教授リレーエッセイ

微生物から見た生命 保健学専攻 生体情報科学講座 戸邉 亨

 生体情報科学講座
教授 戸邉 亨

私が長年研究の対象としてきた細菌から見た生命の有り様を考察してみたい。医学系研究科では、当然ながらヒトが主な研究対象であり細菌はあくまでも感染症を引き起こす原因でしか見られないことが多い。最近では、細菌叢を作りヒトの様々な疾患や感染回避と関連した研究が進み、ヒトの重要な構成要素であると認識されるようになって、その健康における役割が注目されている。生命が地球上に出現して約38億年と考えられているが、そのほとんどの期間は細菌などの単細胞生物の時代であった。約10億年前に多細胞生物となり複雑な構造を持つ生物が出現し、現在の生態系を形作っているが、細菌などの単細胞生物が衰退したわけではない。例えば細菌は、現在では多様な環境に適応し、地球上のほとんどの場所に生息している。さらに、他の生物と共生や従属あるいは侵略などの生存戦略を選択したものもいる。
細菌の生物としての有り様は、ヒト等の多細胞生物とは多少異なる見方を教えてくれる。ひとつには、集団としての環境変化や様々なストレスに対する備えと対応である。すなわち、集団は少しずつ異なる振る舞いや反応をする細胞(細菌)が集まって構成され、集団のなかから環境の変化に素早く適応できた個体が生存していく。これは、突然変異で進化していくこととは違い、同じ遺伝的背景でも、遺伝子から表現される形質に幅を持たせていることによると思われる。これまでの分子生物学では、遺伝子から表現形(性質)は一義的に決定されるものと考えられていたが、実は個々の細胞での形質の表出の程度には揺らぎがあり、強弱がある。集団の中には死滅する細胞があったり、強いストレス反応をする細胞があったり、ほとんど代謝を止めているものなど様々な細胞が混ざった状態である。ストレスのかかった状況におかれるとこのなかから生き残る細胞がたとえ少数でもいれば種としては生存・維持ができることになるわけである。もうひとつは、ゲノムの柔軟性である。また、近年の抗菌薬耐性菌の広がりに見られるように細菌は選択圧があれば急速に新たな形質を獲得できる。これは、遺伝子そのものが頻繁に取捨選択されていることの証拠であり、細菌は常に新たなゲノム断片を取り入れ、新たな形質を取り入れようとしている。おそらく、ヒトの時間感覚や地球史的な時間でみる感覚とは異なり、細菌のなかには人類が急速に変えている地球環境に応じて急速に変化(進化)しているものがいると考えられ、新たな性質を獲得した細菌は想像以上の頻度で出現しているのではないだろうか。