教授リレーエッセイ

悪玉コレステロール(LDLコレステロール) 保健学専攻 生体情報科学講座(動脈硬化代謝学研究室) 山村 卓

保健学専攻
生体情報科学講座(動脈硬化代謝学研究室)
教授 山村 卓

近年、国民の健康志向の高まりにより、私の専門とする高脂血症診療に おいても、患者さんのほとんどがLDLコレステロール(LDL-C)が悪玉で、 HDLコレステロール(HDL-C)は善玉であり、前者は低い方が、また後者は 高い方がいいということをよくご存じである。コレステロールや トリグリセライド(TG)といった血中の脂質成分は、カイロミクロン、 VLDL、LDL、HDLなどのリポ蛋白として存在する。

通常、200 mg/dl前後を示すいわゆる血清コレステロール値はこれら すべてのリポ蛋白中のコレステロールの総和のことである。従来より、 総コレステロール(total cholesterol, TC)の用語があり、最近、 全リポ蛋白中のコレステロールの意味でTCの用語が使用されている ようである。しかし本来、TCはエステル型コレステロールと遊離型 コレステロールを合わせた全体のコレステロールの意味である。

臨床検査としてHDL-Cが測定されるようになったのは1980年頃で、 比較的最近の検査項目である。ポリアニオンと2価の陽イオンを 組み合わせた沈殿法と呼ばれる方法で測定されていた。当時、 検体検査の自動化が進むなか、HDL-Cの測定はポリアニオンと 金属イオンで凝集したVLDLとLDLを用手的に遠心分離し、上清中の コレステロールを自動分析機で測定するという方法で、他の 検査項目に比べ、大変手間のかかる検査法であった。そこで わが国の臨床検査試薬メーカーの努力によって、特殊な界面活性剤を 利用して、種々の血清リポ蛋白の中からHDL粒子中のコレステロール だけを特異的に測定するホモジニアス法(直接法)が開発され、 1995年から保険診療に用いられるようになった。さらに、この原理を 応用したLDL-C測定のホモジニアス法(直接法)も開発され、 1998年には保険診療に取り入れられた。

少し専門的になるが、リポ蛋白のうち、カイロミクロン・VLDL・ LDLの構造維持蛋白はアポBで、HDLはアポA-Iである。さらに種々の 物理化学的特性からもHDLはそれ以外のリポ蛋白とかなり性質が異なり、 血清から界面活性剤を中心とした試薬によって特異的にHDL-Cを測定 できる。一方、LDLはVLDLと性質が比較的類似し、LDL-Cの測定時に VLDLのコレステロールも一部測り込んでしまう。これをLDL-C測定の 基準法で得られた値で値付けしたカリブレータを用いることによって、 見かけ上正確なLDL-C値が得られるようにしている。各試薬メーカーの キットは、特許の関係で独自の試薬処方となっており、VLDLの測り込み 程度はまちまちである。このため、血清検体によっては試薬キット毎に LDL-Cの測定値が異なる事態が生じる。 現在、血清TCの測定は関係学会・臨床検査技師を中心とした 医療関係者の努力によって標準化がなされ、どこの施設で測定しても まずまずの測定値が得られるようになっている。TGやHDL-Cについては まだまだ標準化の途中であるが、測定法を限れば大きな違いはない ように思われる。これに対し、直接法によるLDL-C測定は血清検体に よっては試薬キットでかなり値が異なるようである。

高脂血症の診断基準は日本動脈硬化学会のガイドラインに示され、 血清TC値から高コレステロール血症が、LDL-C値から高LDLコレステロール 血症が診断される。動脈硬化のリスク評価の観点から、前者は参考値であり、 後者が優先される。2002年のこのガイドラインで、LDL-C値は直接法の キット間の変動のため、原則として計算式(LDL-C=血清TC−HDL-C−TG/5) から換算するとされていた。しかしながら、2007年に発表された改訂版の 高コレステロール血症の診断基準では、TC値による基準は消失し、 LDL-C値による高LDLコレステロール血症に1本化された。またその測定も 直接法を用いるか計算式で計算する、とされ直接法が公認されたように なった。

近年、メタボリックシンドロームが注目され、マスコミを賑わせている。 2005年4月に日本内科学会を中心に発表された診断基準にはLDL-Cの項目が なく、これも一部のマスコミから、動脈硬化のリスク評価にLDL-Cは 不要になったのか、と誤ったクレームを付けられた。また、本年4月から、 メタボリックシンドロームに着目した生活習慣病予防のための特定健康 診査・特定保健指導、通称「メタボ健診」がスタートした。さすがに 厚生労働省主導のこの健診ではメタボリックシンドロームの基準項目に加え、 LDL-Cも健診項目に加えられているが、測定法は直接法とされている。

計算式を用いたLDL-C値の測定は世界中の臨床研究や疫学研究で現在でも 使用され、また、血清TCの測定がこれまで通り実施されている。実診療や 健診で、直接法によるLDL-Cの測定が広く実施され、血清コレステロールの 測定に困難を伴う(血清TC、LDL-C、HDL-Cの3項目の同時測定は保険診療 ではできない。)のは、世界中でも日本だけである。このような状況で、 日本国民の血清TC値の世界における位置づけができるのであろうか。 長年、脂質代謝異常症の診療にタッチし、保健学科で臨床検査学、特に 臨床化学を担当するものとして新たな検査法の開発を歓迎する反面、 その一人歩きを危惧するのは取り越し苦労であろうか。