教授リレーエッセイ

最後の平成の年 がんゲノム情報学 谷内田 真一

がんゲノム情報学
教授 谷内田 真一

ありきたりのタイトルで恐縮ですが、今、瀬戸大橋線(マリンライナー)で実家(香川県高松市)に向かいながらこのリレーエッセイを書いています。瀬戸大橋が開通したのが昭和63年で、平成になってからは宇高連絡船を使わずに実家に帰れるようになりました。瀬戸内海はいつも穏やかで、その多島美はふるさとの誇りです。香川県は「うどん県」と言われていますが、元々は宇高連絡船の船上でのうどんがきっかけとなっています。瀬戸内の風に吹かれながら食べるうどんは格別でした。
 
天皇陛下が退位することで、最後の平成の年となりました。多くのマスメディアがいろいろな特集を組んでいます。どなたにとっても、平成という年号、この30年間に様々な思いがあると思います。私は昭和63年に鳥取大学に入学し、我々の学年は63(ろくさん)と呼ばれていました。
 
大阪府に住むのは実に約44年ぶりになります。生まれてから幼稚園の年少まで、父の仕事の関係で高石市に住んでいました。当時の日本は高度成長期にあり、社宅の近くに父が勤務する大きな石油化学コンビナートがありました。父がソ連に転勤になったため、家族は父の実家のある香川県高松市に引っ越しました。父がソ連に行く際に、大阪国際空港のデッキで飛行機を見送ったのを覚えています。最近、大阪国際空港を使うようになり、大阪国際空港そのものは今も大きくは変わっていないことに驚きました。その後の「昭和」の時代は高松で過ごしました。
  
昭和から平成にかけてはいわゆるバブル経済で、三菱地所がニューヨークの象徴的建造物のロックフェラー・センター、第一不動産がティファニー本社ビルを買収し、大学生のころは日本が世界一の経済大国になるのではないかと本気で思いました。バブル景気が終わり「平成」という時代とともに、医師、研究者として過ごしてきました。家内と付き合いはじめたのも平成元年で、30年になります。
 
天皇陛下のお言葉にもありましたが、明治、大正、昭和と異なり「平成は戦争のない時代」として終わろうとしています。「50歳になったら自分の顔に責任を持たないといけない」と京都の福知山市で教師をしていた母方の祖父がいつも言っていました。現在の天皇陛下の穏やかなご尊顔をテレビ等で拝しますと、いつも癒され感銘を受けます。私は「平成」に成人となり、今年50歳の節目の年になりました。これからは自分の顔に責任を持ち、一喜一憂せずに常に平常心で誰に対しても笑顔で対応できるよう、精進したいと思います。

教授 谷内田真一
ゲノム生物学講座 がんゲノム情報学
当教室は、2017年5月に生まれた新しい研究室です。がんとの戦いに勝つには、まず相手(がん)を知ること(本態解明)が必要です。次世代シークエンス技術等、最新の分子遺伝学的アプローチでがんとの戦いに挑みます。膨大なゲノム情報を扱い、情報武装して戦う必要があり、教室名は「がんゲノム情報学」としました。