教授リレーエッセイ

少子化問題を考える 産科学婦人科学 小玉 美智子

産科学婦人科学
教授 小玉 美智子

 「少子化問題」は我々産婦人科医にとって単に分娩取扱の減少に留まらず、日本の根幹に関わる喫緊の課題である。個々の権利が尊重される現代において、強制的な解決策はない。何故少子化なのか、何が障壁なのか、考えてみる。個々人が置かれている環境や抱く思いは異なり、あくまで私個人の一意見であることをご容赦いただきたい。

 アイデンティティーの崩壊
 私は出産前、まさに昼夜問わず働いていた。出産を機に家に閉じこもる事になり、「〇〇ちゃんのお母さん」という存在に変わった時、自分は何者だったかな?という感覚に陥った。よく聞く話であったが、実際経験してみるとかなりきつかった。復帰後、仕事との両立生活に確かに苦労はあったが、「小玉美智子」としての時間が得られたことに非常に救われた。

 日米の育児環境の違い
 夫の研究留学で渡米した際、子供達は8歳と1歳半であった。渡米後すぐ、今でも忘れられない光景がある。慣れない巨大なショッピングセンターへ3人で出かけた時の事だった。車から降りると目の前に階段しかない。娘が乗っているベビーカーごと登るしかないなあと考えていると、見知らぬ若い男性が後ろから現れ、すっとベビーカーを持って上がり、振り返って笑いかけてくれた。見ず知らずの人に対して当然の如く動いてくれる姿にカルチャーショックを受けた。以後も出かける先々で子供達の為にドアを開けてくれ、ニコニコ話かけてくれる人達の多さに驚いた。そして、共働き家庭がデフォルトである米国生活は大変気楽だった。小学校行事は基本夕方か早朝、PTA活動は強制はされず、寄付金だけ、飲食物を預けるだけでも十分だった。お昼は基本購入でき、お弁当としてご飯を詰めて焼き鮭を入れただけで、現地の友人に物凄く感動された。文房具は年に1回まとめて購入し、学校に置いておくだけ。家からほぼ空のバックパックを背負っていくだけで、忘れ物をしようがない状況だった。現地校の英語レベルについていくのが唯一大変だったけれども、終始親としては気楽なものだった。下の娘はプレスクールで熱心な「早期教育」を受けており、着実に成長を遂げていく姿を見て、小さいうちに預けて可哀想なんて事とは真逆で、何と素晴らしいと感じたものだった。忘れ物をし、PTA活動を休み、凝ったお弁当も作れず、迎えが遅くなっては謝る日本の生活とは真逆であった。共働きでも夕食は全員揃う家庭が非常に多く、実際に家事・育児を大人2人が担える環境は非常に心強いと感じたものだった

 総じて振り返ると、子供との時間を働きながらでも家族で共有できる事、周囲に対する後ろめたさがなく、むしろ温かく見守られる環境が不可欠で、やはり長時間労働が日本の大きな問題なのではと感じる。働き方改革によって、生産性は高めながら生活の質を改善させることが、少子化問題の解決に繋がることを強く願う。

 

教授 小玉 美智子
器官制御外科学講座・産科学婦人科学
当研究室は1881年(明治14年)に、吉田顕三先生が大阪府立医学校校長として初めて産婦人科講義を行われ、開講しました。以後、小玉美智子教授(第8代)に至るまで継続的に女性医学を発展させてきました。女性の健康に関わる様々な生理的変化・疾患のメカニズムを解明し、全ての女性の健康に貢献していきます。