2022年

難波 真一、岡田 随象 ≪遺伝統計学≫ 遺伝的がんリスク体質の人は若くしてがんになりやすい ~がんの特性をPRSで解明~

2022年10月27日
掲載誌 Cancer Research

図1. 本研究の概要
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研究成果のポイント

  • さまざまな種類のがんに対して、「遺伝的がんリスク体質」を強く反映するポリジェニック・リスク・スコア(PRS1を構築した
  • PRSを用いて遺伝的がんリスク体質の特性を網羅的に調べたところ、遺伝的がんリスク体質を持つ人は若い年齢でがんを発症し、がんに蓄積している体細胞異常2(体細胞変異3やコピー数異常4)が少ないことが判明した
  • 遺伝的がんリスク体質に関連する特性は、さまざまな種類のがんで共通して認められた

概要

がんの発症には、加齢・喫煙・放射線暴露など様々な「環境因子」が関与することが知られていますが、各個人の「遺伝因子」、すなわち「遺伝的がんリスク体質」も重要であることが知られています。

大阪大学大学院医学系研究科の難波真一さん(博士課程)(遺伝統計学)、岡田随象 教授(遺伝統計学/理化学研究所生命医科学研究センター システム遺伝学チーム チームリーダー/東京大学大学院医学系研究科 遺伝情報学 教授)、国立がん研究センター研究所の斎藤優樹 特任研究員(分子腫瘍学分野/慶應義塾大学医学部 内科学教室(消化器) 助教)、片岡圭亮 分野長(分子腫瘍学分野/慶應義塾大学医学部内科学教室(血液) 教授)らの研究グループは、ポリジェニック・リスク・スコア(PRS)という指標を用いて「遺伝的がんリスク体質」を定量化し、がんの様々な特性に与える影響を網羅的に調べました(図1)。

遺伝的がんリスク体質を持つ人は、がんになりやすいだけでなく、若い年齢でがんを発症する傾向にあり、がんの特徴である体細胞異常の蓄積が少ないことがわかりました。

本研究成果によって「遺伝的がんリスク体質」の理解が進み、がんの予防や個別化医療※5を推進することに役立つと期待されます。

研究の背景

がんの発症には、加齢・喫煙・放射線暴露など様々な「環境因子」が関与することが知られていますが、各個人の「遺伝因子」も重要であることが知られています。

従来、がんの遺伝因子の研究は、家族性腫瘍の原因となる「まれな病因性バリアント6」に着目されてきました。例えば、代表的な「まれな病因性バリアント」であるBRCA1/2遺伝子バリアントは遺伝性乳がん・卵巣がん症候群と呼ばれる家族性腫瘍をきたすことが知られています。このように、「まれな病因性バリアント」を有する人は、高確率にがんを発症しますが、これらの「まれな病因性バリアント」を有するのは一部の人に限られます(BRCA1/2遺伝子バリアントの場合は400-500人に1人)。

近年、ゲノムワイド関連解析7によって、多くの人が持つバリアントのうち数百〜数千個ががんへのかかりやすさに影響を与えることが分かってきました。これらのバリアントは「まれな病因性バリアント」とは異なり、個々のバリアントががん発症に与えるリスクは小さいですが、多くの人々(人口の数%から数十%)がこれらのバリアントを有していることが知られています。さらに、これらのバリアントは個々のリスクは低いものの、数百~数千個あるため、ゲノム全体でまとめて考えた場合のがん発症リスクは大きいことが知られています。そのため、これらのバリアントをまとめて評価することにより、いわゆる家族性腫瘍以外の「がんになりやすい遺伝的な体質」(遺伝的がんリスク体質)を評価できると考えられます。

ゲノム全体でこれらのバリアントをまとめて評価し、「遺伝的がんリスク体質」を反映する指標としてポリジェニック・リスク・スコア(PRS)が知られています。このPRSを計算して遺伝的がんリスク体質の人を発見することで、がんの早期発見につなげることができると期待されています。しかし、PRSに反映される遺伝的がんリスク体質が体細胞異常や診断時年齢といったがんの特性にどのように影響を与えるかは分かっておらず、PRSを医療現場で活用する障害になっていました。これまでは、特定の種類のがんや特定のドライバー変異8だけに注目した研究がわずかに存在するだけであり、遺伝的がんリスクが様々ながんの特性に与える影響を網羅的に評価する必要がありました。

本研究の成果

今回、研究グループでは、様々な種類のがんに対して複数の計算手法を用いてPRSを構築しました。そして、大規模ゲノムデータ(335,048人)を用いてPRSがどれだけ精度良くがんの発症を予測できるかを評価することで、遺伝的がんリスクを強く反映する高精度なPRSを選定しました。高精度なPRS7種類のがん(乳がん、子宮体がん、前立腺がん、膠芽腫、卵巣がん、大腸直腸がん、食道がん)に対して選定され、詳細ながんの情報が存在するゲノムデータ(2,924人)についてPRSの値を計算することで、遺伝的がんリスクががんの特性に与える影響を網羅的に評価しました(図2)。

その結果、どの種類のがんであってもPRSが高いほどがんの発症年齢が若いことが判明しました。この結果は、遺伝的がんリスク体質の人は若い年齢でがんになりやすいことを示しています。また、PRSが高いほど体細胞変異の蓄積(総体細胞変異数)が少ないことがわかりました。年齢とともに体細胞変異の蓄積が増えることが知られており、若い年齢からがんになりやすいことと矛盾しない結果です。興味深いことに、PRSが高いほどコピー数異常の数や程度も小さいことがわかりました。この傾向は、メカニズムが異なる3種類のコピー数異常の指標(染色体長腕・短腕9におよぶコピー数異常、限局性のコピー数異常、ヘテロ接合性消失10が起きたゲノム領域の割合)で共通して見られました。がんが形成される過程の後期はゲノムが不安定になりコピー数異常が増加することが知られており、この結果は遺伝的がんリスク体質の人は体細胞変異やコピー数異常の蓄積が多くなる前にがんを発症していることを示唆しています。

一方で、ドライバー変異の数や個々のドライバー変異の有無については、PRSとの有意な関連はみられませんでした。これらの結果は、遺伝的がんリスク体質であるからといって、必ずしもがんの発症に必要なドライバー変異が少なくなるわけではないことを示唆しています。

PRSが診断時年齢や体細胞異常(体細胞変異、コピー数異常)といったがんの特性に与える影響は、どの種類のがんでも同程度の強さでした。遺伝的がんリスク体質に関連するバリアントはがんの種類ごとに異なりますが、遺伝的がんリスク体質の特性はがんの種類によらず共通であると考えられます。

図2. 遺伝的がんリスク体質ががんの特性に与える影響
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本研究が社会に与える影響(本研究成果の意義)

本研究成果によって、遺伝的がんリスク体質を持つ患者さんのがんの特性がはじめて解明されました。遺伝的がんリスク体質に対する理解をさらに深めることで、遺伝的がんリスク体質を持つ人のがん予防や個別化医療の実現に貢献すると考えられます。

研究者のコメント

<難波 真一 大学院生>
ゲノム医療への期待は年々高まっており、中でもPRSは医療現場への導入がさかんに議論されています。しかし、PRSについて、疾患へのかかりやすさを予測できるという以上の生物学的なことはあまりわかっていません。私達の研究が、PRSに反映される遺伝的がんリスク体質をより深く理解することにつながり、さらにはPRSの臨床応用に貢献することができれば幸いです。本研究は大規模なゲノムデータを用いることで達成することができました。すべての共同研究者や研究支援機構、並びにサンプルを提供してくださった方々に深く感謝を申し上げます。

用語説明

※1 ポリジェニック・リスク・スコア(polygenic risk score; PRS)
ヒトゲノム配列上に存在する数百万カ所の個人差(バリアントと呼ばれる)のうち、疾患との関連が示唆された数十〜数十万のバリアントについて、効果量の重み付きの和を個人ごとに計算したスコア。このスコアは実際の疾患発症リスクと相関することが示されており、スコアを計算することで疾患にかかりやすい遺伝的体質を持っているかどうか調べることができる。

※2 体細胞異常
体内の一部の細胞におきたゲノムの異常の総称で、体細胞変異やコピー数異常などが含まれる。がん細胞ではゲノム全体に体細胞異常が蓄積していることが知られている。

※3 体細胞変異
体内の一部の細胞において、もともと両親から受け継いだゲノムの塩基配列から変化した塩基配列のこと。

※4 コピー数異常
ヒトは両親からゲノムを1セットずつ受け継ぐことで、ゲノムの大部分を2セット持つ。ゲノムの一部の領域で、いずれかの親由来のゲノムが後天的に消失したり重複したりすることで、1セット以下や3セット以上になること。

※5 個別化医療
疾患ごとに決まった医療を行うのではなく、患者ひとりひとりに対して最適化された医療を行うこと。

※6 バリアント
ヒトゲノム配列上に存在する個人差のこと。一般的に、多くの人が持っているバリアントは病因性が弱いものがほとんどである一方で、まれなバリアントの中には病因性が強いバリアントが存在する。

※7 ゲノムワイド関連解析
ヒトゲノム配列上に存在する数百万カ所の個人差(バリアント)を網羅的にタイピングし、疾患や形質との関連を網羅的に探索する手法。バリアントの中でも、多くの人が持っているバリアントと疾患や形質との関連を評価することに優れている。ポリジェニック・リスク・スコアに用いられるバリアントの効果量は、大規模なゲノムワイド関連解析研究をもとに推定される。

※8 ドライバー変異
体細胞変異のうち、とくにがんの発症に直接寄与する体細胞変異。がん細胞には数多くの体細胞変異が蓄積しているが、そのほとんどはがんの発症に寄与せず、ドライバー変異は体細胞変異のごく一部である。

※9 染色体長腕・短腕
ヒトゲノムは46本の染色体によって構成され、それぞれの染色体は大きく2つの領域に分けられる。長い方の領域を長腕、短い方の領域を短腕と呼ぶ。

※10 ヘテロ接合性消失
ゲノムの一部の領域で、両親から1セットずつ受け継いだゲノムの片方が後天的に消失し、片親由来のゲノムのみが残ること。

特記事項

本研究成果は、2022年10月27日(木)(日本時間)に米国科学誌「Cancer Research」(オンライン)で掲載されました。

【タイトル】

“Common germline risk variants impact somatic alterations and clinical features across cancers”

【著者名】

Shinichi Namba1,28, Yuki Saito2,3,28, Yasunori Kogure2, Tatsuo Masuda1,4,5, Melissa L. Bondy6, Puya Gharahkhani7, Ines Gockel8, Dominik Heider9, Axel Hillmer10, Janusz Jankowski11,12, Stuart MacGregor7, Carlo Maj13, Beatrice Melin14, Quinn T. Ostrom15,16,17, Claire Palles18, Johannes Schumacher19, Ian Tomlinson20, David C Whiteman21, Yukinori Okada1,22,23,24,25,26,29, and Keisuke Kataoka2,27,29

【所属】

  1. 大阪大学大学院医学系研究科 遺伝統計学
  2. 国立がん研究センター研究所 分子腫瘍学分野
  3. 慶應義塾大学医学部 内科学教室(消化器)
  4. 大阪大学大学院医学系研究科 産科学婦人科学
  5. 大阪大学大学院医学系研究科 再生誘導医学協働研究所
  6. スタンフォード大学 Department of Epidemiology and Population Health
  7. QIMRバーグホーファー医学研究所 Statistical Genetics Laboratory
  8. ライプツィヒ大学病院 Department of Visceral, Transplant, Thoracic and Vascular Surgery
  9. マールブルグ大学 Department of Mathematics and Computer Science
  10. ケルン大学病院 Institute of Pathology
  11. サウスパシフィック大学 Executive Suite
  12. ロンドン大学 Institute for Clinical Trials
  13. ボン大学 Institute for Genomic Statistics and Bioinformatics
  14. ウメオ大学 Department of Radiation Sciences
  15. デューク大学 Department of  Neurosurgery
  16. デューク大学 The Preston Robert Tisch Brain Tumor Center
  17. デューク大学 Duke Cancer Institute
  18. バーミンガム大学 Institute of Cancer and Genomic Sciences
  19. マールブルグ大学病院 Center for Human Genetics
  20. エジンバラ大学 Edinburgh Cancer Research Centre
  21. QIMRバーグホーファー医学研究所 Cancer Control
  22. 東京大学大学院医学系研究科 遺伝情報学
  23. 理化学研究所 生命医科学研究センター システム遺伝学チーム
  24. 大阪大学免疫学フロンティア研究センター(IFReC) 免疫統計学
  25. 大阪大学先導的学際研究機構 生命医科学融合フロンティア研究部門
  26. 大阪大学感染症総合教育研究拠点(CiDER
  27. 慶應義塾大学医学部 内科学教室(血液)
  28. 共同筆頭著者
  29. 共同責任著者

    【DOI番号】10.1158/0008-5472.CAN-22-1492

    本研究は、JSPS科研費JP22K20808、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)次世代がん医療創生研究事業「がん横断的解析による遺伝子異常の機能的・臨床的意義の統合的理解」・次世代がん医療加速化研究事業「患者間・腫瘍間・腫瘍内における遺伝学的・免疫学的不均一性の統合的理解」・ゲノム医療実現推進プラットフォーム事業・先端ゲノム研究開発:GRIFIN「遺伝統計学に基づく日本人集団のゲノム個別化医療の実装」、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業「生体内ネットワークの理解による難治性がん克服に向けた挑戦」・「臓器連関の包括的理解に基づく認知症関連疾患の克服に向けて」、武田科学振興財団、上原記念生命科学財団、大阪大学大学院医学研究科バイオインフォマティクスイニシアティブ、慶應義塾学事振興資金、オーストラリア国立健康医学研究カウンシルの支援を受けて行われました。