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失われた神経回路を取り戻すために
はじめに ─神経損傷は治せないのか─

私は医学部を卒業後、脳神経外科でトレーニングを受けました。この間、脳出血やくも膜下出血、脳挫傷や脊髄損傷といった、救急の疾患をおもに扱う病院に勤務して、多くの患者さんを診ましたが、これらの病気によって、会話をする機能が失われたり、手足が動かなくなったり、あるいは意識が悪くなってしまったりした場合、どのような治療を施しても回復がきわめて困難であることを痛感していました。

ときには、患者さん、とくに若い人はある程度の回復を見せることはあっても、患者さんの神経症状を治すことのできる治療はなく、無力感を感じることが多々ありました。さらに、私がまだ研修医だった頃、母が交通事故によって脳挫傷となり、後遺症を抱えたまま暮らすことになったことも、その後の進路に大きな影響を与えることになりました。

4年間の臨床経験を経て大学院に進み、研究を始めました。そこでは、私が臨床医だった頃に感じていた疑問を研究テーマとして選びたいと考えたのです。それは、いったん傷ついた中枢神経がなぜ再生しないのかというものでした。しかし大学院に進んだ1994年頃、このテーマに取り組むのは困難で、突破口が開けていない状態でした。

中枢神経のネットワークと再生

中枢神経とは、脳と脊髄を指します。中枢神経は、視 覚や聴覚などの感覚を通して情報を集め、考え、そして 司令塔の役割を果たしており、体中の筋肉や感覚器に張 り巡らされている末梢神経と対比して使われます。中 枢神経はネットワークをつくって機能しているのです。

たとえば、足を動かそうとするとき、大脳の表面にあ る神経細胞がまず指令を出します。指令は神経細胞の軸 索という長い突起を伝わって、別の神経細胞にバトン タッチされながら足の筋肉にまで到達します。堅い骨に しっかりと守られている中枢神経も、脳挫傷や脊髄損傷 などの外傷によって、また脳出血、脳梗塞などの脳血管障害などによって、傷つくことがあります。中枢神経の ネットワークが切れてしまうと、それまではほとんど無 意識にできていたことができなくなってしまうのです。

脊髄損傷や脳出血、脳梗塞で、手足が動かなくなっ てしまった場合、現時点ではその症状を根本的に治療 する方法はありません。つまり、中枢神経機能は再生 しないのです。

中枢神経の再生についての研究の歴史は古くからあ り、前世紀初頭のカハールの研究にまで遡ることができ ます。カハールは、感覚を伝える後根神経という末梢 神経の軸索を切断し、その後の軸索の再生を観察しま した。しかし、再生しかけた軸索は、脊髄のなかに侵 入できず、再生できなかったのです。これにより、神 経細胞自体に再生する力がないのではなく、中枢神経 の周囲の環境が再生に適していないのではないかとい う考えに至りました。

損傷された中枢神経の周囲では実にさまざまな現象 が起こります。神経のネットワークが切れると共に、損 傷周囲部においては、神経細胞を取り巻くグリア細胞 が増殖したり、炎症が起こったりします(図1)。これら複雑な現象の役割を一つずつ明らかにしていく研究 には、膨大な時間が必要だったのです。

再生阻害タンパク質の発見へ

ブレークスルーはなかなか起こらなかったのですが、1980年代になって中枢神経が再生しない理由を解き明かすきっかけになった報告がなされました。

皿の上で培養した神経細胞が、視神経鞘の上では軸索を伸展させることができず、末梢神経の周囲にあるシュワン細胞の上では伸展できるという結果でした。視神経の周囲を取り巻いているオリゴデンドロサイトという細胞が、突起の伸展を抑制している可能性が示されたのです。さらに、オリゴデンドロサイトの細胞膜表面のリン脂質からなる独特の構造をミエリンとよびますが、このミエリンが軸索の伸展を抑制することがその後報告されました(図2)。ミエリンは多様な分子からなっていますが、そのなかに中枢神経の再生を阻害している分子があるはずだと考えられたのです。もしもこの分子が発見されれば、その機能をブロックすることで、失われた神経症状を改善する治療を開発できるかもしれないと期待されました。

その分子の単離には意外にも長い年月がかかりましたが、2000年になって目的のタンパク質が発見され、3つのグループによって同時に報告されました。とくに、20年の歳月をかけてこのタンパク質を探し続けたスイスの科学者マーティン・シュワブ博士らの功績が大きかったと言えます。Nogoと名づけられたこのタンパク質が発見されてからの数年間は、Nogoがどのように神経細胞に働いて、ネットワークの再生を抑制するのかという疑問の答えを探ることに費やされました。さらにMAGとOMgpというタンパク質もNogoと同じ性質を持っていることが報告され、これらを軸索再生阻害タンパク質とよぶようになったのです(図3)。世界中の多くの科学者がこれら3つの軸索再生阻害タンパク質のシグナル伝達機構の解明に取り組み、80年間の謎は21世紀に入ってほんの数年ほどの間にほぼ解き明かされるに至ったのです。

留学先での経験から軸索再生阻害因子の受容体の発見へ

私は大学院を修了した後、1998年よりドイツに留学しました。大学院生として私に与えられた研究テーマは、中枢神経の再生とは関係のないものでした。留学先で私に与えられた研究テーマは、p75という神経細胞に発現している受容体の機能を明らかにするということでした。私はいつの日か再生というテーマに取り組みたいと考えていましたが、実験自体が好きだったので、どのようなテーマでもそれなりに楽しいと思って日々を過ごしていました。

当時、p75は細胞死を引き起こす受容体だと考えられていました。p75から細胞死に至るシグナル伝達機構は何だろうかという疑問を解き明かすために、私は分子生物学の手法を使って、ニワトリのすべての遺伝子からp75に結合する分子を探索するという実験を行っていました。結合する分子を手繰っていくことで、その分子がどのような連鎖反応を起こしているかがわかるのです。

実験を進めていくと、意外なことにRhoというタンパク質が釣り上げられてきました。Rhoは細胞死を引き起こすという機能もないわけではなかったのですが、主としてアクチン骨格系、あるいはチューブリンを制御することによって、細胞の形をつくる因子として知られていました。私は、一連の実験によってp75は神経細胞の軸索の伸展を制御するタンパク質であることを明らかにしました。p75はRhoを不活性化することで、そのような効果を惹起していたのです(図4)。つまり、p75はとくに発生期の神経細胞に発現していて、Rhoを不活性化することで軸索を伸ばし、神経のネットワークを形成するのに役立っていたのでした。p75を持たないマウスは、このネットワークの形成がうまく行われていなかったのです。私の研究テーマは細胞死のシグナルという当初の予測から外れて、思わぬp75の機能を探り当てることになりました。

この成果を論文に発表した後に、私はドイツから帰国して、以前に大学院生活を送らせていただいた大阪大学で研究を続ける機会を得ることができました。この頃には、中枢神経の再生という長年心に秘めていたテーマに取り組みたいと意識し始めていました。私の論文が出た後に、さまざまな神経細胞で軸索の伸展を制御するキーとなる因子がRhoであることが示されつつあり、「Rhoの活性化を制御するp75が軸索再生阻害因子の受容体ではないのだろうか?」と思うに至ったのです。

このような大胆な予測や仮説は、通常はめったに当たることはないでしょう。なぜなら、もし仮説通りだとすると、p75はRhoを活性化できるだけでなく、不活性化もできるという、二面性を持った複雑な受容体だということになるからです。しかしこのときは、予測通りに実験が進んでいきました。私は、p75がこの再生阻害タンパク質の受容体であり、このp75により神経細胞のなかでRhoが活性化されることで、軸索の伸展が止まることを突き止めたのです(図4)。

実験を始めて半年後には論文にまとめることができましたが、p75が、発生期には軸索を伸展させ、成体ではそれを抑制するというコンセプトはなかなか受け入れられず、論文を投稿しても厳しい評価を受けて落ち続けました。しかし、2002年に論文でようやくその成果を発表できた後には、外国の研究者から祝福の言葉をもらったり、米国の科学雑誌のインタビューが舞い込んだりするようになりました。多くの追試によって私の実験結果が正しかったことが確認されたのです。そして3年後の2005年に、神経再生の分野の研究者に与えられる米国のアメリテック賞を、日本人としては初めて受賞することになったのでした。

挫折を乗り越えての研究の再出発

Nogoのシグナル伝達が解明されて、次に進むべき研究は明確でした。この軸索再生阻害シグナルを止めることができれば、損傷した中枢神経は再生すると期待されたのです。こうしてNogoが発見されて数年の間に、そのシグナル伝達機構が明らかになり、新たな治療開発への希望が開け、この研究分野の競争は一段と激しくなっていきました。

しかし、ものごとは思ったようには進まないものです。脊髄損傷させたネズミを用いて、Nogoを抑制したり、p75を抑制したりしても、ほとんど機能回復は促されず、損傷した神経回路も再生はしなかったのです。本当に残念な結果でした。当時は、中枢神経の再生を阻害するメカニズムが存在しないのではないかと考える科学者も出てくるほど、この研究分野の土台が揺るがされたのです。

しかし、私たちは、Nogo以外の軸索再生阻害因子が存在し、これが強い作用を持っているために、Nogoのみを抑制しても治療効果が認められないのではないかと考えました。つまり、まだ私たちは真の軸索再生阻害因子を見つけていないのではないかということであり、私たちは研究をあえて振り出しに戻したのです。

神経再生研究の土台ができた

その頃、私は研究者として独立する機会を得て、研究グループをつくることができました。スタッフと数名の大学院生が研究室に所属してくれ、この研究を進めていくことになったのです。また、幸運なことに、この軸索再生阻害因子を探索するプロジェクトで国から研究費を得ることができました。私たちはそれから数年間をかけて新たな分子の探索を行った結果、二つのタンパク質を候補分子として捉えることに成功したのです。

そのうちの一つはRGM(repulsive guidancemolecule)というタンパク質でした(図5)。この分子は、神経細胞を取り巻く細胞に発現しており、中枢神経が損傷を受けると、損傷周囲に発現が上昇してくるという性質を有していました。この分子の機能をブロックするために、私たちは機能中和抗体を作製しました。脊髄を損傷させて、後ろ足に麻痺がでたラットに、この抗RGM機能中和抗体を投与すると、4週間目を過ぎたあたりから徐々に運動機能が改善し始め、6週目以降では未治療群と比較してよりよい機能回復が認められました。実際にラットの脊髄を観察してみると、損傷によって切断された軸索が再生していたのです。この結果は、RGMが確かに軸索再生阻害因子として働いていることを明確に示しています。

また、二つ目の分子は、Wntとよばれる因子でした。Wntの受容体の一つ、Rykの機能を中和する抗体を投与すると、やはり脊髄損傷させたラットの運動機能が改善しました。これらの基礎研究の成果をシーズとして、脊髄損傷をはじめとして多くの中枢神経疾患による後遺症を緩和する治療薬の創製に向けて、開発研究を進めていくための土台をつくることができたのです。一方で、世界中の他のグループからも、新しい軸索再生阻害因子についての報告がなされ、現在では私たちが報告したもの以外に複数の因子が確立されています

産学共同研究の意義とコーディネーターの支援

私が神経回路の再生と修復という目標をしっかりと定め、外部での成果の発表なども積極的に行っていったことも影響してか、研究テーマに興味を持ってくれる若い人たちが多く集まってきてくれるようになり、現在、研究室は30名を超えるまでになりました。さらに、開発を支援する大型の研究費も取得することができました。

また、もう一つの大きな幸運は、早い時期に製薬企業の研究者の方々と共同研究を始めることができたということです。私たち自身は基礎研究によってシーズを発掘するところまではできますが、治療薬の開発につなげる力はなく、基礎研究を人々の役に立つものにしていくためには、企業との連携が不可欠なのです。さまざまな場で自分の研究成果を伝える地道な活動が、意義のある共同研究へとつながっていくこともありますが、出会うべき人と人とのつながりが適切に行われるためには、運にまかせる方法では限界があるでしょう。専門知識を持つ目利きによるコーディネーション活動こそが、適切な橋渡しを可能にするのではないかと考えられます。基礎研究者と企業の研究者、そしてコーディネーターが、それぞれの強みを生かしながら、同じ目標に向かって進んでいくことができれば成功の確率は格段に上がるでしょう。私たちの研究課題が、プラザ大阪での「育成研究」に採択されたことは幸運でありました。コーディネーターがついてくださり、研究費の確保、特許の出願、企業との連携などさまざまな案件に対応してくださったおかげで、現在は確実に成果を応用へとつなげていく体制が整っています。この恵まれた環境を生かして、ぜひとも人のために役に立つものをつくっていきたいと思っています。

燃える熱情を持って目標達成へ

私たちの研究分野はまだ発展途上でしょう。これまでの成果によって、中枢神経のネットワークの再生に関する疑問がすべて解けたわけではありません。それどころかわからないことだらけで、研究はやっとスタートしたばかりというところで、ゴールはまだ遠いと言えます。

たとえば、いったん切れた軸索がまた伸びて、どうやって適切なネットワークを築くのかという問題は謎のままです。「ネットワークの再形成を促す因子は何だろうか?」「リハビリテーションは現時点で最も有効な手法であるが、その科学的基盤は何だろうか?」など、疑問は尽きることがありません。研究者は、中枢神経ネットワークのメカニズムの全貌を明らかにして、そして再生を実現させるためにより有効なストラテジーを構築していかなければならないでしょう。

私の研究室には、医師や理学療法士など、患者さんにかかわった経験を持つ大学院生が多く在籍しています。また、工学部や理学部出身の学生も、学問的な面白さや応用への可能性を感じてくれているものと思います。さまざまなバックグラウンドを持ちながらモチベーションを共有するチームのなかで、燃えるような情熱を持って研究に打ち込む人たちが粘り強く努力した結果が、成功につながったことを強調したいと思います。また、時機を得て、多くの人たちが私たちの研究をサポートしてくださったことはきわめて幸運でした。何一つ欠けていても、このような成果は生み出せなかったはずです。

まだ研究は途上であり、新しい治療薬を患者さんの元に届けるためには年月を要するでしょう。その過程で、壁を乗り越え、ときには軌道修正が必要になることもあるでしょうが、研究のゴールに向かって確実に歩んでいきたいとの固い意志を持っています。これまで、またこれからも多方面から支援してくださる方々に心より謝意を表します。

p75受容体に関する論文
  1. Yamashita, T., Tucker, K. L. and Barde, Y.A. (1999) Neurotrophin binding to the p75 receptor modulates Rho activity and axonal outgrowth. Neuron 24, 585-593.
  2. Yamashita, T., Higuchi, H., and Tohyama, M. (2002) The p75 receptor transduces the signal from myelin-associated glycoprotein to Rho. J. Cell Biol. 157, 565-570.
  3. Yamashita, T. and Tohyama, M. (2003) The p75 receptor acts as a displacement factor that releases Rho from Rho GDI. Nature Neurosci. 6, 461-467.
本エッセイは2011年に執筆しました。
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