ネットによる公開討論会”独創的研究とは”

平成12年9月8日ー12月31日(開催期間延長しました)

参加者:研究の専門領域を問いません。学部学生、大学院生、一般の研究者など、学問研究に従事しておられる全ての方。若い方の積極的な参加を期待しています。免疫学会会員以外の方からの参加も大いに歓迎いたします。

公開討論会”独創的研究とは”目次ページに戻る


7)小安重夫、誰のための科学か?(2000/09/19)

これまでの「独創性とは何か」という議論を読んできて、何かすっきりしないものがあった。吉村先生は「優れた仕事」から独創性を議論され、本庶先生は「独自の考えで始めること」という言葉の定義に戻り、最終的には「独創的な研究は、おそらくその研究が20年経ってもまだ引用されているかどうかによって決まる」と結ばれている。違和感は高浜先生のコメントを読んではっきりした。「“独創性”という切り口は、程度の差こそあれ研究成果に対する社会からの評価と不可分なものとして語られる」ところに違和感をおぼえていたのであった。吉村先生のいわれる「重要な生物現象を深い洞察 力で誰も考えつかなかったアイデアを出し実証する」という点でも何が重要かを決定するのは社会的な評価という論点が暗に隠されている。

 多くの方々が指摘されるように、科学はそもそも極めて私的なものである。なぜ自分が科学者になったかを考えてみたとき、自らの好奇心を満足させるという点が決定的だったことは間違いない。科学は「魂の根底から沸き上がってくるうねりの発露であるはず」であるという高浜先生のコメントには全く同感である。私は常々、科学を生業として生活できることを心から幸せだと思っている。好奇心から出発して何か新たな発見に至るプロセスには、「役に立つ」とか「注目を浴びる」という考えはない。私が受けた理学部の教育では、「役に立つ」ことを目標として考えることはなかったように思うし、一部の教官からははっきりと、役に立つことを考えるのは科学者として曲がっている、といわれたこともある。受けた教育によってここで議論されている問題の受け止め方が異なるのではないかと思い、敢えて自分の体験を基に私も議論に参加させていただこうと思う。ただしこの手の議論には、どうしても自分を棚に挙げてというようなところがでてくるが、それはお許しいただきたい。

 自分がなぜサイエンスをしているかを説明するために、あまり自慢にならない個人的な体験を語らせていただく。20年ほど前、卒業研究から大学院にわたりCaulobacterという細菌を材料にしていた。この細菌は湖沼などに棲む細菌で、腸内細菌でもなければ病原細菌でもない。私に与えられたテーマは、鞭毛の構成成分であるフラジェリンというタンパク質の精製であった。当時もっとも良く研究されていたサルモネラに代表されるように、通常の細菌の鞭毛は1種類のフラジェリンからなるが、Caulobacterは分子量の異なる2種類のフラジェリンを持つことが知られていたので、この関係を知ることが研究の目的である。首尾よくAとBの2種類のタンパク質の精製ができ、それぞれ試験管の中で重合して鞭毛様の構造を取ることが証明できた。次の疑問は1本の鞭毛の中に2種類のタンパク質が存在するのか、2種類のタンパク質は別々の鞭毛を形成するのかであった。そこで、ウサギを用いてそれぞれのタンパク質に対する抗体を作製することになった(実はこれが私の免疫学初体験である)。最初にできたA抗体を菌体や単離した鞭毛に加え、ネガティブ染色をして電子顕微鏡下に観察した。その時のことは一生忘れられない。A抗体は鞭毛の先端側にのみ反応し、菌体側には反応しなかった。後にB抗体もでき、B抗体が全く逆のパターンになることがわかった。この細菌では根元にはB、先端にはAというタンパク質が使われているのである(J. Mol. Biol. 153:471-475, 1981)。この「発見」は他人には別にどうということはないだろう。しかし間違いなく私にとっては大事件であった。自分で初めて何かを見つけたという実感が持てた瞬間であり、この時私はプロの科学者になることを決心した。以来、その時に撮った電顕写真は東京都臨床研、Dana-Farber Cancer Institute、慶應大学といつも持ち歩き、デスクの上や部屋に置いている。それからしばらく鞭毛の仕事を続け、もう一つ新しいことを見つけた。それまでに研究されていた細菌の鞭毛は突然変異体を除けば例外なく左巻きであったが、Caulobacterの鞭毛は野生型で右巻であった(J. Mol. Biol. 173:125-130, 1984)。これも別に多くの人にとってはどうということはないだろう。しかし、細菌は鞭毛の根元のモーターで鞭毛を回して移動するので、右巻と左巻では前に進むのにモーターの回転を逆にする必要がある。なぜ、細菌に右巻と左巻の鞭毛ができたのだろう。当時の私はおもしろいテーマを見つけてわくわくしていた。

 ところがである。複数の人から色々なことを言われた。曰く「そんなことをやっていても職は無いぞ」。曰く「そんな研究には研究費は出ないぞ」。現実にさらされた瞬間であった。役に立たない研究では食べていけないことを指摘されたわけである。当時は理学部から大学院を出ても職がない、いわゆるオーバードクターが沢山いた時代である。研究職が見つかるか、研究費がもらえるか、は切実な問題であった(今でもある意味では同じかもしれないが)。その後、紆余曲折があって私は免疫学者になった。もちろん免疫学者になった第一の理由は、免疫学がおもしろかったからである。そして免疫学者になったことを心から楽しんでおり、後悔しているわけでは無論ない。しかし、自分の免疫学研究の中でも個人的に興奮したことは数えるほどしかなく、初めて電子顕微鏡下にCaulobacterの鞭毛とそこに結合したA抗体を見た時ほどの感動を味わったことはない、ことは認めざるを得ない。私が最初に興味を持ったことに邁進しなかったことは、独創性の追及を自らあきらめたことになるのかもしれないし、私が大した免疫学者ではないと告白しているようなものかもしれない。鞭毛の仕事を続けて何ができたかはわからないが、本庶先生の「単に思い付くのとこれに自分の人生をかけるというのとは、大きな意味が違うことを認識すべきであり、そのことこそ独創性の出発点の一つであると私は考える」というコメントは胸に突き刺さる。

 それから何年もして、研究材料と研究費に関してその当時のことを思い出したことがあった。ある財団の助成金による成果報告会で、界面科学・非線形ダイナミクスを専門としておられる方の講演を聴いた時である。その時の講演内容をきちんと説明することは私には難しいが、その方の研究材料は除虫剤として昔使われた樟脳である。色々な形状の樟脳を水に浮かべてその動きの解析から基本原理を得て、その応用として様々な生理活性物質センサーを作っておられた。その方のアプローチのおもしろさとそこから情報を引きだす巧みさに、独創的な研究だと感激した。加えて、その方のお話では100万円の助成金は何年分もの研究費になるそうである。同じ額の研究費を自分がいただいたときに何というだろうと考えて、自分にないものは予算ではなくて頭ではないか、と真剣に考えた。

私は、独創的な研究とは、社会からの評価とは必ずしも関係はなく、その人の個性を際立たせる研究であると思う。その点、本庶先生の言われるオンリーワンの研究には強い共感を覚える。が、同時にそれを支えるシステムがなければオンリーワンの研究は育たない。本来は私的な営みである科学であるが、それを支えるのは研究費であり、現代においてはそのオンリーワン研究が社会的に役に立つかどうかという視点がどうしても入るだろう。個人的なパトロンを見つけて好きなことができる時代ではく、生命科学にお金がかかることは現実である。事実、現在の生命科学には多大な予算が必要であり、実際に投入されている(JSI Newsletterの第7巻1号(通巻12号)参照)。医学部に身を置く現在、私自身も平野先生が言われるような、「より医学的な人間臭い発想も研究のドライビングフォース」になることは認めるし、また今の自分が流行に無関心で研究をしているとはとても言えない。

 国民の税金を使って行われる科学に対して、説明責任がつきまとうことは避けがたく、目に見える成果が問われることはある程度仕方がないと思う。しかしそれでもなお、役に立つかどうかわからない個性的な研究に支援を惜しまないという姿勢は大切なことである。その点からは、自分達が後に続く人をどれだけ支援できるかということとともに、研究費の審査がどのように行われるかは決定的な影響がある。研究費の問題は、「独創性とは何か」という問題からは少々はずれるが、「独創性を育てるには何をすべきか」という、これまた繰り返される問題と密接に関係する。次の公開討論会で議論してはどうだろう。


公開討論会”独創的研究とは”目次ページに戻る 



免疫シグナル伝達目次にもどる

免疫学会ホームページ

免疫学会ニュースレターホームページ

平野研究室ホームページ

斉藤研究室ホームページ

烏山研究室ホームページ

義江研究室ホームページ

米原研究室ホームページ

黒崎研究室ホームページ

渡邊研究室ホームページ

桂研究室ホームページ

徳久研究室ホームページ

宮坂昌之研究室ホームページ

高津聖志研究室ホームページ

西村泰治研究室ホームページ

阪口薫雄研究室ホームページ

高浜洋介研究室ホームページ

吉村昭彦研究室ホームページ

鍔田武志研究室ホームページ

中山俊憲研究室ホームページ

他の関連サイト

インパクトファクター