漢字一文字をめぐる雑感 生殖遺伝学 林 克彦
毎年の年末恒例として清水寺で発表される2021年の一文字が「金」となった。主に東京オリンピックでの日本人選手の活躍が印象に残ったことが選出の理由だが、賛否両論ある中での開催でこの漢字が選ばれたことは喜ばしいことだと思う。この他の候補として「輪」や「楽」があったらしいが、その是非はさておき、漢字というのは一文字で言いたいことがイメージできる楽しさがある。最近では行われなくなった忘年会などで一年間の総括を漢字一文字で紹介し合うのも悪くない。
しかし、漢字を覚えるのはとても大変だ。外国人や子供時代を海外で過ごした日本人がその習得に苦労するのも頷ける。自らを振り返ると、すべてが表になっているひらがなを覚えた途端に、底なし沼のような漢字の学習に出くわす。自分の子供たちが苦労して漢字の学習をしているのを見ると、遺伝の非情さとともに、日本語が習得に非効率的な言語なのではないかとすら思ってしまう。ただその反面、漢字のもつ意味や美しさを感じることができるのも事実である。
年が明けて「初」がついたものがやたらと目に付く。初は「衣」に「刀」を入れる、つまり裁断を意味することから作業のはじまり、という意味だという。このように二つの異なる文字が合わさって異なる意味を作り出すものを会意文字という。「位」は「人の立つところ」といったように。初のつくものでは初夢などがあるが、この「夢」に「人」がつくと「儚い(はかない)」となるところが、無情かつ美しいところである(これを留学中にイギリス人に説明しようとして、とても苦労したし多分理解されなかった)。
個人的な新年の漢字は「転」だろうか。研究を続けていく中で、良い研究環境やたくさんの人との出会いを求めて「転」を繰り返してきた。その先々で素晴らしい出会いもあり、助けられながらも、大きく転ばずにやってこられたことは幸運であった。「転」の良いところは、新しい場所に行く度に新しい気持ちになれることである。移転というよりも主観的には転生に近い。私の専門分野ではリプログラミングという言葉に近い。生殖細胞が自律的にリプログラミングを繰り返して生命の連続性を保つように、研究においても転生を繰り返して、高い創造性を維持したいと思っている。思いが儚く終わることなく、いや儚く終わっても良いので、夢を見ながら進んでいきたいと思う年初である。