教授リレーエッセイ

的確な指示 保健学専攻 総合ヘルスプロモーション科学講座 数理保健学 大野ゆう子

保健学専攻
総合ヘルスプロモーション科学講座 数理保健学
大野ゆう子

「ノート1ページ分、家族について書きなさい。」

小学校1年生相手だったか、この宿題を出したところ、「祖父、祖母、父、母、姉、私」をノート1ページ分、書いてきた生徒がいたそうです。保護者会のときに状況を聞くと、母親曰く「作文の宿題じゃないの?家族について書くんじゃないの?と何度か聞いたのですが、本人は先生の指示通り家族について書いてると言いますのでそのまま出しました。」。作文とはどういうものか、まだ理解していない子供達だからということで考えて出した指示だったそうですが、小学校の先生はつくづく大変だと思いました。

大学教員でも、特に学部学生への宿題やレポートの指示は、やはり気を遣うところです。こちらが期待しているところを汲んで、言葉足らずなところは補って理解して欲しいと思うのですが、昨今は課題の意図を正確に把握するための質問が多いようです。どういうことを書いておかなければならないか、と考えること自体が学習であり、その結果のレポートであるという位置付けまで解説する時代になってきました。より的確な表現を再考できる機会にはなっていますが。

一般に「指示」とは相手に特定の動きを期待して出すものですが、時には予期せぬ答え・反応が返ってくる場合があり、研究ではそれが新たな発見に繋がることも間々あります。私の研究領域、数理保健学は、保健学の課題を数理的手法によって解明するもので、その追究には保健医療関連だけでなく、統計学、工学、情報等様々な知識・方法論が必要となります。それだけ多様なバックグラウンドの学生達が集まることになり、ディスカッションは互いの固定観念の打破と更新の場となっています。説明に用いた言葉の意味、指示が異なって受け取られて対立しても、その解法を探す過程で新たな方法論が発見されることが多々あります。このようにして提案・検討された手法には、現在、がん統計では標準的に用いられているもの、業務量調査の標準手法となっているものもあります。

的確な指示を出すように努力をする一方で、その不完全性を活かす余裕があるというのが理想かもしれないとこっそり思っています。