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富田 亜希子、中田 慎一郎 ≪細胞応答制御学≫ 新しいゲノム編集技術NICER法を開発 ~目的外変異の発生率を極めて低く抑えることで遺伝子疾患治療に応用へ~

2023年9月15日
掲載誌 Nature Communications

図1: 従来のゲノム編集法とNICER法法との比較
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研究成果のポイント

  • 目的外変異の発生率を極めて低く抑えた新しい遺伝子修正法としてNICER法を開発しました。
  • 従来のゲノム編集法は目的外変異の発生が多く、ゲノム編集を医療応用する際の懸念となっていました。
  • NICER法の開発により、遺伝性疾患治療の新しい展望が開かれることとなります。

概要

大阪大学大学院医学系研究科の富田亜希子特任研究員(常勤)(細胞応答制御学)、大阪大学高等共創研究院の中田慎一郎教授らの研究グループは、名古屋大学 環境医学研究所 荻朋男教授、東京都医学総合研究所 笹沼博之副参事研究員らと共同で、DNA2本鎖のうち1本だけを切断して相同染色体※1間での相同組換え※2を誘導し、変異を持つ染色体の遺伝情報を野生型※3染色体の遺伝情報で上書きする新手法、NICER法(a method for correcting heterozygous mutations that employs multiple nicks (MNs) induced by Cas9 nickase and a homologous chromosome as an endogenous repair template)を開発しました。

従来のゲノム編集技術※4では、意図しない場所でゲノム変異が発生しやすいという課題がありました。研究グループは、目的外変異発生の主要な原因であるDNA2本鎖切断※5や外来性DNA※6の使用を避けることで、不必要な変異の発生を大幅に抑制することができました。この成果により、遺伝子変異が原因となる疾患に対して、患者自身の細胞を修正して治療する新しいアプローチが現実的になると期待されます

本研究の背景

2020年のノーベル賞で注目されたCRISPR/Cas9※7は、ゲノム編集技術の進展に大きく貢献しました。この技術は農産物の改良や研究材料の作成、さらには特定の疾患の治療にも活用されています。また、遺伝子変異を修正するような医療への応用が期待されています。CRISPR/Cas9を細胞に導入すると、遺伝子変異の近くでDNA2本鎖切断することができます。同時に野生型遺伝子配列を持つオリゴヌクレオチド※8やプラスミド※9DNAドナーを細胞に導入すると、切断されたDNAの修復過程でDNAドナーの配列が組み込まれ、変異が野生型に修正されることがあります。ただし、全ての変異が正常に修正されるわけではなく、むしろ、変異がさらに拡大する場合もあります(図2)。

CRISPR/Cas9は特定の遺伝子配列を標的とするよう設計されていますが、その認識特異性は完全ではありません。結果として、ゲノム編集は標的外の遺伝子にも影響を与えることが考えられます(図2)。さらに、CRISPR/Cas9の発現ベクター※10やドナーとなる外来性DNAがゲノムに無作為に組み込まれて未知の変異が生じるリスクも存在します。このような欠点があるため、CRISPR/Cas9を使った遺伝子編集には大きな期待が寄せられていますが、まだ問題点も多く、ヒトへの適用には慎重な検討が必要です。

図2: 従来の一般的なゲノム編集法による遺伝子修正と目的外変異の発生。
DNA2本鎖切断の修復では変異が発生しやすいため、たとえ遺伝子変異の修正に成功しても
CRISPR/Cas9の本来の標的以外の場所に目的外変異が発生する可能性が高い。
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本研究の内容

研究グループは、ゲノム編集時に発生する目的外変異という課題に対応するため、2つの新しいアプローチを提案しました。

まず、研究グループはDNA2本鎖切断が変異の主要な原因となることに注目しました。DNA鎖を2本とも切断する代わりに1本の鎖だけを切断すれば、変異のリスクが低減されるだろうと考えました。なぜなら、DNA1本鎖切断(ニックと呼ばれる)の場合、もう一方の鎖が完全なままなので、修復時の変異リスクが低くなると予想されるためです(図3)。

次に、外来性DNAが予期せずゲノムに組み込まれる問題に取り組みました。研究グループのアイディアは、外来性DNAドナーを使用せず、ヒトが元々持っている染色体をドナーとして利用することでした。具体的には、同じ番号の相同染色体を利用することで、変異が生じている染色体の遺伝子配列を野生型の染色体の遺伝子配列で上書きする方法です(図3)。

しかしこの手法には効率の問題がありました。そこで、研究グループは両相同染色体に1つあるいは2つずつニックを追加で発生させる工夫を行い、遺伝子修正効率を大幅に高めることに成功しました。そして、次世代シーケンサー※11を用いてゲノム解析を行い、ゲノム編集に伴う目的外変異が大幅に減少していることを実証しました。この新手法は「NICER法」と命名されました。NICERを用いれば、数塩基対以内の小さな遺伝子変異だけでなく、数百塩基対に及ぶ比較的大きな遺伝子変異も修正可能であることが確かめられました。そして、ファンコニー貧血などの遺伝子疾患を起こす変異の修正にも成功しました。

さらに、研究グループはこのNICER法がどのような修復経路を利用して機能するのかを解明し、既知のDNA修復経路だけでなく、新しい経路も関与していることを発見しました。

図3: DNA2本鎖切断ではなく、DNA1本鎖切断(ニック)を発生させるCas9変異体ニッカーゼを用いたゲノム編集。
ニックは変異を伴わずに修復されるため、ニッカーゼによってニックが発生しても新たな遺伝子変異が発生する可能性は低い。
このため、目的外変異を伴わない正確な遺伝子修正が可能になる。
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図4: NICER法の模式図。
変異の近傍にニックを発生させる(このニックは変異アレルのみに存在する)。
変異近傍にニックを発生させただけでは相同染色体間相同組換えは極めて低い頻度でしか起こらない。
しかし、両アレルにさらに1カ所あるいは2カ所ニックを加えると、
相同染色体間相同組換えによる遺伝子修正効率が飛躍的に上昇する 。
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本研究が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果により、遺伝子の目的外変異を大幅に抑えながら、効果的な遺伝子修正が可能となりました。この進展は、疾患の原因となる遺伝子を持つ細胞で変異を修正するような新しい治療法や技術の開発への扉を開くものです。さらに、DNA修復機構に関する新しい経路が明らかになったことで、細胞のゲノム安定性維持機構に関する理解が深まることも期待されます。

研究者のコメント

<中田 慎一郎 教授のコメント>

遺伝子変異が原因の重篤な疾患の多くには根治的な治療法がまだ存在しません。ゲノム編集技術を使った遺伝子修正により、これらの疾患の一部には新しい治療法が生まれる可能性が考えられます。しかし、技術の安全性は絶対的に保障されなければなりません。私たちが開発したNICER法は、目的外の変異を低減することで、その安全性を高めるものです。NICER法にとどまらず、今後より安全なゲノム編集技術が生まれることを期待し、私たちも治療法の開発に向けて研究を続けてまいります。

用語説明

※1 相同染色体
各染色体ペアのうちの一方と、そのペア。これらの染色体は、形や遺伝子の配置が似ており、性染色体を除いてほとんど同じ遺伝情報を持つ。

※2 相同組換え 
DNA修復の一つのメカニズム。2本鎖切断されたDNAを修復する際に、相同の配列を持つDNAを鋳型として用いることで、正確なDNA修復を行う。

※3 野生型
特定の生物集団で最も一般的に見られる遺伝的特性や形質。変異や変種と比較される基準となる型。

※4 ゲノム編集技術
特定のDNA配列を狙って切断、置換、挿入などの変更を行う技術。この技術により、生物の遺伝的特性を変更することができる。

※5 DNAの2本鎖切断
DNAの両方の鎖が同時に切断されること。

※6 外来性DNA
ある生物に元々存在しない、別の生物種から得られたDNA。例えば、大腸菌に含まれるDNAをヒト細胞に導入する際の大腸菌に含まれていたDNA。ここでは人工合成したDNAも含める。

※7 CRISPR/Cas9
細菌の防御機構に由来するゲノム編集ツール。特定のDNA配列を標的にしてDNA2本鎖切断することができる。

※8 オリゴヌクレオチド
短いDNAまたはRNAの断片。通常2030ヌクレオチド以下。

※9 プラスミド
細菌などの細胞に存在する、小さな環状のDNA分子。遺伝子工学の研究などでよく用いられる。

※10 発現ベクター
遺伝子を他の生物の細胞に導入し、その細胞でタンパク質を生産させるための道具。多くの場合、プラスミドがベースとなる。

※11 次世代シーケンサー
大量のDNA配列を高速に解読するための技術。従来のシーケンシング方法と比べ、より多くのサンプルを同時に、また高速に解析することが可能。

特記事項

本研究成果は、2023915日(金)18時(日本時間)に英国科学誌Nature communications」(オンライン)に掲載されました。

【タイトル】

“Inducing multiple nicks promotes interhomolog homologous recombination to correct heterozygous mutations in somatic cells”

【著者名】

富田亜希子1笹沼博之2大輪智雄1中澤由華3,4嶋田繭子3,4福岡 宇紘3,5、 荻朋雄3,4、 中田慎一郎1,6*責任著者)

  1. 大阪大学 大学院医学系研究科 細胞応答制御学
  2. 東京都医学総合研究所
  3. 名古屋大学 環境医学研究所発生遺伝分野
  4. 名古屋大学 大学院医学系研究科人類遺伝・分子遺伝学
  5. Genomedia株式会社
  6. 大阪大学 高等共創研究院

【DOI番号】10.1038/S41467-023-41048-5

本研究は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)先端的バイオ創薬等基盤技術開発事業、難治性疾患実用化研究事業、科学研究費助成事業研究(基盤研究A、基盤研究B、挑戦的萌芽研究、挑戦的研究(開拓))、上原記念生命科学財団、武田科学振興財団、金原一郎医学医療振興財団、母子健康協会、高松宮妃癌研究基金の一環として行われました。