呼吸グループ 研究概要

はじめに

ARDS (Acute Respiratory Distress Syndrome: 急性呼吸促迫症候群)は多様な病態 (例: 新型コロナウイルス肺炎を含む種々の重症肺炎、誤嚥、敗血症、外傷や手術)から発症する、肺血管透過性亢進による非心原性肺水腫を特徴とする急性呼吸不全のことです。ARDSに対する人工呼吸管理戦略は、一回換気量と気道内圧の制限を基本とする肺保護換気戦略で、肺胞の過伸展による人工呼吸器関連肺傷害を最小限にすることを目的としています (下図左)。
しかしどのような病態・肺形態であったとしても、すべて同じ一回換気量・同じ気道内圧で管理をするという画一的人工呼吸管理が行われてきた結果、この約20年間で「ARDS院内死亡率はほとんど低下していない」という大きな問題点を抱えています (下図右)。
従って、ARDSの分野において、「画一的人工呼吸管理戦略から脱却し個別化医療の提供による治療成績のさらなる向上」を目指していかなくてなくてはなりません。我々は多角的なアプローチで、手術麻酔中そしてICU管理中の患者さん一人一人に適した「個別化呼吸管理の提供」を目指しています。現在、呼吸グループが手掛けている数あるプロジェクトの中からいくつかをご紹介したいと思います。

1. 肺傷害のリスクを可視化するLung stress mapping法の確立と臨床応用への挑戦

我々は、肺生理学と画像解析学との融合による斬新なアプローチで、全肺領域に存在するLung stress の膨大な情報を可視化させる技術- Lung stress mappingの確立に取り組んでいます。これを使えば、肺傷害リスク領域の「量」及び「部位・パターン」を評価・可視化できるようになります。さらに人工知能を用いて、肺傷害リスク領域の評価から予後予測を行うことで、リスク大の患者群を抽出し、「先制的」個別化医療の提供を可能にします。
人工呼吸器関連肺傷害リスク領域の「部位・パターン」「量」を評価できるLung stress mappingは、様々な個別化医療と組み合わせることが可能であり、我々の予想をはるかに超える「爆発的」・「破壊的」な効果を生み出すと思われます。
その一つとして、Lung stress mappingを搭載した次世代型人工呼吸器は、リスク領域自動軽減システムにより患者さんに提供する換気条件を24時間365日自動で最適化することで、「いつでも」「どこでも」「だれでも」個別化医療の提供が可能となります。「人工呼吸器管理は経験に基づく熟練の技」という既成概念を破壊し、ARDS治療成績向上の革新的なブレイクスルーとなることが期待できます。

2. 人工呼吸器を使用せず呼気陽圧を発生させる単回使用呼吸回路用コネクタの開発

ICUで人工呼吸管理を必要とする全患者さんのうち約10%は、「人工呼吸器からの離脱が困難であるため」に気管切開を必要とすることが分かっています。また、気管切開後に人工呼吸器から離脱できなかった人工呼吸器依存患者さんは、離脱できた患者さんに比べて長期予後の著しい悪化が分かっていますし、気管切開下で人工呼吸器装着期間が長くなればなるほど、医療費の増加及びICU滞在日数の増加が引き起こされることも分かっています。従って、「気管切開患者の早期人工呼吸器離脱」という医療ニーズ・社会課題に真剣に取り組んでいかなくてはならないのです。
長期人工呼吸器依存患者さんの原疾患第1位は急性呼吸不全であり、長期人工呼吸器依存に関連する主なリスク因子は、急性呼吸不全、呼吸筋委縮などが挙げられます。すなわち、①傷害をうけた肺のために適切なガス交換が行えないこと、②呼吸筋委縮のために呼吸仕事量増大への耐久性が低下していることが人工呼吸器離脱困難の原因であると考えられています。
本研究では、「呼気陽圧の発生は人工呼吸器なしには不可能」という従来の常識を破壊し、人工呼吸器を使用しなくても呼気陽圧を発生することができる革新的な技術を創出することで、「長期人工呼吸器依存患者における人工呼吸器からの早期離脱」という大きな社会課題に挑んでいます。

3. 自発呼吸関連肺・横隔膜傷害の機序解明と治療法の確立

長い間、人工呼吸管理中の患者さんは常に自発呼吸を温存するべきであると考えられてきました。しかし、例えば呼吸努力が強い患者さんの場合、一回換気量や気道内圧を制限しているにもかかわらず気胸などの呼吸器合併症が発生することをしばしば経験します。従って、「自発呼吸の温存」に関しても「個別化」が必要であると考えています。すなわち、自発呼吸を温存すべき患者さん、温存すべきではない患者さんを明確に選別し、個々に適した「自発呼吸レベル」を提供しなければいけないと考えています。

我々は、兎や豚ARDSモデルを用いて人工呼吸管理中に自発呼吸努力を残し肺・横隔膜に対する効果を組織学的観点、Dynamic Lung Imaging (CT、EIT)を用いた肺画像解析学的観点から多角的に検討してきました。強い自発呼吸により胸膜圧が低下し経肺圧- Lung stressが増加することでたとえ低い一回換気量や気道内圧で人工呼吸管理をしていても肺傷害が悪化する可能性があることを世界に先駆けて証明し、「自発呼吸関連肺傷害」の概念を創出しいたしました (上図)。さらに、呼吸努力が強い患者さん、肺傷害が重度である患者さん、患者人工呼吸器間不同調の合併がある患者さんの場合は、自発呼吸による害が顕在化しやすいことを基礎実験・臨床研究で示し、「自発呼吸関連肺・横隔膜傷害」が発生しやすい状況を明らかにしました。こうした自発呼吸努力が強い患者さんへの「個別化の呼吸管理戦略」として、①PEEP付加、②腹臥位による呼吸努力の軽減という画期的な呼吸管理方法を発案しています。これらの新規管理方法は、全身筋弛緩剤投与を必要としませんので、患者不動化による全身筋萎縮発生のリスクを大幅に軽減しつつ、「自発呼吸関連肺・横隔膜傷害」を回避できる管理法として大きな注目を集めています。
我々の一貫した自発呼吸に関する研究成果は、ARDSに対する人工呼吸管理に大きな変革をもたらしました。「常に自発呼吸は温存すべき」という人工呼吸管理の常識を破壊し、新型コロナ肺炎を含む急性呼吸不全・ARDSで自発呼吸努力が強い患者さんには筋弛緩剤投与・高めPEEP・腹臥位による「自発呼吸関連肺傷害」の軽減が標準治療となりました。実際、海外の大規模臨床試験で、挿管前に腹臥位で自発呼吸を温存したコロナ急性呼吸不全患者群の方が予後良好であると証明されています。
こうした我々の研究成果は、一流の専門雑誌だけでなく、LancetJAMAといった一流の一般医学雑誌にも引用されるほど「新奇性」・「独創性」・「普遍性」に富み医療界に与えた影響は非常に大きいものであると思います。

4. 肺リクルートメント手技による術中肺虚脱予防効果の検討

全身麻酔手術における人工呼吸管理は、比較的病的要素を有しない肺を対象にしていますが、5-20%程度の頻度で無気肺、低酸素血症、肺炎などの術後肺合併症(Postoperative Pulmonary Complications; PPC)が起こると言われています。PPCは入院日数の延長など、患者予後に影響を及ぼします。全身麻酔下での手術中の人工呼吸管理にも一回換気量と気道内圧の制限を基本とする肺保護換気戦略を用いることで、PPCを減少させ、患者予後も改善させる可能性が指摘されています。我々は、肺保護換気戦略に加えて、提供している陽圧よりも高い圧を用いて肺を膨らませることで虚脱を防ぐリクルートメント手技を行うことで、より効果的にPPC発症を軽減できるのではないかと考えています。
一方で、近年の手術は侵襲性を軽減するため腹腔鏡手術が増加しています。気腹による腹圧上昇で横隔膜が挙上し、肺胞虚脱を引き起こすことが課題となっています。対象臓器によっては頭低位をとることを余儀なくされるため、さらに肺胞虚脱が増強される可能性が懸念されています。現在、大阪大学病院、東邦大学医療センター大橋病院の2施設において、頭低位腹腔鏡手術症例を対象とした前向きランダム化介入比較研究を行っています。麻酔器での定期的なリクルートメント手技を用いることにより、簡便かつ安定した手技を行うことができ、その安全性と効果を検討することで適切な患者管理の確立と手術患者さんの速やかな回復に寄与することを目的としています。