教授リレーエッセイ

“先を読む“ということ 生体病態情報科学講座 分子生化学 三善 英知  

教授 三善 英知

 AIに代表される情報科学の進歩は、社会を大きく変えた。何事においても先見性は重要と言われるが、
意外にAIは先を読む能力に乏しい。「今夜の阪神vs巨人戦はどちらが勝つか?」とChat GPTに聞くと、
「私には未来のことはわからない」という返事が返ってきた。“先を読む“ことが最も重要なゲームと言える
将棋において無類の強さを見せる将棋AIは、実は人間のように単純な先読みをしている訳ではない。
過去の対局の棋譜を無数に暗記し、それを評価値(将棋の大局観)で有利/不利を判断する方法を駆使した
機械学習(deep learning)を繰り返すことで、将棋AIは成長してきた。

 それでは、ヒトはどのようにして“先を読む“能力を身に付けるのだろうか。凡人は失敗から学び、賢人は
歴史から学ぶという言葉がある。確かに歴史小説を読むと、人間の行為には共通点が多く、人生に成功した
偉人達はここ一番で正しい選択肢を選ぶ決断力があった。もしヒトがタイムマシンのように先を見ることが
できれば、誰も失敗はしないだろう。私が大学院で研究を始めた頃、タンパク質の精製は生化学の王道であった。
「必ず存在する未知のタンパク質の精製実験では、どんな苦労にも耐えることができる、でも存在するかどうか
分からないタンパク質を精製する実験は、いつまで続けられるか自信がない。」と当時の同僚が語っていた。
言い換えると、答えがある研究は何とかなるが、答えがあるかどうかわからない研究を続けることは、非常に
精神的なタフさが必要である。

 話は変わるが、以前に共同研究者の後輩の若手医師に「先生が提案する実験の成功率はどのくらいですか?」
と聞かれたことがある。「20%ぐらいかな?」と正直に答えたら、「じゃあ、やめときます。」と言われた。
どうして80%成功するとハッタリを言わなかったのか後悔した。“先を読める“ということは、必ずしも良い
ことかどうか微妙で、逆に全て予想通りに進む人生なんて、案外つまらないものかもしれない。大成功のため
には、先読みよりも直感や運(ツキ)の方がはるかに重要であると思う。

 3歳の時から将棋を始めて、将棋に対する考え方は自分の生き方に大いに役立った。令和は先の見えない不透明な
時代と言われている。先を読むだけでなく、情報科学を使って、目の前に起こったことに正しく対応できる能力が
大切であることは間違いない。10年前、私が学科長時代に提唱した保健学科のキャッチフレーズ 「継続する力と
夢見る勇気〜これからの医療は保健学から変わる〜」 は、今も正しいのではないかと思っている。