けるであろう場を、一般市民にはもちろんのこと、科学者(特に若手)の皆さんにこのように学会という場で知ってもらえるよう、私自身も活動していくべきなのかもしれません。 日本におけるサイエンスカフェのあり方をしっかりと提言できるよう今後も動向を見守りつつも、私自身の研究の意義、今後の展望を考えなければ、と改めて考えされられた1日でありました。 私もそろそろサイエンスカフェ行脚をする必要がありそうです。 (松田健太郎)

「生命『文化』を名乗ることの射程」

先日、小説家・多和田葉子氏の作品『海に落とした名前』を読みました。中に、飛行機事故で自分の名前を思い出せなくなった主人公が、医師とこう会話する箇所があり、ふと目が留まりました。 –「脳に怪我をしていないということが立証できますか。」「それはレントゲン写真というものもありますし。」「でもレントゲン写真に写るのは限られたものだけですよね。例えば、わたしが日本語ができるかできないかということも、レントゲンには写らないでしょう。」「それはそうですよ。そんなこと遺伝子を調べたって分かりません。」– そして名前のない主人公の彼女は、「名前ではなく身体を保険に入れるべきですよ。家を借りる契約も、名前ではなく身体と結ぶべきです。」と呟くのでした。 人というのは面白いもので、記号でもって人格を互いに、そして己をも認識している。名前はその最たる物であります。無くても生存はできるが、「世の中」を生きてゆくことはできない。 「識る」ということもそうで、わたしたちはつい物事に名前をつけて整理したくなるし、そうやって自分の頭の中を落ち着けたいと欲する。植物も昆虫も遺伝子も、「ただそこに在るもの」なのだけれども、一つ一つに名前という記号をわたしたちの側でちょっと勝手に付けたりして、その特徴や働きぶりとセットにして覚えるたら何となく落ち着くし、世界を見渡しやすくなる。もちろんレントゲン写真や遺伝子でもっては、人格には至れません。これは大事な気付きです。ですが、別な形で至ることもあります。「文化」という形で、です。 昨年、自分の子をこの世界に迎えるという文字通り有難い経験をしました。まあ壮大な生命誌を鑑みれば、その奇跡性と、「自分の子」という表現の意味の無さに気絶するほど気が遠くなるので、今回はそこまでで止めておきます。 この出来事に伴った得難い行為の一つは、新しい客人の命名です。おっと、「命名」と打っただけで字面から言いたいことが全表現されてしましたね。本当に漢字というのは、DNAにも勝らんとする恐ろしい発明です。ですが折角なのであとちょっと、思うところを「ひとこと」だけ。 名前を考案するにあたり、昨年他界された惜しむべき文字学の碩学・白川静先生の字書を参考にさせていただきました。名はある意味、親が子に与えられる最大のものかも、と思っていましたが、やはりそうでした。名は呪とはよく言ったものです。記号でありつつ、その人の内面をも形成するのですから。 白川先生の字書を紐解くという行為は誠に、至福の愉悦だと言うほかありません。先生の偉業を、石川九楊氏はこう表されています。 「たとえば次のようなことを想定したらよい。東海の弧島(日本)の縄文時代に存在した言葉=語彙の大半とその語源が明らかにされ、加えて、各語彙がどのような共通項をもって相互に関係しているか、つまり語彙の宇宙の総体が解き明かされたとしたらどうだろう。 その時、縄文時代の社会と生活、さらには人間の意識に至までが生々しく再現されることであろう。当然のことながら、「稲」や、「水耕」に相当する言葉があれば、別段、考古学的発見に頼ることもなく、水耕稲作が存在したことは証明されるになる」(平凡社/月刊「百科」一月号より) そして白川静の仕事は、紀元前1300年頃の殷(商)時代からこの方の漢字文化圏に置ける祭祀儀礼、政治・制度、社会習慣、人間意識の内面に至るまでの全体像を描き出したのです。千年単位の仕事です。その上、凄まじきは成果を数多くの「字書」という大著で形に残したことにあります。これが、我々が白川先生を失ったにも関わらず喪失感が小さいことの表れと言えましょう。先生の著作は間違いなく、百年後も二百年後も本屋や図書館の棚に有るだろうと断言できます。 さて文化というものは、時代の徒花といったものもありましょうが、基本は時代を超越して、窯変しながらも、あり続けるものだと思います。学問など正にその典型であり、また、そうでなくてはならないものでしょう。わたしたちはその知恵を元手に、偶然の産物であるその時代の状況に合わせて、物事の処し方を考える。馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことですが、何度も己に言い聞かせたいことでもあります。 現代において偶々「生命科学」と呼ばれている学問も同様です。上記の石川氏の文章で、「言葉(語彙)」を例えば「遺伝子」とかに置き換えて読んでみれば自ずと分かることでしょう。僅かな寿命しか持たない一人の人間が、何億年単位の生命の歴史の広大な潮流を窺い知ることができる。その得難さが、一時の浮世の流れに惑わされずに掲げ続けるべき、生命科学という学問の第一の「看板」だと私は思います。 この前の未来館においての森田さんの写真展も、同じ根から出芽する営みであることが見て取れるものでした。わたしたちが普段は見ることがが出来ない、生命の独特の「質感」の世界があることを窺おうとする営みです。遥か遠来の星空を眺めることをそれこそ紀元前から続けてきた、いかにも人間らしい営みだと思います。生命「文化」と名乗るわれらには、こういう営みも相応しいものなのでしょう。 以上 ※ 注/最後から3行目「遠来の星空」・・・星の光は遠くよりはるばる来るもの、という感覚で使いました。 (新美耕平)

「常連さんのいるお店」

 京都に住み始めてから、お店の人といわゆる「常連さん」がおしゃべりする光景に、時々出会うようになりました。 お店に常連客がつきやすい土地柄なのか、それとも単に私が以前より個人経営のお店によく行くようになったためなのか。その光景自体は「素敵だな」と思うのですが、初めて入ったお店で店員さんと周りの常連客のおしゃべりが始まってしまうと、やはり居心地の悪い思いをします。何度も通って自分も常連客になればいいのでしょうが、私は大抵その居心地の悪さにくじけてしまい、次からあまりそのお店に足が向かなくなってしまいます。 「常連さん」のいるお店に時間をかけて築かれる交流は、それ自体価値あるものではあるけれど、一方で、「常連さん」ばかりが集う雰囲気はときに「いちげんさん」にとって居心地の悪いものとなる。科学コミュニケーションの場を作ろうとする際、似たようなことが悩みになることがあります。  たとえば、ここ1、2年の間に急速に日本に広まってきた「サイエンスカフェ」という活動があります。やり方は色々ですが、大まかに言えば、街中のカフェやバーのような比較的気軽に立ち寄れる場所で、飲み物などを飲みつつ、科学者が一般の客と科学の話題について語り合う、といった活動です。フランスの「哲学カフェ」をモデルにしてイギリスとフランスでほぼ同時期に始まったもので、趣味の個人が主催する場合も、大学の機関やNPOやその他の組織がオーガナイザーを務める場合もあります。講演というよりも科学者を交えたその場にいる全員のディスカッションに主眼が置かれ、教育や知識提供ではなく「科学を語り合うことそのもの」「語り合う文化の醸成」を目的としていることが特徴です。 ところが、日本人にはそもそも見知らぬ人とディスカッションをするような習慣があまりなく、カフェに科学の話題を持ち込んだだけではなかなか「気軽に語り合う」とはいきません。日本でのサイエンスカフェを単なる「飲み物付き講演会」にせず、全員が参加して語り合う場にするためにどんな工夫をすればいいのか、というのは、オーガナイザー達の共通の課題です。 回を重ね、サイエンスカフェに参加するメンバーが「常連さん」に固定されれば、ディスカッションは比較的やりやすくなるのですが、それが行き過ぎれば仲間内だけの閉鎖的な雰囲気を作ってしまいます。科学に対する「何やら難しいことを一部の人が閉じ篭もってやっている」みたいなイメージを払拭し、科学を「みんなで気軽にしゃべる」文化を作ることがサイエンスカフェの目的だとすれば、そのサイエンスカフェが「閉じ篭もった」雰囲気になってしまうのは避けたいなあ…と思います。   ところで、「常連さん」がいても、居心地の悪くないお店というのもたまにあるんですね。何が違うのだろうと考えてみても、これだ、と明確な答えがあるわけではないようです。絶妙な店内配置だったり、接客の細やかな気配りだったり、店員さんの笑顔一つだったり…、結局は、微妙な部分で常に「初めての人も歓迎ですよ」という態度が感じられること、に尽きるのかもしれません。 コミュニケーションを深めていきつつ、常に新しい人や要素を迎え入れる空気を維持するにはどうすればいいのか…「常連さん」のいるお店から出た後、よくそんなことを考えます。 (高橋可江)

「さよなら 加藤研究室」

事務補佐員・カナイです。 二度目の登場なのに、このタイトルってば。 タイミング的に「ゲノムひろば」のご報告をさせていただくところですが残務処理や集計などで、もう少々お時間を頂戴することになると思われます。近日中に研究室メンバーから詳細なレポートがございますのでご期待下さいませ(と、軽くプレッシャーを・・・)。 加藤先生があまりのお忙しさで体調を崩され、メンバーが「ゲノムひろば」準備で、やること山積みで途方にくれていた時期、家人に東京異動の辞令が出ました。「どうしてこの時期に?」と耳を疑いました。 本来なら数日で関西を後にせねばならないところでしたが、夫にわがままを言って「ゲノムひろば」が終わるまで、私だけ残ることになりました。大好きな加藤研のみなさまと中途半端な形でお別れしたくなかったからです。 そして始まった「ゲノムひろば」の本番。私は専門家ではないので、実質的に「ゲノムひろば」に参加するわけではありません。企画段階では「一般人サンプル」としての意見を述べること、当日は「おしゃべりゲノム」にお越しいただいた方々に飲み物をお出しするetc.でお手伝いをさせていただきました。 会場にお越し下さったたくさんの方々の満足そうなお顔を拝見しメンバーの働きが報われた、とちょっと「母」的な気分になったと同時に「科学コミュニケーション」の端っこを、両側からちょっぴり覗いた気持ちがしました。 在職期間は短かったのですが、生命文化学分野がスタートしてすぐの時期にスタッフとしてお仕事をさせて頂き、とても幸せでした。 加藤研の面々は魅力的なメンバーばかりで、これからもお仕事とは関係なくてもお付き合いができるような気がします。 歌の文句ではありませんが、「さよなら、また会う日までっ(‘-^*)/」。 私の後任を含め、今後とも加藤研究室をどうぞ宜しくお願い致します。 (金井 三奈)

「合同班会議」

 9月20日~22日にかけて、特定領域研究「ゲノム」の合同班会議に参加してきました。特定領域研究「ゲノム」(http://genome-sci.jp//) はゲノムの基礎研究に主軸をおく文部科学省科学研究費の研究プロジェクトです。本年度の合同班会議では160名を超える班員による研究成果の発表がありました。私も生命文化学(加藤研)の実践・研究の1つ「ゲノムひろば (http://hiroba.genome.ad.jp)」について、ポスターセッションでの発表を行いました。 私がこの班会議に参加したのは約5年ぶりです。5年前と比べ、私が今回の班会議で感じたゲノム研究の現状について紹介したいと思います。  まず一番強く感じたことは、私たちが行っている「ゲノム研究と社会との接点」の研究が増えたことです。そして、現場のゲノム研究者にもこのような研究が認知され始めたことです。大多数の研究者が関心を持っているとは言い切れませんが、今回の班会議では想像以上に多くの研究者から「ゲノムひろば」についての建設的な意見をいただきました。 二つめはゲノム研究で解析されている生物が非常に多彩になったことです。この5年でゲノムの解析技術も飛躍的に向上し、ショウジョウバエやマウスといった代表的なモデル生物だけでなく、多種多様の生物のゲノムが網羅的に解析されていました。この数の増加は予想以上でした。また、この生物の多様性からは、「ゲノム」という特定領域の研究成果が様々な分野での発見に貢献する可能性を感じました。 三つ目はゲノムの網羅的な解析にドライな研究、つまりコンピューターのシステムを用いた解析がよりダイレクトに加わっていたことです。実際の生物に触れる実験(ウエットな実験)とドライな実験との間には、人材の専門性の違いなど多くの壁があります。しかしこの「ゲノム」特定領域の中ではその壁が壊されつつあることを感じました。 最後に、「ゲノム」という特定領域全体について感じたことを紹介します。5年前は網羅的な解析が、大きなプロジェクトでなく、一つの研究室からでも実現可能になり始めた時代でした。その頃、生命科学の研究では「ゲノム」特定領域に限らず、網羅的な解析の研究が増加し始めていました。つまり、ある生命現象に関わる因子をゲノム情報から全て探し出してこようとする研究が増えたのです。そして現在、「ゲノム」特定領域では「1.網羅的な研究」「2.網羅的な研究から得られた一つの因子を解析する研究」「3.網羅的な研究から得られた多数の因子の働きを統合して理解する研究」の三つが混在しています。どれも生命科学の進展には欠かせない研究です。今後どのような研究が「ゲノム」特定領域の特色を出し、生命科学の進展に寄与するのか。どこに重点を置くのかといった研究の方向性を決めることは案外難しそうです。                                                               (白井哲哉)