坂庭 嶺人 ≪公衆衛生学≫ 子どもから高齢期までの社会経済的指標の改善で認知症発症リスクが低下~子ども時代のハンデを乗り越えて、健康寿命の恩恵を
2024年5月22日
掲載誌 JAMA Network Open
図1: ライフステージと健康寿命
※ 社会経済的指標:本研究では、子ども時代の親の資産・教育歴・職業歴・高齢期の所得と定義
※ 健康寿命:本研究では人生の中で認知症を伴わない期間と定義
※ 健康的な65歳以上の日本人約9,000人のデータを基に分析
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研究成果のポイント
- 健康的な日本人高齢者約9,000人において子ども期から高齢期に至るまでの社会経済的指標(Socioeconomic Status: SES)※1の推移パターンを最新の解析技術を用いて特定し、認知症発症との関連を分析。
- “子ども時代にSESが低いがその後改善した人”が、最も認知症発症リスクが低く、また健康寿命も長いことが明らかになった。
- ライフステージを通してのSES改善が認知症リスクを改善することを明らかした本研究は、健康長寿を目指すわが国や世界各国の政策立案においての重要な科学的エビデンスとなる可能性がある。
概要
大阪大学 大学院医学系研究科の坂庭嶺人 特任助教(常勤)(公衆衛生学)とロンドン大学ユニバーサル・カレッジ(イギリス)らの国際共同研究グループは、健康的な65歳以上の日本人約9,000人を対象に、子ども期から現在に至るまでの社会経済的指標(SES: Socioeconomic Status)とその後の認知症発症との関連を最新の分析技術であるBayesian unsupervised cluster分析※2を応用することで分析・評価しました。さらに、パターン別の認知症発症リスク・健康寿命※3の評価を行いました。
その結果、子ども時代のSESが低いものの、その後の人生でSESを改善した人たち(図1)が最も認知症発症リスクが低く、健康寿命も最も長いことが明らかになりました。この研究結果は、子ども時代から高齢期にかけてSESが常に高い人たちよりも良い結果となりました。このことは、たとえ子ども時代に何らかの理由で経済的なハンデを抱えていたとしても、それを乗り越えたときに「健康長寿」という観点においては大きな恩恵がある可能性があることを示唆します。一方、子ども時代はSESが高かったが、後にSESが低下した人たちは、認知症発症リスクはそこまで高くないものの、75歳以降の健康寿命を短縮することが分かりました。
この研究成果は、世界的な課題である社会の経済的流動性と健康、健康寿命、そして認知症予防対策の有益な科学的エビデンスとなるだけでなく、これらの問題に関する政策立案に活用されることが期待されます。
本研究の背景
認知症は世界的に増加しており、現在、日本国内では約964万人、世界では約3億5,600万人の有病者がいます。この疾病は高齢期の健康寿命を最も縮める要因の1つです。高齢期の病気として有名な認知症ですが、実はその原因の1つは子ども時代からの各ライフステージのSESであることが様々な研究から分かっています。一方、ライフステージ間でSESが変化した場合の認知症への影響はよく分かっておりません。この影響が解明されないことによる問題点としては、以下のようなことが挙げられます。
①先行研究の結果だけをまとめると、“子ども時代から高齢期の至るまでずっとSESが高いこと”が最も認知症リスクを下げるという結論となること。
②子ども時代における親のSESの高さはそれ以降のライフステージのSESの高さに密接に関係するため、生まれた家庭のSESの高さが高齢期の健康に大きく影響してしまうという結果になること。
子ども時代のSESの高さはそれ以降のライフステージのSESに密接に関係するため、これでは、高齢期における認知症リスクは生まれた家庭の経済事情などである程度決定されてしまうことになってしまいます。子ども時代の親のSESや学歴など、すでに大人になってからでは取り返しのつかない原因はもうどうしようもないのだろうか?という大きなクエスチョンに対して答えを出せず、世界的にもこの問題の解明は喫緊の大きな課題とされてきました。
この課題に取り組むうえでの難しさとして、以下のようなことが挙げられます。
1)欧米諸国などでは日本以上に経済格差が固定化されており、個人の社会経済的流動性の検証が難しいこと。
2)所得・教育歴・親の社会経済的指標など、単位や意味の異なる複数の指標を1つにまとめて取り扱うことが難しいこと。
このような課題から、世界的にみても研究発表は少なく、答えがいまだよくわかっておりませんでした。
本研究の内容
今回、研究グループは、要介護認定歴のない65歳以上の健康的な日本人約9,000人にコホート研究※4を行いました。子ども時代から高齢期に至るまでのSES(子ども時代の親の社会的地位・教育歴・職業・現在の所得)の変動を調査し、Bayesian unsupervised cluster解析というデータ分析技術を用いて、異なる単位を全て数学的なベクトルに置き換えることで変動を6パターンに分類に成功しました(図2)。
SES変動パターンと認知症発症・健康寿命との関連を分析・評価すると、高齢期の認知症発症リスクは子ども時代にSESが低いがその後改善した人たち(Upward)が最も低い結果となりました。これは人生を通してSESが高かった人(Stable High)よりも約20%程度認知症発症リスクが低いということが分かりました(図3)。また、65歳以降の健康寿命も一貫して長いという結果となりました(図4)。これは、子ども時代に何らかの理由で経済的なハンデを抱えていたとしても、それを乗り越えたとき「健康長寿」という観点で大きな恩恵がある可能性があることを示唆します。一方で、子ども期はSESが高かったが、高齢期になるにつれSESが低下してしまった人(Downward)たちの認知症発症リスクは、ずっとSESが低い人(Stable Low)たちよりも30%程度認知症発症リスクが低いことが分かりました(図3)。これは高い教育歴などが関与していることが考えられます。
しかしながら、健康寿命の違いを見ると、Downwardの人たちは後期高齢期を迎える75歳辺りから急激に健康寿命が短くなる傾向がみられました(図4)。つまり、大人になってからSESが低下した場合、高い教育歴の影響などで認知症発症率はそこまで高くはないものの、認知症に罹患する場合、発症年齢が子ども期から一貫してSESが低い人たちよりも比較的早くなる傾向があることが分かりました。
図2: ライフステージにおける社会経済的指標(SES)の変化のパターン
※ SESは子ども期(親の社会的地位)・青年期(教育歴)・中年期(職業)・高齢期(現在の等価世帯所得)とした
※ Y軸・X軸は全てベクトルのため単位はなし ※ 本文結果より筆頭著者がオリジナルで作成
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図3: ライフステージ・社会的指標(SES)の変動パターンと認知症発症リスクの関係
※Stable Middle 2の発症リスクを1.0とした時、各SES変動パターンと認知症発症の相対リスクの関連
相対発症リスクは年齢・性別のバイアスを調整後の結果
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図4: ライフステージ・社会経済的指標の変動と健康寿命の関連
※ 健康寿命は人生の中で認知症を伴わない年齢と定義 ※ 原著論文結果より筆頭著者がオリジナルで作成
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本研究が社会に与える影響(本研究成果の意義)
認知症の予防が世界的な課題である中で、その政策提言における有益な研究結果となります。特に、
1)生まれた家庭のSESの高さが高齢期の健康が決定付けるわけではない事
2)UpwardやDownwardのように、子ども期から高齢期に至るまでSESが大きく変動した場合の認知症発症・健康寿命の評価は世界的に見てもほとんど科学的エビデンスがなく、それらの関係性を示したこと
という2点において、認知症と密接に関連するとされる社会経済指標の高さとの関係性において新たな知見を提供しました。これらの成果は、認知症予防に向けた政策介入プログラムの開発に役立ち、将来的には認知症発症率を下げることが期待されます。
研究者コメント
<坂庭 嶺人 特任助教のコメント>
本研究で最も大きなポイントであった、単位も定義も全く異なる各ライフステージのSESをどのように1つの指標として捉えるか?に苦労しました。経済格差などの固定化が進む現代において、個人では改善不可能な子ども時代の健康への影響が逆転可能であることが示せた事は、非常に大きな成果だと思います。世界的にも、最も高齢化が進んでいる国の1つである日本から健康長寿に関連する科学エビデンスを出すことが求められています。今後このような健康長寿に関する研究を推進していきたいと思います。
用語説明
※1 社会経済的指標(Socioeconomic Status:SES)
個人または、その家族の社会状況を示す指標。社会的地位、教育歴、職業、所得などが該当する。
※2 Bayesian unsupervised cluster分析
与えられたサンプルの指標(本研究では、子ども時代の親の社会的地位・教育歴・職業・現在の所得とした)から似たものどうしを分類する分析技術。各指標を単位ではなくベクトルとして捉えるため、異なる単位の指標を同時に扱えることが特徴。日本語では教師なし分析とも言われる。
※3 健康寿命
本来の意味ではその年に産まれた新生児が人生でどれだけ健康的に過ごせるかを示した指標であるが、社会一般的には「現在の年齢+残り人生で健康的に過ごせる余命」として語られる方が一般的のため本研究でもそのように表記。また、健康的に過ごすという事に明確な定義がないので、特定の疾病や状態にならない期間などを示す場合が多い。本研究では人生で認知症を伴わない期間と定義。
※4 コホート研究
特定の要因を保有する集団とそうでない集団を一定期間追跡し、研究対象となるイベントの発生率を比較する事で、原因と結果の関連を調べる観察研究。
特記事項
本研究成果は、アメリカ医師会科学誌「JAMA Network」(オンライン)に2024年5月22日(水)午前0時(日本時間)に公開されました。
【タイトル】
“Socioeconomic status transition throughout the life course and the risk of dementia”
【著者名】
Ryoto Sakaniwa, PhD1; Kokoro Shirai, PhD1,2,3; Dorina Cador, PhD3,4; Tami Saito, PhD5; Katsunori Kondo, PhD6; Ichiro Kawachi, PhD2; Andrew Steptoe, PhD3; and Hiroyasu Iso PhD1,7*.(*責任著者)
- 大阪大学 大学院医学系研究科 公衆衛生学
- Department of Social and Behavioral Sciences, Harvard T.H. Chan School of Public Health
- Department of Behavioral Science and Health, University College London
- Centre for Dementia Studies, Department of Clinical Neuroscience, Brighton and Sussex Medical School, University of Sussex
- 国立長寿医療研究センター 老年学・社会科学研究センター
- 千葉大学 予防医学センター
- 国立長寿医療研究センター グローバルヘルス政策研究センター
DOI:10.1001/jamanetworkopen.2024.12303
なお、本研究は日本老年学的評価研究機構、OU-UCLジョイントラボ リサーチセンター、大阪大学メディカルデータサイエンス研究拠点の形成プロジェクトの協力を得て行われました。