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ひとこと日誌Message


2004年度〜2011年度は、京都大学時代の加藤研究室の【ひとこと日誌】です。
2012年度〜は、大阪大学の加藤研究室からの【ひとこと日誌】を綴っていきます。

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2007年3月16日 「3月の車内の光景から」

この一年、自宅が在る奈良から京都へ通っていますが、3月に入ってから電車の中の様子が日々異なる気がします。

“今日は妙な緊張感が漂っている”と思ったら、受験生があちこちに。

“今日は少々騒がしい”と感じた時には、ハイカースタイルのおばちゃん達。

“羨ましい”と思った日には、目の前に旅行鞄を提げた学生が。

“今日は華やか”と思った時には、袴姿・振り袖姿に既に視線が向いていました。

“はしゃぐ幼い声”の方を向くと、両親に手をつながれて卒園式に向かう子どもの姿が。

 等々。。

これまでにも季節の変わり目には、制服が変わったり、長期休み前後に突然空いていたり混んでいたりしましたが、
これほど毎日のように車内の光景が違ったことは無かったように思います。
そして連日のこの光景は、否応無しに年度の節目を感じさせます。

研究室でも、まだまだと思っていたのに・・・
月曜日は事務補佐員の黒田さんの送別会。
そして水曜日には、修士を修了して卒業する井出さんの送別会でした。
寂しくなりますが、新たな場所で活躍する姿を想像すると、寂しさよりも期待感が膨らみます。
黒田さん、お世話になりました。
井出さん、卒業おめでとうございます。

(川上 雅弘)

  

2007年3月7日 「目、視点」

先日、研究室の新美君と森田さんと一緒に
写真展 「虫が視る花の色と姿?!」
を観てきました。
昆虫が認識できると考えられている、短波長の光で写した花の写真が展示されていました。
同じ花を見るにしても、生物種間ではきっと全然違うように「視え」ているのだろうと思うと、
とても感慨深いものがありました。
そして、一緒に行った3人の中でも、注目したり感心したりするものが違っていて、
それもまた「視点」の違いなのだろうと、興味深いものがありました。
自分の「みている」ものは、他の人、モノからすると、きっと全く別のものなのでしょう。
その認識の違いも、とても面白いと思います。



(室井かおり)



2007年3月2日 「国際学生セミナー」

2月27日から3月2日にかけて第5回国際学生セミナーが京大会館にて行われました。私自身この研究室に来て初めての研究発表ということになりました。

私は日本でのサイエンスカフェについて発表したのですが、日本でこれだけ広まっていると感じているのは我々を含む科学コミュニケーションに興味を持っている人の中でだけかもしれません。
京都でも3カ所でサイエンスカフェが定期的に行われており、その一つは京都大学の学生が中心となって行っておりますが、そのサイエンスカフェも京都大学の学生にはあまり周知されていないようです(少なくとも私の話を聞きに来てくださった学生さんは誰もサイエンスカフェの存在を知りませんでした)。ですが皆様、非常にサイエンスカフェに興味を持っていただけたようです。
サイエンスカフェという社会と科学の新しい関係を築けるであろう場を、一般市民にはもちろんのこと、科学者(特に若手)の皆さんにこのように学会という場で知ってもらえるよう、私自身も活動していくべきなのかもしれません。

日本におけるサイエンスカフェのあり方をしっかりと提言できるよう今後も動向を見守りつつも、私自身の研究の意義、今後の展望を考えなければ、と改めて考えされられた1日でありました。

私もそろそろサイエンスカフェ行脚をする必要がありそうです。

(松田健太郎)



2007年2月8日 「最近の生活」

朝ご飯に「どん兵衛」にはまっています。厚揚げにかぶりついた瞬間がたまりま
せん。
昼は研究してます。年末に学会発表して以降、前より方向が見えてきたつもり。
もう少しがんばります。
最近、家に導入した電気毛布がかなり優秀です。優秀すぎて二度寝の危険性が増
しています。

要約すると、楽しい日々です。

(標葉 隆馬)




2007年2月1日 「生命『文化』を名乗ることの射程」

先日、小説家・多和田葉子氏の作品『海に落とした名前』を読みました。中に、飛行機事故で自分の名前を思い出せなくなった主人公が、医師とこう会話する箇所があり、ふと目が留まりました。

--「脳に怪我をしていないということが立証できますか。」「それはレントゲン写真というものもありますし。」「でもレントゲン写真に写るのは限られたものだけですよね。例えば、わたしが日本語ができるかできないかということも、レントゲンには写らないでしょう。」「それはそうですよ。そんなこと遺伝子を調べたって分かりません。」--

そして名前のない主人公の彼女は、「名前ではなく身体を保険に入れるべきですよ。家を借りる契約も、名前ではなく身体と結ぶべきです。」と呟くのでした。

人というのは面白いもので、記号でもって人格を互いに、そして己をも認識している。名前はその最たる物であります。無くても生存はできるが、「世の中」を生きてゆくことはできない。
「識る」ということもそうで、わたしたちはつい物事に名前をつけて整理したくなるし、そうやって自分の頭の中を落ち着けたいと欲する。植物も昆虫も遺伝子も、「ただそこに在るもの」なのだけれども、一つ一つに名前という記号をわたしたちの側でちょっと勝手に付けたりして、その特徴や働きぶりとセットにして覚えるたら何となく落ち着くし、世界を見渡しやすくなる。もちろんレントゲン写真や遺伝子でもっては、人格には至れません。これは大事な気付きです。ですが、別な形で至ることもあります。「文化」という形で、です。


昨年、自分の子をこの世界に迎えるという文字通り有難い経験をしました。まあ壮大な生命誌を鑑みれば、その奇跡性と、「自分の子」という表現の意味の無さに気絶するほど気が遠くなるので、今回はそこまでで止めておきます。
この出来事に伴った得難い行為の一つは、新しい客人の命名です。おっと、「命名」と打っただけで字面から言いたいことが全表現されてしましたね。本当に漢字というのは、DNAにも勝らんとする恐ろしい発明です。ですが折角なのであとちょっと、思うところを「ひとこと」だけ。

名前を考案するにあたり、昨年他界された惜しむべき文字学の碩学・白川静先生の字書を参考にさせていただきました。名はある意味、親が子に与えられる最大のものかも、と思っていましたが、やはりそうでした。名は呪とはよく言ったものです。記号でありつつ、その人の内面をも形成するのですから。

白川先生の字書を紐解くという行為は誠に、至福の愉悦だと言うほかありません。先生の偉業を、石川九楊氏はこう表されています。

「たとえば次のようなことを想定したらよい。東海の弧島(日本)の縄文時代に存在した言葉=語彙の大半とその語源が明らかにされ、加えて、各語彙がどのような共通項をもって相互に関係しているか、つまり語彙の宇宙の総体が解き明かされたとしたらどうだろう。 その時、縄文時代の社会と生活、さらには人間の意識に至までが生々しく再現されることであろう。当然のことながら、「稲」や、「水耕」に相当する言葉があれば、別段、考古学的発見に頼ることもなく、水耕稲作が存在したことは証明されるになる」(平凡社/月刊「百科」一月号より)

そして白川静の仕事は、紀元前1300年頃の殷(商)時代からこの方の漢字文化圏に置ける祭祀儀礼、政治・制度、社会習慣、人間意識の内面に至るまでの全体像を描き出したのです。千年単位の仕事です。その上、凄まじきは成果を数多くの「字書」という大著で形に残したことにあります。これが、我々が白川先生を失ったにも関わらず喪失感が小さいことの表れと言えましょう。先生の著作は間違いなく、百年後も二百年後も本屋や図書館の棚に有るだろうと断言できます。

さて文化というものは、時代の徒花といったものもありましょうが、基本は時代を超越して、窯変しながらも、あり続けるものだと思います。学問など正にその典型であり、また、そうでなくてはならないものでしょう。わたしたちはその知恵を元手に、偶然の産物であるその時代の状況に合わせて、物事の処し方を考える。馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことですが、何度も己に言い聞かせたいことでもあります。
現代において偶々「生命科学」と呼ばれている学問も同様です。上記の石川氏の文章で、「言葉(語彙)」を例えば「遺伝子」とかに置き換えて読んでみれば自ずと分かることでしょう。僅かな寿命しか持たない一人の人間が、何億年単位の生命の歴史の広大な潮流を窺い知ることができる。その得難さが、一時の浮世の流れに惑わされずに掲げ続けるべき、生命科学という学問の第一の「看板」だと私は思います。
この前の未来館においての森田さんの写真展も、同じ根から出芽する営みであることが見て取れるものでした。わたしたちが普段は見ることがが出来ない、生命の独特の「質感」の世界があることを窺おうとする営みです。遥か遠来の星空を眺めることをそれこそ紀元前から続けてきた、いかにも人間らしい営みだと思います。生命「文化」と名乗るわれらには、こういう営みも相応しいものなのでしょう。

以上

※ 注/最後から3行目「遠来の星空」・・・星の光は遠くよりはるばる来るもの、という感覚で使いました。


(新美耕平)


2007年 1月12日「新年のご挨拶」

明けましておめでとうございます
'ひとこと日誌'ということなので、サラッとひとこと。

昨年は新規メンバーとして参入して以来、本当に盛りだくさんの一年でした。
ヒトゲノムマップ、韓国で行われた学会(PCST)、プラネ実践、牧菜さんの会社設立、真知子さんのご出産、合同班会議、トムさんの参入、ゲノムひろば、金井さんのお引越し、などなど…。ひとこと日誌を見返しても色々なことがありました。

そして何とか新年を迎えることが出来ました。
ただいまは1月20日開催の市民講座の準備で追われております…。

今年はどんなことがあるのか、どんな出会いがあるのか、楽しみにしております。
こんなわたくしですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。


(森田華子)


2006年 12月20日 「常連さんのいるお店」

 京都に住み始めてから、お店の人といわゆる「常連さん」がおしゃべりする光景に、時々出会うようになりました。
お店に常連客がつきやすい土地柄なのか、それとも単に私が以前より個人経営のお店によく行くようになったためなのか。その光景自体は「素敵だな」と思うのですが、初めて入ったお店で店員さんと周りの常連客のおしゃべりが始まってしまうと、やはり居心地の悪い思いをします。何度も通って自分も常連客になればいいのでしょうが、私は大抵その居心地の悪さにくじけてしまい、次からあまりそのお店に足が向かなくなってしまいます。
「常連さん」のいるお店に時間をかけて築かれる交流は、それ自体価値あるものではあるけれど、一方で、「常連さん」ばかりが集う雰囲気はときに「いちげんさん」にとって居心地の悪いものとなる。科学コミュニケーションの場を作ろうとする際、似たようなことが悩みになることがあります。

 たとえば、ここ1、2年の間に急速に日本に広まってきた「サイエンスカフェ」という活動があります。やり方は色々ですが、大まかに言えば、街中のカフェやバーのような比較的気軽に立ち寄れる場所で、飲み物などを飲みつつ、科学者が一般の客と科学の話題について語り合う、といった活動です。フランスの「哲学カフェ」をモデルにしてイギリスとフランスでほぼ同時期に始まったもので、趣味の個人が主催する場合も、大学の機関やNPOやその他の組織がオーガナイザーを務める場合もあります。講演というよりも科学者を交えたその場にいる全員のディスカッションに主眼が置かれ、教育や知識提供ではなく「科学を語り合うことそのもの」「語り合う文化の醸成」を目的としていることが特徴です。
ところが、日本人にはそもそも見知らぬ人とディスカッションをするような習慣があまりなく、カフェに科学の話題を持ち込んだだけではなかなか「気軽に語り合う」とはいきません。日本でのサイエンスカフェを単なる「飲み物付き講演会」にせず、全員が参加して語り合う場にするためにどんな工夫をすればいいのか、というのは、オーガナイザー達の共通の課題です。
回を重ね、サイエンスカフェに参加するメンバーが「常連さん」に固定されれば、ディスカッションは比較的やりやすくなるのですが、それが行き過ぎれば仲間内だけの閉鎖的な雰囲気を作ってしまいます。科学に対する「何やら難しいことを一部の人が閉じ篭もってやっている」みたいなイメージを払拭し、科学を「みんなで気軽にしゃべる」文化を作ることがサイエンスカフェの目的だとすれば、そのサイエンスカフェが「閉じ篭もった」雰囲気になってしまうのは避けたいなあ…と思います。

  ところで、「常連さん」がいても、居心地の悪くないお店というのもたまにあるんですね。何が違うのだろうと考えてみても、これだ、と明確な答えがあるわけではないようです。絶妙な店内配置だったり、接客の細やかな気配りだったり、店員さんの笑顔一つだったり…、結局は、微妙な部分で常に「初めての人も歓迎ですよ」という態度が感じられること、に尽きるのかもしれません。
コミュニケーションを深めていきつつ、常に新しい人や要素を迎え入れる空気を維持するにはどうすればいいのか…「常連さん」のいるお店から出た後、よくそんなことを考えます。

(高橋可江)


2006年 11月20日 「さよなら 加藤研究室」

事務補佐員・カナイです。
二度目の登場なのに、このタイトルってば。

タイミング的に「ゲノムひろば」のご報告をさせていただくところですが残務処理や集計などで、もう少々お時間を頂戴することになると思われます。近日中に研究室メンバーから詳細なレポートがございますのでご期待下さいませ(と、軽くプレッシャーを・・・)。

加藤先生があまりのお忙しさで体調を崩され、メンバーが「ゲノムひろば」準備で、やること山積みで途方にくれていた時期、家人に東京異動の辞令が出ました。「どうしてこの時期に?」と耳を疑いました。

本来なら数日で関西を後にせねばならないところでしたが、夫にわがままを言って「ゲノムひろば」が終わるまで、私だけ残ることになりました。大好きな加藤研のみなさまと中途半端な形でお別れしたくなかったからです。

そして始まった「ゲノムひろば」の本番。私は専門家ではないので、実質的に「ゲノムひろば」に参加するわけではありません。企画段階では「一般人サンプル」としての意見を述べること、当日は「おしゃべりゲノム」にお越しいただいた方々に飲み物をお出しするetc.でお手伝いをさせていただきました。

会場にお越し下さったたくさんの方々の満足そうなお顔を拝見しメンバーの働きが報われた、とちょっと「母」的な気分になったと同時に「科学コミュニケーション」の端っこを、両側からちょっぴり覗いた気持ちがしました。

在職期間は短かったのですが、生命文化学分野がスタートしてすぐの時期にスタッフとしてお仕事をさせて頂き、とても幸せでした。

加藤研の面々は魅力的なメンバーばかりで、これからもお仕事とは関係なくてもお付き合いができるような気がします。

歌の文句ではありませんが、「さよなら、また会う日までっ('-^*)/」。

私の後任を含め、今後とも加藤研究室をどうぞ宜しくお願い致します。

(金井 三奈)




2006年 10月27日 「Hajimemashite、Tomu desu!」

This will be my first diary entry, so I'm not sure exactly what to write, but here it goes!

 So, I arrived in Kyoto about three months ago now and have enjoyed it very much so far. Before coming to Kyoto I completed a Masters degree at Monash University in Australia in bioethics and subsequently spend almost two years in Tokyo teaching English, experiencing a new, exciting and different culture and eventually looking for ways to get involved in bioethics in Japan. I met Prof. Kato at a UNESCO Bioethics conference in Tokyo in December of last year. After communicating over several months Kato San graciously offered me a research assistants position and I finally made the move to Kyoto and was very happy to be welcomed here at the Graduate School of Biostudies in Prof. Kato's laboratory.

 Everyone at the laboratory has been very welcoming and helpful and they have all made a great effort to deal with my lack of Japanese! For that, I am very grateful. One of my best memories so far from the laboratory is the welcome party that I received, at which Kanai San meticulously prepared a delicious Kimchi Nabe (one of my favorite Japanese/Korean dishes!). We had a great time that night and I left the evening with a full stomach and satisfied feeling about the group that I had now become a part of here at Kyoto University. I am very happy to be here and look forward to many more memories, hopefully some of which I will share in this diary space.

 Until next time…

kimuchinabe

(Tom)

2006年 9月25日 「合同班会議」

 9月20日〜22日にかけて、特定領域研究「ゲノム」の合同班会議に参加してきました。特定領域研究「ゲノム」(http://genome-sci.jp//) はゲノムの基礎研究に主軸をおく文部科学省科学研究費の研究プロジェクトです。本年度の合同班会議では160名を超える班員による研究成果の発表がありました。私も生命文化学(加藤研)の実践・研究の1つ「ゲノムひろば (http://hiroba.genome.ad.jp)」について、ポスターセッションでの発表を行いました。
私がこの班会議に参加したのは約5年ぶりです。5年前と比べ、私が今回の班会議で感じたゲノム研究の現状について紹介したいと思います。

 まず一番強く感じたことは、私たちが行っている「ゲノム研究と社会との接点」の研究が増えたことです。そして、現場のゲノム研究者にもこのような研究が認知され始めたことです。大多数の研究者が関心を持っているとは言い切れませんが、今回の班会議では想像以上に多くの研究者から「ゲノムひろば」についての建設的な意見をいただきました。
二つめはゲノム研究で解析されている生物が非常に多彩になったことです。この5年でゲノムの解析技術も飛躍的に向上し、ショウジョウバエやマウスといった代表的なモデル生物だけでなく、多種多様の生物のゲノムが網羅的に解析されていました。この数の増加は予想以上でした。また、この生物の多様性からは、「ゲノム」という特定領域の研究成果が様々な分野での発見に貢献する可能性を感じました。
三つ目はゲノムの網羅的な解析にドライな研究、つまりコンピューターのシステムを用いた解析がよりダイレクトに加わっていたことです。実際の生物に触れる実験(ウエットな実験)とドライな実験との間には、人材の専門性の違いなど多くの壁があります。しかしこの「ゲノム」特定領域の中ではその壁が壊されつつあることを感じました。
最後に、「ゲノム」という特定領域全体について感じたことを紹介します。5年前は網羅的な解析が、大きなプロジェクトでなく、一つの研究室からでも実現可能になり始めた時代でした。その頃、生命科学の研究では「ゲノム」特定領域に限らず、網羅的な解析の研究が増加し始めていました。つまり、ある生命現象に関わる因子をゲノム情報から全て探し出してこようとする研究が増えたのです。そして現在、「ゲノム」特定領域では「1.網羅的な研究」「2.網羅的な研究から得られた一つの因子を解析する研究」「3.網羅的な研究から得られた多数の因子の働きを統合して理解する研究」の三つが混在しています。どれも生命科学の進展には欠かせない研究です。今後どのような研究が「ゲノム」特定領域の特色を出し、生命科学の進展に寄与するのか。どこに重点を置くのかといった研究の方向性を決めることは案外難しそうです。

                                                              (白井哲哉)

                          

2006年 9月8日 「秋つらつら」

  青空に飛び回る赤とんぼは秋の到来を告げていますが、机の上の赤はと言えば、一言日誌当番を知らせるポスト型の貯金箱。過去に山本さんが『オアシスのような』と表現していらっしゃいますが、私にとっては、『真っ赤に燃える毒キノコ』。そう、秋はやっぱりキノコです。エノキ、ヒラタケ、マツタケ、シメジ。大好きなナメコは勿論ですが、ハナビラタケやサルノコシカケのような、見目麗しい実力派達も捨てがたい。キノコではありませんが、加藤研の実力派たちも秋本番。11月のゲノムひろば準備に余念がありません。加藤研の秋は、ゲノムひろばに始まって、ゲノムひろばに終わるようです。

コアメンバーでない私の秋はといえば、読書の秋。新しい順に『日本の科学/技術はどこへいくのか』by中島秀人、そして『πの歴史』byペートル・ベックマン、『世論』byウォルター・リップマン等を読み直し、1人にやける京の秋。歴史的事実や現在の社会状況を、1つの軸の上に構成していく論理に頷き、時として顔を出す意外な展開に目を見張る過程には、えもいわれぬ妙味がございます。見張った両目をそのままに、ふと窓の外に目をやって、「あ、降りる駅を過ぎてしまった・・・」と慌てふためく秋の夜に飛ぶカブト虫・・・。

(ひがしじま)                            

2006年 9月1日 「三都物語-ゲノム講演編-」

 牧菜さん、伊東さんに続いて報告です。早くもこのひとこと日誌も一周しました。ちょうど5か月で1周ですから、だいたい一年に一人2回といったペースでしょうか。加藤研の人数が増えたことを実感するに足る数字です。

 ところで、去る7/28, 8/9, 8/13に駿台予備学校主催のSummer Fairというイベントに招かれて京都、神戸、大阪にてヒトゲノムマップについての講演を行いました。
京都での公演は京都新聞に取り上げられたということもあり、一般の方も多数集まり、総勢150名、満員御礼でした。神戸、大阪は駿台生が主で、一般の方としては親御さんや現役学校教員がパラパラといった感じでしょうか、それでも100名ちょっとは集まりました。

 京都では転写、翻訳といった基礎知識についても相当な時間を割いて触れ、その後にヒトゲノムマップの見所を一挙解説!!前半部に時間を割きすぎたために大幅に時間延長してしまいましたが、さすがゲノムに興味があって集まってくださった方々だけあって、延長戦にも熱心につきあってくださりました。アンケートによるオーディエンスの満足度は84.4%。

 次の神戸では京都での延長の反省を活かし、前半部を大幅カットで臨みましたが、オーディエンスの満足度はさほど変わらず84.2%。終了後、省いた箇所に関して多数の質問をいただいたので、今度はカットしすぎたと反省。

 京都、神戸の反省を活かし、満を持して遠征した大阪。先2回の経験で得たつぼをつきまくる。延長もほどほどに終わった時には、どやー!!という感じ。手応え通りの満足度95.9%!!

 個人的にはもう少し改善の余地があるので、ひょっとしたら100%もいけるのではないかと思いながらも、3都物語は幕を閉じました。

(おまけ)
【かなりウケがよかった話題】
榊先生が小泉さんにCD-ROMを渡してゲノムの解説
染色体番号の付け方
利根川進博士
アルデヒド脱水素酵素のSNP
カドヘリン
X染色体 v.s Y染色体

(加納圭)

 

2006年8月25日 「明日退院します」

 牧菜さんに続きましてご報告ですが、3日前の朝、男の子を産みました。
深夜の破水で入院してしまい、3徹夜、陣痛30時間の長いお産でしたが、おかげさまで子どもは健康で、私はぼろぼろではありますがとにかく幸せです。

妊婦としての生活はおもしろいものでしたが、出産、そして我が子との対面は、大げさかもしれませんが人間としての根底を揺るがされるたいへん感動的な出来事でした。研究はすこし遅れますが、科学技術研究という人間の営みについて考えていく上で、育児と仕事の両立が良い相乗効果を生むと信じつつ、工夫しつつ、がんばってまいります。
母親になった私と、この社会に新しく加わる息子を、どうぞよろしくお願いいたします。

(有田−伊東 真知子)

2006年8月17日 「株式会社設立のお知らせ」

暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。ごぶさたしております、加藤
牧菜です。2年間、本当に楽しく過ごさせていただいた加藤研を離れ、2006
年7月21日、株式会社オフィスマキナを設立いたしました。サイエンス・コ
ミュニケーションの場を幅広くプロデュースすることが、最も大きな目的です。
バイオや生命倫理に関するイベント企画制作のほか、調査研究のお仕事や、クラ
シック演奏会のプロデュースも継続してまいります。

これまで支えてくださったみなさまのおかげで、なんとか会社設立にたどりつき
ました。特に加藤研での経験は、一生の宝物です。新しい研究室の立ち上げ。異
分野の背景を持つメンバーの持ち寄る刺激的な情報。大きなプロジェクトの一翼
を担う責任感。たくさんの素敵な方々との出会い。京都の街。そして、初めての
挑戦をいつも寛大に見守ってくださった加藤さんのはげましは、本当に貴重でした。

さて、ひとつ宣伝ですが、この7月から、日経BP社のバイオ情報メール
「BTJ/HEADLINE/NEWS」の中で、毎月初めの金曜日にエッセイを執筆させていた
だいております(来年6月まで)。ご興味ございましたら、日経BPのサイトよ
りお申し込みくださいませ(無料で登録できます)。

これからも皆様のお役に立つ「場」をご提供できるよう努めてまいります。今後
とも、どうぞご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

株式会社オフィスマキナ
代表取締役 加藤牧菜



2006年7月21日 「無常」

 最近はどうにもすっきりしない天気が続いている。晴天が続いているかと思えば突然雨が降り、雨天が続いているかと思えば突然晴れる。天気は無常である。

 しかし無常なのは何も天気ばかりではない。我々の体にしても、動物にしても、植物にしても、日々多少の成長や老化がある以上、常に同じではない。社会の進展にしても、ゲノム研究の進展にしても、そのスピードは日進月歩であり、今日と同じ姿であることはない。人の心然り。

 けだし森羅万象は無常である。

 しかし無常であるからこそ儚く、そして儚いからこそ美しい。特に京都は四季の移り変わりが目に見える美しい古都であり、どうしても無常について意識させられてしまう。

 その目の前の無常に、浪漫を感じずにはいられない今日この頃である。



(元越勇人)


2006年七夕 「私はまた恋をしてしまったのだろうか」

私はまた恋をしてしまったのだろうか
ダイナミックに 繊細に 高く 高く
教会に響くブローウェル 弦 姿

私はまた恋をしてしまったのだろうか
目に 肌に 記憶に筆を見る
かわりの言葉を...

それは音楽家 それは画家
思いきりミーハーに 思いきり背伸びする恋の数々

広義のコミュニケーション ‘伝わらない’そんな趣だってある
教えてくれたのは 恋をしたたくさんの作家

正しく情報を提示するためなら しっかりとその技法を学びたい
もしも可能ならば 少し違った可能性で飾ってみたい
豊かなコミュニケーションがそこにはきっと

そういえば今日は七夕ですね

 

tanabata


井出絵実子


2006年6月23日 「国際生化学 ・ 分子生物学会議」

 「第20回国際生化学 ・ 分子生物学会議」に参加してきました。国際生化学 ・ 分子生物学会議は3年ごとに開催されている学会です。今大会は日本生化学の第79回大会および日本分子生物学会の第29回年会を兼ねて開催されたもので、“Life: Molecular Integration & Biological Diversity”(生命:分子の統合と生物の多様性)を基本コンセプトに、11のプレナリーレクチャー、約90のシンポジウム、約6000題のポスターセッションが催されました

今回、私の参加した最大の目的は「Education(教育)」のセッションを観ることでした。規模の大きな学会では発表演題をテーマに合わせて区切っており、今回その項目に初めて「Education」が加わりました。他のセッションがすべて「Morphogenesis(形態形成)」や「Stem cells(幹細胞)」などといった実験系であることを考えると「Education」は特殊なセッションです。しかし、新たに「Education」の項目が作られたことは、非常に価値のあることだと考えています。なぜなら、学会に訪れた実験研究者が「Education」のセッションを観ることによって、自分たちの研究を取り巻く教育問題、さらには社会問題を知ることができるからです。またそれによって、研究者が自分たちの研究を、社会からの目線で見つめ直す機会も生まれてきます。しかし、残念なことに今回の「Education」の出展演題数は多いとは言えませんでした。一般演題として申し込めるポスターセッションでは「Education」では6題のみでした(うち加藤研からの出展2題)。

今後、分子生物学会のような研究者が集まる学会で、科学コミュニケーションに携わる人たちが研究成果を発表することは重要だと考えています。科学コミュケーションを研究する組織、科学コミュニケーターを養成する組織は近年増えています。科学コミュニケーション活動を活性化し、そして維持するためにも、これらが互いに連携しあうことは重要な課題です。しかし、私たち科学コミュニケーションに携わる人たちが、現場の研究者と連携することも重要です。実際に科学を進展させる発見は現場の研究者によって生み出されます。本当に社会に必要な科学を推進していくためには、現場の研究者とのコミュニケーションが必要です。私は現場の研究者とのつながりを保ち、科学コミュニケーションのありかたを試行錯誤していきたいと思います。

来年の分子生物学会では、加藤研のメンバーもさらに積極的に出展し、また他の科学コミュニケーションに携わる人たちの出展も増加することを願っています。

(白井哲哉)

 

 

2006年6月16日 「つぶやき」

はじめまして、4月から加藤研究室に仲間入りした川上です。
W杯が始まりましたね。
日本は黒星スタートしてしまいましたが、背水の陣で望む残り2戦が、より緊迫した面白い試合になるんじゃないかという新たな楽しみが増えた気もしています。
世間ではサッカーW杯が盛り上がっていますが、かれこれ十数年バスケットボールに慣れ親しんできた私には、先週から始まっているNBAファイナルの行方も気になるところです。
さて、研究室の活動について。
先週末に、プラネタリウム特別番組「宇宙と細胞に物語をみつけました!」の1回目の開催を無事に終えることができました。
新メンバーとして初めて実践活動に関わった私にとっては、刺激的な経験になりました。
開催して新たに見えた課題もたくさんありますが、2回目の開催、さらには新たな研究活動に活かされればと思います。
また、今年の秋に開催されるゲノムひろばに向けた取り組みも始まりました。
その他にも、様々な実践活動が芽生えるのも加藤研の魅力でしょう。
これからどのような科学コミュニケーションが展開されるのか、研究室の中にいても予測不可能ですが、その息吹を感じながらワクワクした日々を過ごしています。

(川上雅弘)



2006年6月9日 「理系の女」

この4月から加藤研にお世話になっております、D1の室井と申します。
初めての一言日誌で緊張しています。

もうすぐ蛍の綺麗な季節です。
かれこれ8年ほど毎年京都の某所に見に行っております。

ところが、ついつい「あ、ルシフェラーゼが」とか思ってしまうのです。
サイエンスは常に不思議で魅力的で素晴らしいと思うのですが、
時に情緒を壊すかもしれないな、と危惧しています。
花火をみて、炎色反応だ!とか、チンダル現象だ!とか。
ただ、「所詮化学反応だろ」と思うだけなら確かに面白くないと思います。
しかし、美しさの中に秘められた科学に感動するのは、
決して悪いことではないのではないかと、自己弁護します。

楽しいこと、面白いこと、美しいこと、好きなこと。
それを詳しく知った場合に、幻滅するのではなく、
かえって感銘することもあるのではないでしょうか。
私がたとえ驚く程興醒めなことを言うようなことがあったとしても、
そういう捉え方もあるのか、と温かく見守ってもらえると嬉しいです。
皆様よろしくお願いします。
(室井かおり)



2006年6月2日 『サッカーW杯』

もう沖縄、九州と「梅雨」を迎え、
京都の街にも「梅雨」の足音が聞こえ始めている今日このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
初めまして、今年度より仲間入りさせていただきました松田健太郎と申します。

今ホットな話題といえば、やはりもうすぐドイツで行われるサッカーW杯ですね。
日韓共催で行われた2002年のサッカーW杯の時と同じ、いやそれ以上の盛り上がりがあることは間違いないでしょう。
はてさて、日本代表はどこまでやってくれるのでしょうか?楽しみです。
そういえば、今年はすでに2つのスポーツの祭典がありましたね。
一つはトリノオリンピック。荒川静香選手が金を取ったことは皆さんご存知のことでしょう。カーリングも今は時のスポーツですね。
もう一つはワールドベースボールクラッシック(WBC)。日本代表が見事優勝しました。多くの人が手に汗を握り、WBCをテレビで見たことだと思います。
・・・と、これでは単なるスポーツ好きの人で終わってしまうので方向を変えて。

このようなスポーツをテレビで見ていると、必ず「解説者」っていう人がいますよね。彼らがいるおかげで我々は全く知らない競技でもその競技のことを知ることができ、結果楽しんで見れるのだと思います。
では科学の分野ではどうでしょうか?
この分野で言う「解説者」と言えば博物館の学芸員や、日本科学未来館のインタープリターなどが思い浮かびます。
つまり、面白い科学をやさしく伝えてくれる人たちです。

ただ、彼ら「解説者」がいて本当に意味がある時は、我々個人がその対象に興味を持ったときだという風に感じます。
スポーツは常にテレビといったメディアに現れており、興味を生じさせるきっかけが多くあると感じます。さらにそこに「解説者」がいることで知らなかった競技でもある程度の理解ができます。そういう意味でこの「解説者」は有意義な存在だと言えます。
しかし科学となるとその露出はずっと減り、触れるきっかけが少なく感じます。また、たとえ「解説者」がいたとしても彼らから情報を得られるのは、あくまでも科学館ないし博物館へ訪れる人、つまり科学に興味を持っている人だけなのでは、と感じます。前者の「解説者」と異なりとてももったいなく感じます。

もっと科学の「解説者」を「活用」していくために今必要なのは科学に興味を持つきっかけを提供することなのではないかと感じています。そしてその場を通して科学に興味を持ってくれる人が増えれば、科学の「解説者」の存在がずっと大きく、有意義なものになると感じます。当然、テレビを見て解説を聞くように、「科学」を見ながら解説を聞けるという意味でも、とても有意義だと思います。

とにかく誰しもがスポーツに興味をもち、それを見て楽しむように、科学にも興味を持ち、科学を「楽しんで」もらえるようなこれからになればなぁ、と思います。「楽しむ」といっても、ただ科学の良い面だけを知るということではなく、科学が社会に見せる悪いと感じるような面も知るという意味を含めて理解して頂けるとありがたいです。
誰しもが科学というものを多角的に考えてもらえるように働きかけられたらな、と思う次第です。

いろいろ綴りましたが今はやはりサッカーW杯が大変楽しみです。

(松田健太郎)



2006年5月22日 「PCSTにて」

5月16日から20日まで韓国・ソウルに行ってきました。
ただし、お断りしておきますと、観光ではなく、The 9th International Conference on Public Communication of Science and Technology(PCST-9th)という科学コミュニケーションの国際会議に参加するためです。

お世辞にもできるとは言い難い英語力で口頭発表やポスターセッションを聞いてきたわけですが、そのなかで考えたことを一つ書きたいと思います。

本学会最終日のPlenary Sessionで、カナダのBernard Schiele博士が科学コミュニケーションにおけるLocal Activityの重要性を強調されていました。このことはこの学会、さらには科学コミュニケーションという分野そのものの全体像を象徴しているように思えます。事実、他の個別発表でもそういったLocalな科学コミュニケーションの事例報告が多く成されており、またその重要性は度々指摘されていたように思えます。

そこで私が考えたこととは、「科学の研究」そのものは果たして「Local」なのかどうかということでした。

科学的な発見というものは世界のどこかの研究室の一角、つまりは非常にLocalな場所でなされるものです。そして、その研究の成果は論文などの形で世界に向けて発信され、世界中の研究者に評価されることになります。優れた研究であればあるほど、一挙にGlobalな発見として広まって行くのです。ところが、その研究がなされた地域(Local)の人たちはその研究について全然知らない、ということはよくあることです。

折角Globalに知られるような良い研究を、それがなされたLocalな地域(場所)で知られていないということに非常に違和感を感じるのです。おらが町の名産物ではありませんが、身近なところから次第に広がって行く科学というものがあっても面白いかもしれません。

ここで述べさせていただいたことは至極当たり前のことかもしれません。しかしその当たり前の事がやはり重要であり、また世界中でまさに考えられていることである事を再認識できたということは大いに意義のあることだったと思うわけです。

(標葉 隆馬)

 

2006年5月12日 「さまざまな言葉」

 ひきつづき、初めまして。М1の新美耕平です。

 個性的なキャラクターたちの寄り合いとなった加藤研。新年度も一ヶ月が経ち、気候が暖かくなってゆくにつれて、毎日のお茶の時間が賑やかなものになってゆくようです。

 さて、私にとってこの春から新しい縁を持つことができたのは、人だけではありません。生命科学それ自体がそうなのだと言えます。いわゆる文系の学部出身の故、基礎的な知識も用語も、一気に圧倒的な量と鮮烈な出会いをしている真っ最中。

 何よりも耳新しい言葉の数といったら! 学問とは厳密性を求めるものですから、どのような分野でさえ専門の学術用語が多くあり、日常語彙よりも厳密な意味を付与されているものです。それにしてもこの世界は、たとえばそれぞれ異なる役割を果たしている数多の遺伝子や酵素、たんぱく質に一つ一つ名前をつけたりして知識を積み上げてゆくものであるから、まるで無数のようにすら感じたり。極めて専門的な議論を展開されれば、それはまるでお経。門前の小僧となるにはもうしばらく時間がかかりそうです。

 それでも私の好奇心が途切れないのは、どれだけ高度に複雑で難しい話ではあっても、それは生命体が普段当たり前にやっている活動を、言葉を使って表現しようとする言い換えに過ぎない、と思っていることに由来していそうです。世界中の優れた科学者たちが束になって研究にあたっていても中々すべてが簡単には解明できないほど、生命は見事としか言いようがない営為を自ずから然るべく行っている。先端的な生命科学の知識を得るほど、生命ってすごいという素朴な感動を幾度も味わえることだけでも、ここにきてハッピーだと思う今日この頃です。

 もちろん好ましいことしか見えない目を持つことも問題です。誰かが意図したことではなくとも派生的に好ましくないことが生じるも理。せっかく二つあるのだから、しっかり両の目で世界を見据えたいものです。

 今年二月に逝去されたこともあって、経済学のビッグネーム都留重人氏の『科学と社会』(岩波ブックレット)を読み返したところ、「科学への期待」と題された一章があり、そこで氏がE・F・シューマッハーの言葉を引用しているのが心に留まりました。

 「自然はいわば、どの点で、いつ、停止するかを知っている。…自然のものすべてには、その大きさ、速度、あるいは乱暴さという点で、節度がある。その結果、人間もその一部であるところの自然のシステムは、おのずからのバランス、調整及び浄化作用を発揮する傾向がある。だが技術に関しては、そうは言えない。あるいは、技術と専門化に支配されている人間についてはそうは言えない、というべきか」

 このような言葉も忘れずにいたいものです。

(新美耕平)


2006年4月30日 「4月も末」

 まずは御挨拶。はじめまして、今年度新しく仲間入りさせて頂きました森田華子と申します。どうぞよろしくお願い致します。

 3月の末、満開の桜に見送られ、辿り着いたのは小雪が舞い散る京都でした。
あれから1ヶ月が経ちました。
間もなく満開を向かえ華やかな姿を見せてくれた桜も、あいにくの雨続きに見舞われて、
ふと立ち寄った哲学の道ではいつの間にやら青々茂る森が出現していました。

 研究室では仲間入り早々にもヒトゲノムマップの話題で大賑わい。そんな中、密やかに、厳かに、そして急ピッチで進められているのが Emiko Ide による‘プラネタリウム実践プロジェクト’。実は制作メンバーに加えて頂きながら上映をとても楽しみにしており、成功を願っている次第です。いで玉虫が美しい彩に輝きますように。

(森田華子)



2006年4月24日「科学技術週間」

 はじめまして。この春より加藤研に仲間入りさせていただきました、高橋可江と申します。関東出身者ですので、今はまさに異文化体験の只中です。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて、17日から、科学技術週間が始まっています。
加藤研では、何といっても「一家に1枚ヒトゲノムマップ」の制作という大きな仕事がありました。ありました、などといいましたが、実は今も、予想をはるかに上回る反響への対応やWeb版の更新(まだまだ増えるようです、乞うご期待!)など、決して仕事が終わったわけではありません。加納さんをはじめ、制作チームは相変わらず忙しそうです。
しかし、この「ヒトゲノムマップ」については既に二つ記事が続いていますので、今回は別のネタでお話をしようと思います。

 科学技術週間というのは、1960年(昭和35年)2月に、閣議了解によって設けられたものだそうです。その趣旨は、「科学技術に関し、ひろく一般国民の関心と理解を深め、もって我が国の科学技術の振興を図るため、科学技術週間を設け、できるかぎりこの期間中に各種の科学技術に関する行事を集中的に実施し、目的達成に資するものとする」とされています。
1960年といえば、60年安保闘争のあった年であり、日本で初めてカラーテレビの本放送が始まった年であり、世界的には、当時植民地だったアフリカの地域の多数が独立を達成したことから、アフリカの年と呼ばれるそうです。生命科学に関していえば、DNAの二重らせん構造が提唱されたのが53年、セントラルドグマが提唱されたのが58年ですから、まだ産声をあげたばかりといった時期でしょうか。
この46年間に、「科学技術」に起こった変化はすさまじいものだったと思います。にも拘らず、今も変わらず同じ趣旨のもとで「科学技術週間」が続いているというのも、考えてみればなかなかすごいことです。
科学技術週間が設置された1960年当時には、「科学技術の振興を図ること」イコール「国が豊かになること」「生活がより良くなること」だと、おそらく多くの人が信じていたでしょう。しかし今は、「国を豊かに、生活を便利にする科学技術」というごく単純な「科学技術の在り方」は崩れつつあり、ではこの先科学技術は社会全体の中でどう存在していくのか、その「在り方」を模索しなおすことが求められているように思います。とすると、科学技術週間の趣旨も、46年前と同じ文に基づいてはいても、そこに持たされる意味はもっと大きく、複雑になってきているのかもしれません。

  ちなみに、1960年にはまだインターネットは影も形もありませんでした。つまり、歴史無知な人間がちょっと調べて、さも自身の教養であるかのように「1960年といえば〜」などと行数を稼ぐことはとても不可能だったわけですね。
これも「科学技術の恩恵」というやつです。

(高橋可江)

2006年4月15日「桜だより」

  春雨に桜舞い散る京都です。が、加藤研はと言えば、一足早く筍の季節。いえ、むしろ雨後の筍と見まごうばかりに増えゆくものが幾たりか。その中の2つをご紹介させていただく所存です。

まずは人、研究室のメンバー増。メンバー紹介のページからも分かるとおり、昨年は9人(年度初めは8人)だったメンバーが、今年は既に17人。大所帯に膨れ上がったお陰で研究室内もすっかり模様替えされて、まさに4月、桜の季節を体現中。「あれ、ゴミ箱どこだ?」と戸惑うこともあるように、まだまだ慣れない新環境ではありますが、人は宝でございます。一気に宝物が倍近くに膨れ上がった加藤研、今年の成果に期待です。何せ7福神ならぬ17福神。社寺の都、京都ならではの験担ぎかもしれませぬ。

そして筍よろしく増え続けているもう1つといえば、やはり、「一家に1枚ヒトゲノムマップ」への反響を挙げないわけにはいきません。先週の一言日誌にもありますが、加藤さんを中心とした当研究室メンバー、特に加納君の頑張りが見事実った素晴らしい一品が、昨日4月14日、華々しく全国デビュー(http://stw.mext.go.jp/20060414/index.html参照)。支えて下さった沢山のご協力者の皆様、先生方のお陰なのは勿論ですが、昨年度末からの早足マラソンにも関わらず、見事な完成品を作り上げたこと、研究室内部の内輪びいきではありますが、心からの賛辞を送ってしまいます。まだ報道発表の熱覚めやらぬ15日ということをご考慮の上、身びいきの賛辞、ここは1つ暖かく受け止めていただけることを期待して、今年度初の一言日誌を締めましょう。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

(ひがしじまじん)

 

2006年4月5日 「一家に1枚ヒトゲノムマップ」

 早いものでもう新学年が始まりました。今日は新入生との初顔合わせの日。学生だけで11名もの大所帯になるなんて昨年には全く予想もしないことでした。色んなバックグラウンドを持つ人達が集まってきているので、すさまじい相乗効果があることでしょう。今からワクワクします。

 ところで、私、表題にもあるとおり、「一家に1枚ヒトゲノムマップ」というポスターを作成しました。一年前に世間をにぎわせた「一家に1枚周期表」の第二弾として文科省に依頼され、制作したのもです。4/17から始まる科学技術週間にて各機関で配布される予定で、なんと初回から10万枚配布されます。内容は是非ご自身で確認してください。近々Webページもアップする予定なので、追って連絡します。

(加納圭)







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科学技術イノベーション政策における

雑誌「医療・生命と倫理・社会」
アイセムスSCG

(竹沢教授)



大阪大学大学院 医学系研究科・医学部






大阪大学大学院医学系研究科 医の倫理と公共政策学

大阪大学大学院医学系研究科
医の倫理と公共政策学
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