2007年3月16日 「3月の車内の光景から」 この一年、自宅が在る奈良から京都へ通っていますが、3月に入ってから電車の中の様子が日々異なる気がします。 “今日は妙な緊張感が漂っている”と思ったら、受験生があちこちに。 “今日は少々騒がしい”と感じた時には、ハイカースタイルのおばちゃん達。 “羨ましい”と思った日には、目の前に旅行鞄を提げた学生が。 “今日は華やか”と思った時には、袴姿・振り袖姿に既に視線が向いていました。 “はしゃぐ幼い声”の方を向くと、両親に手をつながれて卒園式に向かう子どもの姿が。 等々。。 これまでにも季節の変わり目には、制服が変わったり、長期休み前後に突然空いていたり混んでいたりしましたが、 研究室でも、まだまだと思っていたのに・・・ (川上 雅弘) |
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2007年3月7日 「目、視点」 先日、研究室の新美君と森田さんと一緒に 写真展 「虫が視る花の色と姿?!」 を観てきました。 昆虫が認識できると考えられている、短波長の光で写した花の写真が展示されていました。 同じ花を見るにしても、生物種間ではきっと全然違うように「視え」ているのだろうと思うと、 とても感慨深いものがありました。 そして、一緒に行った3人の中でも、注目したり感心したりするものが違っていて、 それもまた「視点」の違いなのだろうと、興味深いものがありました。 自分の「みている」ものは、他の人、モノからすると、きっと全く別のものなのでしょう。 その認識の違いも、とても面白いと思います。 (室井かおり)
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2月27日から3月2日にかけて第5回国際学生セミナーが京大会館にて行われました。私自身この研究室に来て初めての研究発表ということになりました。 私は日本でのサイエンスカフェについて発表したのですが、日本でこれだけ広まっていると感じているのは我々を含む科学コミュニケーションに興味を持っている人の中でだけかもしれません。
日本におけるサイエンスカフェのあり方をしっかりと提言できるよう今後も動向を見守りつつも、私自身の研究の意義、今後の展望を考えなければ、と改めて考えされられた1日でありました。 私もそろそろサイエンスカフェ行脚をする必要がありそうです。 (松田健太郎) |
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2007年2月8日 「最近の生活」 朝ご飯に「どん兵衛」にはまっています。厚揚げにかぶりついた瞬間がたまりま (標葉 隆馬) |
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2007年2月1日 「生命『文化』を名乗ることの射程」 先日、小説家・多和田葉子氏の作品『海に落とした名前』を読みました。中に、飛行機事故で自分の名前を思い出せなくなった主人公が、医師とこう会話する箇所があり、ふと目が留まりました。 --「脳に怪我をしていないということが立証できますか。」「それはレントゲン写真というものもありますし。」「でもレントゲン写真に写るのは限られたものだけですよね。例えば、わたしが日本語ができるかできないかということも、レントゲンには写らないでしょう。」「それはそうですよ。そんなこと遺伝子を調べたって分かりません。」-- そして名前のない主人公の彼女は、「名前ではなく身体を保険に入れるべきですよ。家を借りる契約も、名前ではなく身体と結ぶべきです。」と呟くのでした。 人というのは面白いもので、記号でもって人格を互いに、そして己をも認識している。名前はその最たる物であります。無くても生存はできるが、「世の中」を生きてゆくことはできない。 「識る」ということもそうで、わたしたちはつい物事に名前をつけて整理したくなるし、そうやって自分の頭の中を落ち着けたいと欲する。植物も昆虫も遺伝子も、「ただそこに在るもの」なのだけれども、一つ一つに名前という記号をわたしたちの側でちょっと勝手に付けたりして、その特徴や働きぶりとセットにして覚えるたら何となく落ち着くし、世界を見渡しやすくなる。もちろんレントゲン写真や遺伝子でもっては、人格には至れません。これは大事な気付きです。ですが、別な形で至ることもあります。「文化」という形で、です。 昨年、自分の子をこの世界に迎えるという文字通り有難い経験をしました。まあ壮大な生命誌を鑑みれば、その奇跡性と、「自分の子」という表現の意味の無さに気絶するほど気が遠くなるので、今回はそこまでで止めておきます。 この出来事に伴った得難い行為の一つは、新しい客人の命名です。おっと、「命名」と打っただけで字面から言いたいことが全表現されてしましたね。本当に漢字というのは、DNAにも勝らんとする恐ろしい発明です。ですが折角なのであとちょっと、思うところを「ひとこと」だけ。 名前を考案するにあたり、昨年他界された惜しむべき文字学の碩学・白川静先生の字書を参考にさせていただきました。名はある意味、親が子に与えられる最大のものかも、と思っていましたが、やはりそうでした。名は呪とはよく言ったものです。記号でありつつ、その人の内面をも形成するのですから。 白川先生の字書を紐解くという行為は誠に、至福の愉悦だと言うほかありません。先生の偉業を、石川九楊氏はこう表されています。 「たとえば次のようなことを想定したらよい。東海の弧島(日本)の縄文時代に存在した言葉=語彙の大半とその語源が明らかにされ、加えて、各語彙がどのような共通項をもって相互に関係しているか、つまり語彙の宇宙の総体が解き明かされたとしたらどうだろう。 その時、縄文時代の社会と生活、さらには人間の意識に至までが生々しく再現されることであろう。当然のことながら、「稲」や、「水耕」に相当する言葉があれば、別段、考古学的発見に頼ることもなく、水耕稲作が存在したことは証明されるになる」(平凡社/月刊「百科」一月号より) そして白川静の仕事は、紀元前1300年頃の殷(商)時代からこの方の漢字文化圏に置ける祭祀儀礼、政治・制度、社会習慣、人間意識の内面に至るまでの全体像を描き出したのです。千年単位の仕事です。その上、凄まじきは成果を数多くの「字書」という大著で形に残したことにあります。これが、我々が白川先生を失ったにも関わらず喪失感が小さいことの表れと言えましょう。先生の著作は間違いなく、百年後も二百年後も本屋や図書館の棚に有るだろうと断言できます。 さて文化というものは、時代の徒花といったものもありましょうが、基本は時代を超越して、窯変しながらも、あり続けるものだと思います。学問など正にその典型であり、また、そうでなくてはならないものでしょう。わたしたちはその知恵を元手に、偶然の産物であるその時代の状況に合わせて、物事の処し方を考える。馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことですが、何度も己に言い聞かせたいことでもあります。 現代において偶々「生命科学」と呼ばれている学問も同様です。上記の石川氏の文章で、「言葉(語彙)」を例えば「遺伝子」とかに置き換えて読んでみれば自ずと分かることでしょう。僅かな寿命しか持たない一人の人間が、何億年単位の生命の歴史の広大な潮流を窺い知ることができる。その得難さが、一時の浮世の流れに惑わされずに掲げ続けるべき、生命科学という学問の第一の「看板」だと私は思います。 この前の未来館においての森田さんの写真展も、同じ根から出芽する営みであることが見て取れるものでした。わたしたちが普段は見ることがが出来ない、生命の独特の「質感」の世界があることを窺おうとする営みです。遥か遠来の星空を眺めることをそれこそ紀元前から続けてきた、いかにも人間らしい営みだと思います。生命「文化」と名乗るわれらには、こういう営みも相応しいものなのでしょう。 以上 ※ 注/最後から3行目「遠来の星空」・・・星の光は遠くよりはるばる来るもの、という感覚で使いました。 (新美耕平) |
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2007年 1月12日「新年のご挨拶」 明けましておめでとうございます 昨年は新規メンバーとして参入して以来、本当に盛りだくさんの一年でした。 そして何とか新年を迎えることが出来ました。 こんなわたくしですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。 (森田華子) |
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2006年 12月20日 「常連さんのいるお店」 京都に住み始めてから、お店の人といわゆる「常連さん」がおしゃべりする光景に、時々出会うようになりました。 たとえば、ここ1、2年の間に急速に日本に広まってきた「サイエンスカフェ」という活動があります。やり方は色々ですが、大まかに言えば、街中のカフェやバーのような比較的気軽に立ち寄れる場所で、飲み物などを飲みつつ、科学者が一般の客と科学の話題について語り合う、といった活動です。フランスの「哲学カフェ」をモデルにしてイギリスとフランスでほぼ同時期に始まったもので、趣味の個人が主催する場合も、大学の機関やNPOやその他の組織がオーガナイザーを務める場合もあります。講演というよりも科学者を交えたその場にいる全員のディスカッションに主眼が置かれ、教育や知識提供ではなく「科学を語り合うことそのもの」「語り合う文化の醸成」を目的としていることが特徴です。 コミュニケーションを深めていきつつ、常に新しい人や要素を迎え入れる空気を維持するにはどうすればいいのか…「常連さん」のいるお店から出た後、よくそんなことを考えます。 (高橋可江) |
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2006年 11月20日 「さよなら 加藤研究室」 事務補佐員・カナイです。 タイミング的に「ゲノムひろば」のご報告をさせていただくところですが残務処理や集計などで、もう少々お時間を頂戴することになると思われます。近日中に研究室メンバーから詳細なレポートがございますのでご期待下さいませ(と、軽くプレッシャーを・・・)。 加藤先生があまりのお忙しさで体調を崩され、メンバーが「ゲノムひろば」準備で、やること山積みで途方にくれていた時期、家人に東京異動の辞令が出ました。「どうしてこの時期に?」と耳を疑いました。 本来なら数日で関西を後にせねばならないところでしたが、夫にわがままを言って「ゲノムひろば」が終わるまで、私だけ残ることになりました。大好きな加藤研のみなさまと中途半端な形でお別れしたくなかったからです。 そして始まった「ゲノムひろば」の本番。私は専門家ではないので、実質的に「ゲノムひろば」に参加するわけではありません。企画段階では「一般人サンプル」としての意見を述べること、当日は「おしゃべりゲノム」にお越しいただいた方々に飲み物をお出しするetc.でお手伝いをさせていただきました。 会場にお越し下さったたくさんの方々の満足そうなお顔を拝見しメンバーの働きが報われた、とちょっと「母」的な気分になったと同時に「科学コミュニケーション」の端っこを、両側からちょっぴり覗いた気持ちがしました。 在職期間は短かったのですが、生命文化学分野がスタートしてすぐの時期にスタッフとしてお仕事をさせて頂き、とても幸せでした。 加藤研の面々は魅力的なメンバーばかりで、これからもお仕事とは関係なくてもお付き合いができるような気がします。 歌の文句ではありませんが、「さよなら、また会う日までっ('-^*)/」。 私の後任を含め、今後とも加藤研究室をどうぞ宜しくお願い致します。 (金井 三奈) |
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2006年 10月27日 「Hajimemashite、Tomu desu!」 So, I arrived in Kyoto about three months ago now and have enjoyed it very much so far. Before coming to Kyoto I completed a Masters degree at Monash University in Australia in bioethics and subsequently spend almost two years in Tokyo teaching English, experiencing a new, exciting and different culture and eventually looking for ways to get involved in bioethics in Japan. I met Prof. Kato at a UNESCO Bioethics conference in Tokyo in December of last year. After communicating over several months Kato San graciously offered me a research assistants position and I finally made the move to Kyoto and was very happy to be welcomed here at the Graduate School of Biostudies in Prof. Kato's laboratory. Everyone at the laboratory has been very welcoming and helpful and they have all made a great effort to deal with my lack of Japanese! For that, I am very grateful. One of my best memories so far from the laboratory is the welcome party that I received, at which Kanai San meticulously prepared a delicious Kimchi Nabe (one of my favorite Japanese/Korean dishes!). We had a great time that night and I left the evening with a full stomach and satisfied feeling about the group that I had now become a part of here at Kyoto University. I am very happy to be here and look forward to many more memories, hopefully some of which I will share in this diary space. Until next time… (Tom) |
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2006年 9月25日 「合同班会議」 9月20日〜22日にかけて、特定領域研究「ゲノム」の合同班会議に参加してきました。特定領域研究「ゲノム」(http://genome-sci.jp//)
はゲノムの基礎研究に主軸をおく文部科学省科学研究費の研究プロジェクトです。本年度の合同班会議では160名を超える班員による研究成果の発表がありました。私も生命文化学(加藤研)の実践・研究の1つ「ゲノムひろば
(http://hiroba.genome.ad.jp)」について、ポスターセッションでの発表を行いました。
まず一番強く感じたことは、私たちが行っている「ゲノム研究と社会との接点」の研究が増えたことです。そして、現場のゲノム研究者にもこのような研究が認知され始めたことです。大多数の研究者が関心を持っているとは言い切れませんが、今回の班会議では想像以上に多くの研究者から「ゲノムひろば」についての建設的な意見をいただきました。
(白井哲哉) |
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2006年 9月8日 「秋つらつら」 青空に飛び回る赤とんぼは秋の到来を告げていますが、机の上の赤はと言えば、一言日誌当番を知らせるポスト型の貯金箱。過去に山本さんが『オアシスのような』と表現していらっしゃいますが、私にとっては、『真っ赤に燃える毒キノコ』。そう、秋はやっぱりキノコです。エノキ、ヒラタケ、マツタケ、シメジ。大好きなナメコは勿論ですが、ハナビラタケやサルノコシカケのような、見目麗しい実力派達も捨てがたい。キノコではありませんが、加藤研の実力派たちも秋本番。11月のゲノムひろば準備に余念がありません。加藤研の秋は、ゲノムひろばに始まって、ゲノムひろばに終わるようです。コアメンバーでない私の秋はといえば、読書の秋。新しい順に『日本の科学/技術はどこへいくのか』by中島秀人、そして『πの歴史』byペートル・ベックマン、『世論』byウォルター・リップマン等を読み直し、1人にやける京の秋。歴史的事実や現在の社会状況を、1つの軸の上に構成していく論理に頷き、時として顔を出す意外な展開に目を見張る過程には、えもいわれぬ妙味がございます。見張った両目をそのままに、ふと窓の外に目をやって、「あ、降りる駅を過ぎてしまった・・・」と慌てふためく秋の夜に飛ぶカブト虫・・・。 (ひがしじま) |
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2006年 9月1日 「三都物語-ゲノム講演編-」 牧菜さん、伊東さんに続いて報告です。早くもこのひとこと日誌も一周しました。ちょうど5か月で1周ですから、だいたい一年に一人2回といったペースでしょうか。加藤研の人数が増えたことを実感するに足る数字です。 ところで、去る7/28, 8/9, 8/13に駿台予備学校主催のSummer
Fairというイベントに招かれて京都、神戸、大阪にてヒトゲノムマップについての講演を行いました。 京都では転写、翻訳といった基礎知識についても相当な時間を割いて触れ、その後にヒトゲノムマップの見所を一挙解説!!前半部に時間を割きすぎたために大幅に時間延長してしまいましたが、さすがゲノムに興味があって集まってくださった方々だけあって、延長戦にも熱心につきあってくださりました。アンケートによるオーディエンスの満足度は84.4%。 次の神戸では京都での延長の反省を活かし、前半部を大幅カットで臨みましたが、オーディエンスの満足度はさほど変わらず84.2%。終了後、省いた箇所に関して多数の質問をいただいたので、今度はカットしすぎたと反省。 京都、神戸の反省を活かし、満を持して遠征した大阪。先2回の経験で得たつぼをつきまくる。延長もほどほどに終わった時には、どやー!!という感じ。手応え通りの満足度95.9%!! 個人的にはもう少し改善の余地があるので、ひょっとしたら100%もいけるのではないかと思いながらも、3都物語は幕を閉じました。 (おまけ) (加納圭)
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2006年8月25日 「明日退院します」 牧菜さんに続きましてご報告ですが、3日前の朝、男の子を産みました。 (有田−伊東 真知子) |
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2006年8月17日 「株式会社設立のお知らせ」 暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。ごぶさたしております、加藤 これまで支えてくださったみなさまのおかげで、なんとか会社設立にたどりつき さて、ひとつ宣伝ですが、この7月から、日経BP社のバイオ情報メール これからも皆様のお役に立つ「場」をご提供できるよう努めてまいります。今後 株式会社オフィスマキナ |
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2006年7月21日 「無常」 最近はどうにもすっきりしない天気が続いている。晴天が続いているかと思えば突然雨が降り、雨天が続いているかと思えば突然晴れる。天気は無常である。 しかし無常なのは何も天気ばかりではない。我々の体にしても、動物にしても、植物にしても、日々多少の成長や老化がある以上、常に同じではない。社会の進展にしても、ゲノム研究の進展にしても、そのスピードは日進月歩であり、今日と同じ姿であることはない。人の心然り。 けだし森羅万象は無常である。 しかし無常であるからこそ儚く、そして儚いからこそ美しい。特に京都は四季の移り変わりが目に見える美しい古都であり、どうしても無常について意識させられてしまう。 その目の前の無常に、浪漫を感じずにはいられない今日この頃である。 (元越勇人) |
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2006年6月23日 「国際生化学 ・ 分子生物学会議」 「第20回国際生化学 ・ 分子生物学会議」に参加してきました。国際生化学 ・
分子生物学会議は3年ごとに開催されている学会です。今大会は日本生化学の第79回大会および日本分子生物学会の第29回年会を兼ねて開催されたもので、“Life:
Molecular Integration & Biological
Diversity”(生命:分子の統合と生物の多様性)を基本コンセプトに、11のプレナリーレクチャー、約90のシンポジウム、約6000題のポスターセッションが催されました (白井哲哉)
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2006年6月16日 「つぶやき」 はじめまして、4月から加藤研究室に仲間入りした川上です。W杯が始まりましたね。 日本は黒星スタートしてしまいましたが、背水の陣で望む残り2戦が、より緊迫した面白い試合になるんじゃないかという新たな楽しみが増えた気もしています。 世間ではサッカーW杯が盛り上がっていますが、かれこれ十数年バスケットボールに慣れ親しんできた私には、先週から始まっているNBAファイナルの行方も気になるところです。 さて、研究室の活動について。 先週末に、プラネタリウム特別番組「宇宙と細胞に物語をみつけました!」の1回目の開催を無事に終えることができました。 新メンバーとして初めて実践活動に関わった私にとっては、刺激的な経験になりました。 開催して新たに見えた課題もたくさんありますが、2回目の開催、さらには新たな研究活動に活かされればと思います。 また、今年の秋に開催されるゲノムひろばに向けた取り組みも始まりました。 その他にも、様々な実践活動が芽生えるのも加藤研の魅力でしょう。 これからどのような科学コミュニケーションが展開されるのか、研究室の中にいても予測不可能ですが、その息吹を感じながらワクワクした日々を過ごしています。 (川上雅弘) |
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2006年6月9日 「理系の女」 この4月から加藤研にお世話になっております、D1の室井と申します。 もうすぐ蛍の綺麗な季節です。 ところが、ついつい「あ、ルシフェラーゼが」とか思ってしまうのです。 楽しいこと、面白いこと、美しいこと、好きなこと。 |
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2006年6月2日 『サッカーW杯』 もう沖縄、九州と「梅雨」を迎え、 今ホットな話題といえば、やはりもうすぐドイツで行われるサッカーW杯ですね。
このようなスポーツをテレビで見ていると、必ず「解説者」っていう人がいますよね。彼らがいるおかげで我々は全く知らない競技でもその競技のことを知ることができ、結果楽しんで見れるのだと思います。
ただ、彼ら「解説者」がいて本当に意味がある時は、我々個人がその対象に興味を持ったときだという風に感じます。
もっと科学の「解説者」を「活用」していくために今必要なのは科学に興味を持つきっかけを提供することなのではないかと感じています。そしてその場を通して科学に興味を持ってくれる人が増えれば、科学の「解説者」の存在がずっと大きく、有意義なものになると感じます。当然、テレビを見て解説を聞くように、「科学」を見ながら解説を聞けるという意味でも、とても有意義だと思います。 とにかく誰しもがスポーツに興味をもち、それを見て楽しむように、科学にも興味を持ち、科学を「楽しんで」もらえるようなこれからになればなぁ、と思います。「楽しむ」といっても、ただ科学の良い面だけを知るということではなく、科学が社会に見せる悪いと感じるような面も知るという意味を含めて理解して頂けるとありがたいです。
いろいろ綴りましたが今はやはりサッカーW杯が大変楽しみです。 (松田健太郎) |
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2006年5月22日 「PCSTにて」 5月16日から20日まで韓国・ソウルに行ってきました。 お世辞にもできるとは言い難い英語力で口頭発表やポスターセッションを聞いてきたわけですが、そのなかで考えたことを一つ書きたいと思います。 本学会最終日のPlenary Sessionで、カナダのBernard Schiele博士が科学コミュニケーションにおけるLocal Activityの重要性を強調されていました。このことはこの学会、さらには科学コミュニケーションという分野そのものの全体像を象徴しているように思えます。事実、他の個別発表でもそういったLocalな科学コミュニケーションの事例報告が多く成されており、またその重要性は度々指摘されていたように思えます。 そこで私が考えたこととは、「科学の研究」そのものは果たして「Local」なのかどうかということでした。 科学的な発見というものは世界のどこかの研究室の一角、つまりは非常にLocalな場所でなされるものです。そして、その研究の成果は論文などの形で世界に向けて発信され、世界中の研究者に評価されることになります。優れた研究であればあるほど、一挙にGlobalな発見として広まって行くのです。ところが、その研究がなされた地域(Local)の人たちはその研究について全然知らない、ということはよくあることです。 折角Globalに知られるような良い研究を、それがなされたLocalな地域(場所)で知られていないということに非常に違和感を感じるのです。おらが町の名産物ではありませんが、身近なところから次第に広がって行く科学というものがあっても面白いかもしれません。 ここで述べさせていただいたことは至極当たり前のことかもしれません。しかしその当たり前の事がやはり重要であり、また世界中でまさに考えられていることである事を再認識できたということは大いに意義のあることだったと思うわけです。 (標葉 隆馬)
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2006年5月12日 「さまざまな言葉」 ひきつづき、初めまして。М1の新美耕平です。 個性的なキャラクターたちの寄り合いとなった加藤研。新年度も一ヶ月が経ち、気候が暖かくなってゆくにつれて、毎日のお茶の時間が賑やかなものになってゆくようです。 さて、私にとってこの春から新しい縁を持つことができたのは、人だけではありません。生命科学それ自体がそうなのだと言えます。いわゆる文系の学部出身の故、基礎的な知識も用語も、一気に圧倒的な量と鮮烈な出会いをしている真っ最中。 何よりも耳新しい言葉の数といったら! 学問とは厳密性を求めるものですから、どのような分野でさえ専門の学術用語が多くあり、日常語彙よりも厳密な意味を付与されているものです。それにしてもこの世界は、たとえばそれぞれ異なる役割を果たしている数多の遺伝子や酵素、たんぱく質に一つ一つ名前をつけたりして知識を積み上げてゆくものであるから、まるで無数のようにすら感じたり。極めて専門的な議論を展開されれば、それはまるでお経。門前の小僧となるにはもうしばらく時間がかかりそうです。 それでも私の好奇心が途切れないのは、どれだけ高度に複雑で難しい話ではあっても、それは生命体が普段当たり前にやっている活動を、言葉を使って表現しようとする言い換えに過ぎない、と思っていることに由来していそうです。世界中の優れた科学者たちが束になって研究にあたっていても中々すべてが簡単には解明できないほど、生命は見事としか言いようがない営為を自ずから然るべく行っている。先端的な生命科学の知識を得るほど、生命ってすごいという素朴な感動を幾度も味わえることだけでも、ここにきてハッピーだと思う今日この頃です。 もちろん好ましいことしか見えない目を持つことも問題です。誰かが意図したことではなくとも派生的に好ましくないことが生じるも理。せっかく二つあるのだから、しっかり両の目で世界を見据えたいものです。 今年二月に逝去されたこともあって、経済学のビッグネーム都留重人氏の『科学と社会』(岩波ブックレット)を読み返したところ、「科学への期待」と題された一章があり、そこで氏がE・F・シューマッハーの言葉を引用しているのが心に留まりました。 「自然はいわば、どの点で、いつ、停止するかを知っている。…自然のものすべてには、その大きさ、速度、あるいは乱暴さという点で、節度がある。その結果、人間もその一部であるところの自然のシステムは、おのずからのバランス、調整及び浄化作用を発揮する傾向がある。だが技術に関しては、そうは言えない。あるいは、技術と専門化に支配されている人間についてはそうは言えない、というべきか」 このような言葉も忘れずにいたいものです。 (新美耕平)
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2006年4月30日 「4月も末」 まずは御挨拶。はじめまして、今年度新しく仲間入りさせて頂きました森田華子と申します。どうぞよろしくお願い致します。 3月の末、満開の桜に見送られ、辿り着いたのは小雪が舞い散る京都でした。 研究室では仲間入り早々にもヒトゲノムマップの話題で大賑わい。そんな中、密やかに、厳かに、そして急ピッチで進められているのが Emiko Ide による‘プラネタリウム実践プロジェクト’。実は制作メンバーに加えて頂きながら上映をとても楽しみにしており、成功を願っている次第です。いで玉虫が美しい彩に輝きますように。 (森田華子) |
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2006年4月24日「科学技術週間」 はじめまして。この春より加藤研に仲間入りさせていただきました、高橋可江と申します。関東出身者ですので、今はまさに異文化体験の只中です。どうぞよろしくお願いいたします。 さて、17日から、科学技術週間が始まっています。 科学技術週間というのは、1960年(昭和35年)2月に、閣議了解によって設けられたものだそうです。その趣旨は、「科学技術に関し、ひろく一般国民の関心と理解を深め、もって我が国の科学技術の振興を図るため、科学技術週間を設け、できるかぎりこの期間中に各種の科学技術に関する行事を集中的に実施し、目的達成に資するものとする」とされています。 これも「科学技術の恩恵」というやつです。 (高橋可江) |
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2006年4月15日「桜だより」
春雨に桜舞い散る京都です。が、加藤研はと言えば、一足早く筍の季節。いえ、むしろ雨後の筍と見まごうばかりに増えゆくものが幾たりか。その中の2つをご紹介させていただく所存です。 (ひがしじまじん)
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2006年4月5日 「一家に1枚ヒトゲノムマップ」 早いものでもう新学年が始まりました。今日は新入生との初顔合わせの日。学生だけで11名もの大所帯になるなんて昨年には全く予想もしないことでした。色んなバックグラウンドを持つ人達が集まってきているので、すさまじい相乗効果があることでしょう。今からワクワクします。 ところで、私、表題にもあるとおり、「一家に1枚ヒトゲノムマップ」というポスターを作成しました。一年前に世間をにぎわせた「一家に1枚周期表」の第二弾として文科省に依頼され、制作したのもです。4/17から始まる科学技術週間にて各機関で配布される予定で、なんと初回から10万枚配布されます。内容は是非ご自身で確認してください。近々Webページもアップする予定なので、追って連絡します。 (加納圭) |