教授リレーエッセイ

あらためて、「衛生」の意味を問う 保健学専攻 総合ヘルスプロモーション講座 公衆衛生看護学 岡本 玲子

教授 岡本 玲子

大学卒業後、保健師として大阪府保健所に配属されたとき、前の席のベテラン保健師が、誇らしげな面持ちで、「丸山先生をご存知?」と、私に問うた。当時まだ大阪に看護大学がなく、学部時代を東京で過ごし帰阪した私は、「丸山先生」が何処の何方かを存じ上げなかった。どうも当時、大阪の保健師として働くのに、敬うべき丸山先生を知らないというのは、とんだモグリの無礼者と思われたようだ。


丸山博(1909-1996)先生は、もと大阪大学医学部衛生学教室の教授である。森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者への保健師等による14年目の訪問を導き、その後の恒久救済への道を照らした人物である。その後教育研究者となった私は、複数の大学を経て、2016年に大阪大学に着任することとなり、改めて丸山先生のことを学ぶ機会を得た。


丸山先生は、その著書(1990)において、「現代社会において、基本的な人権擁護の最優先課題は生存の自由の確保にある」と述べ、衛生を「病気にならないよう健康を保持する技術として捉えない」とし、「生命」=健康を衛り、「生活」=衣食住と労働を衛り、「生産」=資源とエネルギーを衛るという意味に捉えなおす、と論じている。そしてその理由を、「現代社会における健康の問題は、生命・生活・生産を人間がより人間らしく生きる方向に衛り、発展させていく課題としてとりくまない限り、解決しないからである」としている。


現代社会は、科学技術の急速な発展によって、便利さや生産性が加速し、生活様式も生産様式も急激に変化し続けている社会である。温暖化による気候変動、それによる今まで経験したことがない類の健康危機の勃発など、現代は「人新生(ひとしんせい)」=人類が地球を破壊しつくす時代とまで言われるようになった。そして、ここ数年の長引くコロナ禍、、、


こんな時代だからこそ、私は、保健師として、あらためて、衛生、公衆衛生の意味を問い直したいと思う。公衆の「生」を衛るということは、人々の生命、生活、生産を衛ることにほかならない。そしてそのためには、人と人、人と自然環境、人と社会環境など、相互の間で、いったい何が生じているのか、その健康事象は、なぜ、何と何が絡み合って生じるに至ったかを紐解き、解決・改善、および強化・増進の方向性を見定め、活動や政策を創出する必要があるのだと思う。


文献:
丸山博(1990):丸山博著作集Ⅲ;食生活の基本を問う,pp5-6,農山漁村文化協会.
斎藤幸平(2020):人新生の「資本論」(集英社新書),pp4-7,集英社