教授リレーエッセイ

医師育成システムの迷走 整形外科学 岡田 誠司

整形外科学
教授 岡田 誠司

私が医学部卒業の頃は卒業と同時に進む診療科を決定した上で、多くのものは出身大学の医局に入局し、研修を積みながら一人前の医師へと成長するというのが一般的であった。地域の大学医局が地域の病院へ人員を派遣しており、当時は医療過疎地などという言葉は存在しなかった。ただし、2000年を過ぎても嘗ての無給診療実地修練であったインターン制は一部の私立大学を中心に残存しており、卒後2年目までは研修医と呼ばれアルバイトで生活費を稼ぐというのも珍しくなかった。そのような状況と人事権を掌握する医局制度への批判も相まって、2004年に新しい臨床研修制度が開始された。この制度は、全国規模で公平な応募と選考により研修先が決定されるというもので、医師としての人格育成、プライマリーケアの診療能力の習得、アルバイトせずに研修に専念できる環境と待遇というのが基本方針であった。

ところが、この制度により母校以外での研修施設を選択することが体制的にも心理的にも容易になり、大学病院以外の、特に都市部での研修病院に高い人気が集まるようになった。また、実際の臨床現場での体験は、診療科間での忙しさや報酬などの違いを目の当たりにすることで、若者が“どの科が美味しいか?”という視点を持つことに繋がった。女性医師の増加も大きく関係しているであろうが、結果的に外科や脳外科などといった多忙な診療科を志望する者は減少し、皮膚科や眼科、精神科などの緊急の呼び出しが少なく定時に帰りやすい科を選択する者が増加した。これが現在の若手医師の”地域偏在”および”診療科の偏在”に繋がっていると考えられる。県によっては医学部入試に地域枠というのを設けたが、法的な拘束力も無く実効性は殆どなかった。個人的には20年近く経過したこの新臨床研修制度のどこが医師としての人格育成に役立ったのか、甚だ疑問である。

そこで今度は、専門医という縛りによって地域的偏在、診療科間偏在を解消しようという流れが透けて見える。具体的には将来の必要医師数を地域別、診療科別に算出し、この算出数を超える者は該当する地域では専門医を取得できない、他県の大学あるいは病院で取得して下さい、という何とも理不尽なものだ。しかもこの算定された必要医師数には、研究や教育という観点が全く加味されていない、極めて杜撰なものである。

専門医というものが個人の臨床能力を担保するものではないのは明白であるし、専門医を取ったところで診療報酬などのインセンティブは一切ない。結局は、専門医などという名称と幻想によって若手医師の選択の自由を奪っていると感じる。そして何より、専門医は殆どの者が取得しているので何となく取得しなくてはいけないもの、他の人と違うコースを歩んで浮いてしまうのが何となく不安、という実態のない空気感、同調圧力が、若者だけでなく日本全体を覆っていることを憂う。今の時代に本当に必要な人材は、人とは違う、自分にしかできないことを信念を持って貫ける若者であるのだが。




 

教授 岡田 誠司
器官制御医学講座 整形外科学
当研究室は、1945年に清水源一郎教授により開設され、現在の岡田誠司教授(第7代)に至るまで継続的に発展を遂げてきました。現在、30名のスタッフと31名の大学院生を抱え、骨・脊椎・脊髄・末梢神経・筋腱・靭帯等の疾患や外傷に対する治療と基礎・臨床研究で日本や世界をリードしています。