言葉の持つ力 がん病理学 井上 大地
人間というものは、万事うまくいくと不遜に傲慢になり果てるものです。恥ずかしながら、私も例外に漏れない人生を歩んで参りました。若かりし競技者の時分も「怪我なんかするわけない」とケアを怠ると故障をし、「体力は無尽蔵だ」と過信すると体を壊しました。
一昨年2023年、腸に穴が開く大病を患い、もちろん仕事には大穴を開けながら、長く辛い先の見えない日々を病床で過ごしました。レジデント時代の思い出の病院で、悶え苦しみながら、心の怯えと戦う毎日でした。痛みもなく寝て起きて、仕事に向かい、食事をし、排泄して、また寝る、日々当たり前に享受していることは失って初めて気づくわけです。面会制限の中、多くの方々から心温まるメッセージをいただきました。病棟でこんな私を支えてくれたのは、かつての先輩は言うまでもなく、同じ病院で一緒に働いた看護師さんでした。着替えもできない私に優しい言葉をかけて体を拭いてくれました。「ほんまにごめんな」、「ええよ、気にせんといて」。
ずっと年下の看護師さんも焦る私に寄り添って、日々のささやかな進歩を褒めてくれました。看護学が心身の両面から患者を支えるためにどうやって発展してきたのか、身をもって感じ入る機会となったわけです。先鋭化した医学を追求してきたものとして、医療というものがどうあるのか、当たり前に享受していた健康な臓器や生活を失って改めて「言葉の持つ力」に気づかされたわけです。
言葉は言霊、発する言葉は自分に返る言葉。医学研究者として医師として、教育者として、2023年の闘病期間というのは、不惑を超えた私に対してそれらを神々が与えたもうた時間であり、残された人生を賭けて医学と医療をつなぐべく大阪大学へと私を誘ってくれた時間でもありました。残る桜も散る桜。いつ散るかわからぬ日々の生活の中で、若者をインスパイアする言葉を紡ぎながら、次の世代に繋いでいけますように。もし不遜な自身が頭を擡げ始めたら、またこのエッセイを読み返してみようと思います。
