大阪大学 大学院医学系研究科 小児科学
Department of Pediatrics, The University of Osaka Graduate School of Medicine
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Department of Pediatrics, The University of Osaka Graduate School of Medicine
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2022.06.27
先天性GPI欠損症のモデルマウスに遺伝子治療を行った論文を発表しました。
先天性GPI欠損症のモデルマウスに対する遺伝子治療の確立~PIGO欠損マウスの神経症状がアデノ随伴ウイルスを用いた遺伝子治療にて改善~
研究成果のポイント
●先天性GPI欠損症では、ビタミンB6が神経症状を緩和するが、根本的な治療法はなかった
●先天性GPI欠損症の病態を再現するモデルマウスを作成した
●ゲノム編集法として、HITI法を補完するHITI-TE法を開発した
●モデルマウスに、HITI-TE法を用いたアデノ随伴ウイルスによる正常Pigo遺伝子を導入する遺伝子治療を行い、諸症状が改善した
●先天性GPI欠損症に対する遺伝子治療の理論的な可能性が示された
概要
大阪大学微生物病研究所の村上良子特任教授、木下タロウ特任教授、大阪大学基礎工学研究科鈴木啓一郎特命教授、大阪大学大学院医学系研究科小児科学大薗恵一教授らの研究グループは、先天性GPI欠損症の一種、PIGO欠損症のモデルマウスを確立し、アデノ随伴ウイルスを用いた遺伝子治療により、神経症状をはじめとした諸症状が改善したことを確認しました。
研究の背景
細胞膜表面には、鎖状のグリコシルフォスファチジルイノシトール(glycosyl-phosphatidylinositol: GPI)という糖脂質が存在し、一方の端は細胞膜に錨状に埋め込まれ、もう片方の端にタンパクが結合しており、こうしたタンパク質をGPIアンカー型タンパク質と呼びます。GPIアンカー型タンパク質は150種類以上があり、酵素や受容体、接着因子、補体制御因子など、生物の発生や神経機能、免疫機能などに重要な働きを担っています。このGPIは小胞体内で合成されて細胞膜まで輸送されますが、GPIを合成するために必要な酵素の先天的な欠損が、先天性GPI欠損症です。
先天性GPI欠損症では、知的障害、心奇形、腎奇形、ヒルシュスプルング病といった消化管奇形、魚鱗癬、手指・足趾の末端部低形成などを呈します。特に、アルカリフォスファターゼというリン酸化・脱リン酸化を触媒する酵素は、GPIアンカー型タンパク質です。神経細胞内にビタミンB6を取り込む際には脱リン酸化が必要なため、先天性GPI欠損症の神経細胞では、常時ビタミンB6が欠乏しています。ビタミンB6は、最も重要な抑制性神経伝達物質であるGABAの合成に必須であり、先天性GPI欠損症では、発達遅滞や難治てんかんを引き起こします。
我々は、先天性GPI欠損症の1つであるPIGO欠損症の患者では、PIGOタンパクの残存活性に応じて、新生児期に亡くなる最重症例から、消化管奇形と学習障害のみの軽症例まで、幅広い臨床的な重症度を示すことを明らかにしました。また、リン酸化されていないビタミンB6の投与が先天性GPI欠損症の難治てんかんの改善に有用で、安全であることを示してきました。しかし、こうした治療では、神経細胞におけるビタミンB6の不足は改善できても、その他のメカニズムによる神経細胞機能不全は改善できていないと考えられ、さらに本質的な治療の開発が必要と考えていました。
研究の内容
研究グループは、ヒト患者で見いだされたPIGO遺伝子の3種類の変異、R119W(a)、T130N(b)、K1047E(c)を有するマウスを作成しました。このマウスの細胞表面に出ているGPIアンカー型タンパクの量、血中マーカー(アルカリフォスファターゼ)の濃度、発育、振戦、けいれんの起こりやすさ、筋力(hanging test)について検討したところ、T130Nのマウス(Pigo-b )が最も重症で、患者の病態を反映していることを見出しました。
ついで、このT130Nのマウスに対して、HITI法*によるゲノム編集を使った遺伝子治療を行いました。ベクターとしては、アデノ随伴ウイルス(adeno-associated virus: AAV)*のAAV PHP.eBベクターを用いました。
挿入するために作成したDNA分子をドナー*と呼びます。ドナーには、マウスゲノムに挿入する予定の正常Pigo遺伝子、挿入する場所を正確に決定するためのガイドRNAをコードするDNA、それぞれの発現を促すプロモーターが含まれています。
今回の遺伝子治療では、遺伝子を挿入する場所として、変異を導入したPigo遺伝子のエクソン1のすぐ上流に設定しました。このため、HITI(homology-independent targeted integration)法による導入が成功した場合には、内在性プロモーター*により、挿入した正常Pigo遺伝子が発現するように設計されていました。しかし、HITI法で狙った通りに必ず遺伝子が導入されるわけではありません。ただ、導入に成功しなかった場合でも、設計した遺伝子は細胞内にエピゾームとして残存します。そしてドナーに含まれたITRにはプロモーターとしての活性があり、下流にあるPigo遺伝子はある程度発現します。私たちは、このようにHITI法でゲノムに導入できた遺伝子と、できなかった遺伝子の両方が発現するようにできたゲノム編集法を、HITI-TE(homology-independent targeted integration assisted by a low level of transgene expression)法と名づけました。今回の研究では、この両方のメカニズムで発現したPigoが発現していました。
実際にゲノム編集をするためには、ガイドRNAとCas9が必要です。したがって、ドナーを導入したAAVとCas9を導入したAAVをPigo-bマウスに感染させました。その結果、脳において発現している正常なPigoは、全体の8-10%でした。この結果、モデルマウスで出現していた症状は、すべて改善しました。
本研究が社会に与える影響
本研究により、先天性GPI欠損症の1つ、PIGO欠損症に対する遺伝子治療の理論的な可能性が示されました。
また、先天性GPI欠損症を、幼少期に治療することで、神経症状が可逆的に改善することも示されました。
遺伝子治療において、HITI法により、ゲノムに設計したドナーを導入できない場合でも、HITI-TE法により効果を補足できる可能性も示されました。
用語説明
ゲノムと遺伝子、発現
生物が生きる上で、非常に複雑な化学反応が体内で起きています。また、増殖したり、受精卵から成体まで成長・発達したり、身体や臓器を作ったり、動物が運動したりといったあらゆる生命現象には、タンパク質やRNAと呼ばれる物質が重要な働きをしています。このタンパク質やRNAの設計図を遺伝子と呼びます。遺伝子は、細胞の核と呼ばれる小器官の中に納まっているDNAというひも状の物質の上に散らばって載っています。したがって、DNAには遺伝子の部分と遺伝子ではない部分があります。1つの細胞の中には、その生物が持っている遺伝情報がすべて含まれていますが、遺伝情報全体のことをゲノムと呼びます。なお、遺伝子からタンパク質やRNAが作られることを「発現する」と言います。
HITI (homology-independent targeted integration) 法
生物のゲノムの中で、狙った場所を改変する技術をゲノム編集技術といいます。2020年のノーベル賞を受賞したCRIPR/Cas9(クリスパーキャスナイン)という方法では、非常に長いゲノムの中で、改変したい場所を見つけ出して結合するガイドRNA、その場所でゲノムを切断する酵素(ヌクレアーゼ)のCas9を組み合わせて、非常に効率的にゲノム編集ができるようになりました。このCRIPR/Cas9システムを応用し、共著者の鈴木特命教授が開発したゲノム編集技術がHITI法です。このHITI法により、神経細胞の様な分裂しない細胞でも、高い効率で遺伝子が挿入できるようになりました(Nature 2016 540, 144–149)。
アデノ随伴ウイルス(adeno-associated virus: AAV)
基本的に非病原性のウイルスで、遺伝子治療でよく用いられるウイルスです。AAVにはさまざまな種類がありますが、今回は、神経組織に効率的に遺伝子を導入できるAAV PHP.eBベクターを用いました。今回の遺伝子治療用に設計した遺伝子を、AAV PHP.eBに載せて、このAAVをマウスに注射すると、AAVは神経細胞に感染して、神経細胞の中に設計した遺伝子が入って発現します。
ドナー
今回のドナーは、「ITR、U6プロモーター+ガイドRNA+PAM配列、PigoのcDNA、ガイドRNA+PAM配列、ITR」という構造になっています。ITRは、AAVの遺伝子の両端に存在する配列で、これ自体が、その下流にある遺伝子の発現を促します。U6プロモーターは、その下流にあるガイドRNAを発現させます。発現したガイドRNAは、マウスのゲノム上にある標的となる配列を探し出して結合します。2つのガイドRNAでPigo遺伝子が挟まれている点が重要で、HITI法では、2つのガイドRNAで挟まれた遺伝子がマウスのゲノムに挿入されます。
内在性プロモーター
細胞の中では非常に多くの遺伝子が常に発現していますが、どの遺伝子が、いつ、どこで発現するかということは、必要に応じて制御されています。そしてこの制御をしている領域は、それぞれの遺伝子の上流にあります。したがって、今回の研究のように変異を導入した遺伝子(Pigo-b)のすぐ上流に遺伝子(Pigo)を挿入すると、下流にあるPigo-b ではなくて、上流にあるPigoが発現することになります。内在性プロモーターが働けば、Pigoの機能が回復するはずで、治療につながります。なお、挿入したPigoの内部には、ストップコドンというDNA配列が含まれており、そこより下流のDNAは発現しないため、Pigo-bが発現することはありません。
特記事項
本研究成果は、2022年6月3日(金)に、米国科学誌「Nature Communication」(オンライン)に掲載されました。(Nat Commun. 2022 Jun 3;13(1):3107.)
【タイトル】
Establishment of mouse model of inherited PIGO deficiency and therapeutic potential of AAV-based gene therapy
【著者名】
Ryoko Kuwayama 1,2, Keiichiro Suzuki 3,4,5, Jun Nakamura 3, Emi Aizawa 4, Yoshichika Yoshioka 3,6,7, Masahito Ikawa 8, Shin Nabatame 2, Ken-ichi Inoue 9, Yoshiari Shimmyo 10, Keiichi Ozono 2, Taroh Kinoshita 1,11, Yoshiko Murakami 1,* (* 責任著者)
【所属】
1 大阪大学 微生物病研究所 籔本難病解明寄附研究部門
2 大阪大学 大学院医学系研究科 小児科学
3 大阪大学 大学院生命機能研究科
4 大阪大学 大学院基礎工学研究科
5 大阪大学 高等共創研究院
6 大阪大学 脳情報通信融合研究センター
7 大阪大学 量子情報・量子生命研究センター
8 大阪大学 微生物病研究所 遺伝子機能解析分野
9 京都大学 霊長類研究所神経科学研究部門 統合脳システム分野
10 アスビオファーマ株式会社
11 大阪大学 免疫学フロンティア研究センター 糖鎖免疫学
【DOI番号】10.1038/s41467-022-30847-x
なお、本研究は、文部科学省科学研究費助成事業(JP16H04753, JP17H06422, JP18H04036)、厚生労働省科学研究費助成事業(20FC1025)、日本医療研究開発機構(21ek0109418h0003, JP20dm0307021)、水谷糖鎖科学振興財団、コーセーコスメトロジー研究財団、大阪難病研究財団の支援により行われました。