芦川 芳史、糸数 隆秀、山下 俊英≪分子神経科学、創薬神経科学≫ 視神経脊髄炎で破壊されたアストロサイトの再生メカニズムを解明 ~神経疾患に対する新規治療法の開発に期待~
2025年7月8日
掲載誌 Brain
図1: 概要
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研究成果のポイント
- 実態に近い広範囲の病変を再現する新たな動物モデルを用いて、視神経脊髄炎(NMO)で破壊された脊髄の重要なグリア細胞(アストロサイト※1)の再生メカニズムを解明。
- NMOで障害が持続する原因として、破壊されたアストロサイトの再生が不十分であることが挙げられるが、これまでのNMOの動物モデルではアストロサイトの再生過程を詳しく観察することができなかった。
- 開発した新たな動物モデルでアストロサイトの再生過程を検証し、線維芽細胞増殖因子8(FGF8)※2がアストロサイト再生を促進できることを発見。また、この処置により神経栄養因子GDNF※3が増加し、神経回路の再編成※4が促進されることで、麻痺を改善できることを見出した。
- アストロサイトの破壊が生じる脳梗塞や脊髄損傷、神経変性疾患をはじめとした様々な神経疾患に対する新規薬剤の開発に期待。
概要
大阪大学大学院医学系研究科の糸数隆秀特任教授(常勤)(創薬神経科学・分子神経科学)、山下俊英教授(分子神経科学・創薬神経科学/生命機能研究科、免疫学フロンティア研究センター)、芦川芳史さん(分子神経科学、元博士課程大学院生)らの研究グループは、難病である視神経脊髄炎によって破壊された脊髄のアストロサイトが再生するメカニズムを明らかにし、FGF8という因子がその再生を促進させることを見出しました。その結果、アストロサイト由来の神経栄養因子であるグリア細胞株由来神経栄養因子(GDNF)が増加することで神経回路の再編成が促進され、麻痺を改善させることができることを動物及び細胞実験で示しました(図1)。
視神経脊髄炎(neuromyelitis optica: NMO)は重篤な麻痺やしびれ、排尿障害などを引き起こし、患者さんの生活の質を著しく悪化させる疾患です。これは、神経細胞への栄養供給などを行っているアストロサイトという細胞が破壊されることで発症します。アストロサイトは神経機能の維持に極めて重要であり、アストロサイトが広範囲に脱落した状態が続くことは病気からの回復にとって大きな障害となります。これまで多くの研究が行われてきましたが、NMO発症後に脊髄で破壊されたアストロサイトがどのように再生するのかについては不明でした。
今回研究グループは、患者さんの病態に近い脊髄炎を呈するNMOモデルラットを開発し、アストロサイトが広範囲に破壊された後のアストロサイト再生動態を検証しました。その結果、アストロサイトは脊髄の中心にある中心管という部位から放射状に広がるように補充されていくことが明らかになりました。しかし、この補充現象は不十分で時間のかかるものであり、そのままではアストロサイトの脱落状態が長期間続くことになります。そこで、アストロサイトの補充を促進できるような方法を探索したところ、FGF8という因子を投与することでこの再生が大幅に促進されることがわかりました。このことはアストロサイト由来の神経栄養因子の増加をもたらし、神経回路の再編成が促されて麻痺の改善につながりました。
本研究結果により、脱落したアストロサイトの再生を促進することで麻痺を改善できることが示され、新たなNMO治療戦略開発の可能性が拓かれました。さらに、脳梗塞や脊髄損傷、神経変性疾患をはじめとした様々な神経疾患においてもアストロサイトの破壊が生じるため、これらの神経疾患に対する新規薬剤の開発につながる可能性があります。
本研究の背景
NMOは主に免疫の異常によって産生された自己抗体※5によってアストロサイトが広範囲に破壊されることで生じ、重篤な麻痺やしびれ、排尿障害などを引き起こす疾患です。この疾患は再発と寛解を繰り返し、障害が増えていきます。近年、再発に関わる異常を抑える分子標的薬療法が進歩したことで、再発率を下げられるようになってきましたが、初回または再発1回あたりに生じる障害が重篤であり、その障害が完治しないことも多くみられます。
NMO発症後に障害が完治しない原因として、破壊されたアストロサイトの再生が不十分である可能性が挙げられます。しかし、これまでの動物モデルでは患者さんでみられるような大きな病変が生じにくく、アストロサイトの再生過程を観察することが困難であったため、この再生メカニズムについてはほとんど研究されていませんでした。
また、脊髄に存在するアストロサイトは複数のグループに分けられます。各グループのアストロサイトは、発生の段階でそれぞれ異なった転写因子※6によって制御されて生じることが知られており、グループごとに存在する場所が決められています(Haim et al. Nat Rev Neurosci 2017)。興味深いことに、ある場所のアストロサイトが破壊されても、別の場所のアストロサイトがこれを補完しないことが報告されており(Tsai et al. Science 2012)、この機構がアストロサイトの再生を制限し、麻痺の改善などを妨げる可能性が考えられていますが、実際に広範囲にアストロサイトが破壊された場合にどのように再生が起こるのかは不明でした。
本研究の内容
研究グループは、患者さんの病態に近い、広範囲に脊髄病変を生じる動物モデルを開発することで、アストロサイトが破壊された後の病態を観察できる手法を確立しました(図2)。
同手法により、NMO後に脊髄の中心管周囲から放射状に広がるようにアストロサイトの再生が開始されることがわかりました。ただ、この再生は不十分で時間を要する現象であり、機能回復にとって重要な時期に、アストロサイトの脱落した状態が持続してしまっていることを見出しました。
そこで、アストロサイトの再生を促すことで、機能の回復に有益な環境を作れるのではないかと考え、化合物スクリーニングを行ってアストロサイト再生を促進しうる因子を検索し、FGFシグナルを同定しました。実際に、NMOのモデル動物でFGFシグナルを阻害することで、アストロサイト再生が抑制されました。逆に、FGF、なかでもFGF8を投与することで、アストロサイト再生が顕著に促進できることを発見しました(図3)。また、この再生促進は、中間脊髄※7のアストロサイト分布に関わる転写因子Dbx1を介していることを見出しました。
さらに、FGF8-Dbx1シグナリングを増強することで、アストロサイトの再生範囲が広がり、これらのアストロサイトから神経栄養因子GDNFが分泌され、運動に関わる皮質脊髄路の神経回路の再編成が促されることをトレーサー実験によって明らかにしました。また、この神経回路の再編成と麻痺の改善が相関していることを複数種の行動実験によって明らかにしました。
以上の結果から、アストロサイトの脱落後の再生にはFGF8-Dbx1シグナルが関与しており、この経路を増強することで、アストロサイトの再生が促進され(図1)、神経回路の再編を引き起こして麻痺を改善させる可能性が示唆されました。
図2: NMOモデルで生じるアストロサイトの脱落と再生
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図3: FGF8投与でアストロサイト再生が促進
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本研究が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果により、広汎なアストロサイト破壊が生じるNMO病態において、アストロサイトの再生を促進することにより神経障害を改善させるという新たな治療戦略が有効である可能性が示されました。今回確立された実験手法は、これまで観察することが困難であったアストロサイト脱落後の再生動態の観察を可能としており、今後この現象についてさらにメカニズムを解明し、新たな治療法を見出していくにあたり強力なツールとなることが期待されます。
用語説明
※1 アストロサイト
グリア細胞の一つであり、神経細胞の数倍以上の数がある。神経細胞への栄養供給や神経活動の調整といった幅広い機能を有し、血液脳関門の構成要素でもある。
※2 線維芽細胞増殖因子 8 (FGF8)
胚発生や創傷治癒などに関与する成長因子の一つ。発達期に特に重要。
※3 神経栄養因子 GDNF (Glial cell line–derived neurotrophic factor)
神経細胞の軸索伸長に関わる栄養因子の一つ。
※4 神経回路の再編成
神経細胞の軸索が損傷することで、神経回路のネットワークが遮断され、脳からの電気信号が筋肉に伝わらなくなり麻痺が起こる。神経細胞の軸索伸長を促すことで、この遮断された回路のネットワークを再編成し、再び脳からの電気信号が筋肉に伝わるようになり、麻痺が緩和されることが期待される。
※5 自己抗体
本来は外敵に反応し、自分の体の成分には攻撃しないはずの抗体が、免疫の異常によって自分の体の成分を攻撃するようになったもの。
※6 転写因子
DNAに結合し、転写を調節することで、様々なタンパク質の制御を行う因子。
※7 中間脊髄
脊髄の背部と腹部の間にある部分。脊髄のアストロサイトは発達期に転写因子によって厳密な空間的分布を確立し、その分布は成体でも維持される。中間脊髄に存在するアストロサイトは転写因子Dbx1によって制御される。
特記事項
本研究成果は、2025年7月8日(火)6時(日本時間)に英国科学誌「Brain」(オンライン)に掲載されました。
【タイトル】
“Astrocyte regeneration via FGF8-DBX1 signaling facilitates recovery in neuromyelitis optica rats”
【著者名】
Yoshifumi Ashikawa1, Takahide Itokazu1, 2†, Toshihide Yamashita1, 2, 3, 4† (†責任著者)
なお、本研究はJSPS科研費(21H05049, 21K07459), AMED-CREST(23gm120005h0006)の助成を受けて行われました。