年度報告
2024年度報告
昨年度もご報告しましたが、2024年の日本神経学会総会において、当教室は会員育成賞第4位に選ばれ、表彰されました。これは、過去5年間で神経内科医を多く輩出した大学に贈られる賞です。私たちは、まだ歴史の浅い教室ではありますが、医局員の増加を目指して教育と研究に尽力してまいりました。ここで、これまでの歩みを振り返りたいと思います。
教育面では、学生の興味を引きつける講義を心がけました。パーキンソン病やALSの患者さんにご協力いただき、かつてのプラカン(病棟教育)にならい、教室にお越しいただいて学生との直接対話の機会を設けました。臨床においては、毎朝8時半から前日に入院した患者についてカンファレンスを行い、研修医や学生にプレゼンテーションを担当させ、診断・治療方針を議論・決定しました。回診時には、学生ごとに専門用語を丁寧に解説するスタッフを1名配置し、理解の深化と集中力の維持を図る工夫も行ってきました。
私の退任までの計画として、最初の5年間は教室の組織作りに専念し、次の5年間は基礎研究に注力、最後の5年間はそれらの成果をもとに臨床研究を推進するという流れを描いておりました。しかし、初期の頃は、必ずしも順調に進んだわけではありません。中でも、基礎研究の立ち上げが最も困難でしたので紹介したいと思います。特に印象に残っているのは、最初の大学院生であった荒木克哉先生との出会いです。彼は神経内科に入局後、大学院に進学しました。私が大阪大学に赴任してから初めての大学院生であり、どのような研究をするかを話し合う最初の面接を楽しみにしていました。しかし、彼の第一声は、「やはり僕は生物が苦手なので、大学院を辞めて開業しようと思っています」という、予想外の言葉でした。このときの驚きと焦りは、今でも鮮明に覚えています。
荒木先生は京都大学で原子核物理や物性物理を学び、その後、お父様のご病気をきっかけに医学の道を志して大阪大学に再入学された経歴の持ち主です。私は、それまで原子力研究所や高エネルギー加速器研究機構と共同でα-シヌクレインの構造研究を行っていたことから、その研究を継続してほしいと依頼しました。すると彼は、「自分の物理の知識が活かせる」と喜んでプロジェクトに加わってくれることになりました。
彼に与えた研究テーマは以下の通りです:
1. α-シヌクレインの機能は何か?
2. パーキンソン病患者の脳内α-シヌクレインはアミロイドタンパクなのか?
3. パーキンソン病と多系統萎縮症(MSA)のα-シヌクレインの構造は同一か?
4. 当時ボストンのSelkoeのグループから発表された、赤血球α-シヌクレインが四量体を形成して安定化しており、これが維持できないと凝集するというNatureの論文の真偽検証。
赤血球由来のα-シヌクレインの構造確認では、荒木先生自ら採血を行い、そこからタンパク精製に取り組みました。血まみれで研究する彼の姿に、研究室では驚きの声が上がりました。ボストンの仮説は、我々のX線小角散乱による測定により、四量体である可能性は否定されました1。同様の結果が世界中からも報告されました。
次に、α-シヌクレインの機能について研究を進めました。α-シヌクレインは、体内では特に赤血球の前駆細胞である赤芽球で多く発現しています。そこで、ヒト赤芽球での動態を観察することにしました。仲野徹教授のご紹介で、秋田大学の澤田賢一教授がヒト赤芽球の細胞株を作成されていることを知り、共同研究が始まりました。観察の結果、脱核時にα-シヌクレインが集まり、それを押し出す様子が確認されました2。これは、脳内での小胞放出時にSNAP25などと協調して働くシナプスタンパクとしての機能と関連があると考えられます。
次の課題は、実際に脳内の微小タンパク質構造を観察することでした。これも非常に困難な作業でしたが、我々はSPring-8に注目し、大阪大学の難波啓一教授のご紹介で、高輝度光科学研究センターの八木直人氏とつながることができました。
SPring-8のビームラインBL43IRを用い、パーキンソン病剖検脳内の神経細胞にある直径約10μmのレビー小体に、直径数μmの赤外線ビームを段階的に照射して測定を行いました。その結果、タンパク質や脂質の総量は中心部に多く、βシート構造の割合は周辺部で高いことが明らかになりました3。さらに、パーキンソン病(PD)と多系統萎縮症(MSA)におけるβシート構造の違いも確認され、両者の構造が大きく異なることが証明されました4。
これらの成果は後に他グループによるクライオ電顕(Cryo-EM)によっても確認されました。ただし、Cryo-EMでは剖検脳から広くサンプルを採取するため、得られたα-シヌクレインが脳内のどの部位・細胞由来かは不明です。私たちは、直接神経細胞内の構造を観察することで構造の違いを証明しており、信頼性は高いと自負しています。
また、SPring-8ではX線による解析も進めました。荒木先生は、測定のみならずシステムの立ち上げからSPring-8のスタッフと共に取り組みました。結晶化しなくてもβシート構造が規則的に並んだ「クロスβ構造」にX線を照射すると、特異的な回折像が得られます。これをパーキンソン病剖検脳で確認し5、α-シヌクレインがアミロイドタンパクであり、プリオン様に伝播する可能性があることを示唆しました。
これらの成果はPNAS誌に発表され、国内外から高く評価され、数多くの学会でも発表の機会を得ました。
荒木先生は、医学と物理学を融合できる稀有な才能を持つ優秀な研究者でしたが、ご自身の希望により、現在は天神橋3丁目で「あらきクリニック」を開業されています。彼の貢献が、大阪大学神経内科学教室を世界的に知らしめるきっかけとなり、初期の発展を支えてくれたことは間違いありません。彼の後に多くの大学院生が、入局し活躍してくれましたので、現在の大阪大学でのパーキンソン病研究の発展があると思っております。
1. A small-angle X-ray scattering study of alpha-synuclein from human red blood cells. Araki K, Yagi N, Nakatani R, Sekiguchi H, So M, Yagi H, Ohta N, Nagai Y, Goto Y, Mochizuki H.Sci Rep. 2016 Jul 29;6:30473.
2. The localization of α-synuclein in the process of differentiation of human erythroid cells. Araki K, Sugawara K, Hayakawa EH, Ubukawa K, Kobayashi I, Wakui H, Takahashi N, Sawada K, Mochizuki H, Nunomura W.Int J Hematol. 2018 Aug;108(2):130-138.
3. Synchrotron FTIR micro-spectroscopy for structural analysis of Lewy bodies in the brain of Parkinson's disease patients. Araki K, Yagi N, Ikemoto Y, Yagi H, Choong CJ, Hayakawa H, Beck G, Sumi H, Fujimura H, Moriwaki T, Nagai Y, Goto Y, Mochizuki H.Sci Rep. 2015 Dec 1;5:17625.
4. The secondary structural difference between Lewy body and glial cytoplasmic inclusion in autopsy brain with synchrotron FTIR micro-spectroscopy. Araki K, Yagi N, Ikemoto Y, Hayakawa H, Fujimura H, Moriwaki T, Nagai Y, Murayama S, Mochizuki H.Sci Rep. 2020 Nov 10;10(1):19423.
5. Parkinson's disease is a type of amyloidosis featuring accumulation of amyloid fibrils of α-synuclein. Araki K, Yagi N, Aoyama K, Choong CJ, Hayakawa H, Fujimura H, Nagai Y, Goto Y, Mochizuki H.Proc Natl Acad Sci U S A. 2019 Sep 3;116(36):17963-17969.
