教室の概要

大阪大学医学部精神医学教室は、明治22年(1889年)9月5日に大西鍛教授が大阪医学校に着任し精神科学の講義を始められた時、および、明治27年(1894年)に精神科としての診療科と教室が独立した時に始まりますので、本邦の精神医学教室としては第二番目の長い歴史を有しています。

大西鍛教授により基礎が築かれた阪大精神科は、大西先生のドイツ留学の後しばらく主任教授不在の時期があり、その間は京都大学の今村新吉教授が併任されました。

明治41年からは、和田豊種教授が32年間にわたり主任教授として教室の活動を高められ多くの業績をあげられ、進行麻痺や日本脳炎などの脳器質性精神疾患を中心とした神経科・精神科教室の伝統を形成されました。

堀見太郎教授は、和田教授のもとでマラリア療法における赤血球沈降速度の研究、堀見反応と名付けられた梅毒沈降反応の研究などの後、昭和12年からBonhoefferのもとに留学され外因性反応型の研究を進められ、症候性精神病、および、ストレスと視床下部の研究に多くの業績をあげられ、我が国における心身相関・心身医学の基礎を作られました。

堀見太郎教授の急逝の後を受けて、奈良県立医科大学教授から金子仁郎教授がお戻りになり、老年精神医学の研究を始められました。金子仁郎教授は、老年期認知症の有病率が5-6%であること、認知症は軽症・中等症・重症に区分できること、老人用知能検査(OISA)の開発などに業績を上げられ、脳血管性認知症とアルツハイマー型認知症の鑑別のためにドップラー法を用いた脳血流測定法を開発されました。金子仁郎教授は阪大を定年退官後、関西労災病院院長としてご活躍になり、総合病院精神医学会、死の臨床医学会などを創設されました。

昭和54年からは西村健教授により、老年精神医学のなかでも、老年期認知症の生化学的研究が大きく進展しました。アルツハイマー病脳内では蛋白が不溶性に変化していること、その不溶化した蛋白の大部分が細胞骨格蛋白であることなどを明らかにし、認知症発症の病態・機序についての検討が大きく進められました。また、問題解決能力をみる認知機能評価、観察による精神機能評価、ADLの評価の三点からなる西村式認知症評価尺度を作製されました。西村健教授は平成6年に阪大を定年退官後、甲子園大学人間文化学部教授としてご活躍中です。

そして、現在の教室は、平成8年から武田雅俊教授を中心として、アルツハイマー病の生化学、脳血管性認知症の病態だけでなく、広く老年精神医学の領域での研究活動が活発に続けられています。また、老年精神医学以外の精神医学領域においても、それぞれの研究グループの活動が展開されています。

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歴代教授

初代 明治22年(1889年) - 明治36年(1905年)
大西 鍛(おおにし きたう)教授
第二代 明治36年(1905年) - 明治41年(1910年)
今村 新吉(いまむら しんきち)教授 (京都大学との併任)
第三代 明治41年(1910年) - 昭和16年(1941年)
和田 豊種(わだ とよたね)教授
第四代 昭和16年(1941年) - 昭和30年(1955年)
堀見 太郎(ほりみ たろう)教授
第五代 昭和31年(1956年) - 昭和53年(1978年)
金子 仁郎(かねこ じろう)教授
第六代 昭和53年(1978年) - 平成 7年(1995年)
西村 健(にしむら つよし)教授
第七代 平成8年(1996年) - 現在
武田 雅俊(たけだま さとし)教授

現在、会員数600名を越える阪大精神科同門会「和風会」の会員は、大阪府下を中心とした関西の精神科診療機関における中核を形成しています。

平成8年4月1日から、武田雅俊現教授のもとで、教室は新たな体制で運営されています。教室の定員は、教授3名、准教授2名、講師3名、助教10名。シニア医員若干名、ジュニア医員(研修医)8名、大学院生各学年5名で20名まで、医局秘書4名です。

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